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「きゅー!」
なんだか嬉しそうな声とともに、湿った暖かい感覚がする。意識も覚醒してきたし、二度目ともなれば分かる。動物の舌だ。
(……? 顔を舐め回すのって犬よね……? でもこんなところに犬がいるなんて……城の誰かの飼い犬かも……)
『まだ意識が戻りきっておらぬな。犬がこんなところにいるわけなかろうが。そもそも犬がこんな鳴き声をしているものか』
「……それはそうかも。……というか、声に出てた……?」
内心で考えていたつもりだったが声に出ていたらしい。イーラが呆れ顔でこちらを見ている。
その眼差しがなんとなく温かい気がする。
「きゅう、きゅー!」
「確かに犬はこんな鳴き声はしないわね……って、猫!?」
さっきからアトラの顔を舐めているのは不思議な色合いの子猫だった。金色の毛並みに黒の筋が混ざっており、その背中には小さな翼が生えている。
『猫でもあらぬわ! 寝ぼけるのも大概にせよ!』
イーラの言葉が聞こえたわけでもないだろうが、雰囲気でやり取りの大体のところを察したらしいモーリスが吹き出した。
「猫に翼は生えないな。その仔は魔獣だ。王獣どのとイーラの魔珠から生まれた」
「きゅううー!」
嬉しげに小さな体をすり寄せる幼獣に、アトラは目を丸くした。こんなに可愛いのは意外だし、なんだか妙に懐かれている気がするし、そもそも……
「……魔獣って、こんなふうに生まれるものなんです……? それに、魔珠はこの高さから放り出されてしまったはずで……」
「まあ、普通の鳥やなにかの卵であれば無事とはいかなかっただろうな。命の宿った魔珠といえ、割れかけたのは確かだ。だが……駄目になってしまう前に、この子は生まれた。そのおかげで王獣どのが完全に正気を取り戻し、私たちがこちらへ来ることもできた。その子を拾い上げて王獣どのに乗せていただいて、空を飛んできたというわけだな」
「なるほど……」
納得したアトラに、モーリスは思わずといったように苦笑した。
「他人事のようだが、アトラ。なぜその子にあなたがそこまで懐かれていると思う?」
「え……? そういえば、なぜでしょう……?」
生まれたばかりらしいのに既にふわふわとした毛並みに覆われている幼獣は、甘えてくる姿も愛らしい。だが、母親たるイーラがここにいて、王獣も近くにいるらしい――先ほどの男性を押さえつけているような音が聞こえてきた――のに、なぜかこの子はアトラに懐いている。
イーラが面白くなさそうに鼻を鳴らした。
『少しばかり気に入らないことがないでもないが、仕方あるまい。その子はお主の呼びかけに応えて生まれた。お主が呼んでくれたから、生まれ出ることができたのだ。そうでなければ、割れた魔珠ともども命を失っていたであろうよ』
「私の、声……?」
そういえば、必死になっていて無我夢中で訳が分からなかったが、頭の中で何かが弾けたような感覚があった。何かが通じた気がしていた。その後で意識を飛ばしていたのと、意識を取り戻したときに頭が割れるように痛かったのは、おそらくそのせいなのだろう。どういうわけか、魔獣と声が通じたのだ。単に聞こえるだけでなく、こちらからも呼びかけることができたのだ。
そして、今更ながらに思い出す。ずっとアトラにだけ聞こえていた声が、もう聞こえなくなっている。――この子が、魔獣として生まれ出たからだ。
これだけ懐かれているのも、それなら腑に落ちる。アトラは助産師というか、親に近いような立ち位置にあったのだ。
「…………。とりあえず、事情はたぶん理解したわ。でも、本当に……生まれてよかった。みんなが無事でよかった……」
ほっとすると力が抜ける。イーラに体重を預けているから倒れ込みはしないが、イーラが体に力を入れて背中を支えようとしてくれているのを感じる。
(でも、まさか……魔珠から幼獣が生まれるなんて……。魔珠が魔獣の卵だということも今日はじめて知ったばかりだし、こうなるなんて分からないわよ……)
『そうさな。我もお主には言い出しにくかったしな』
「イーラ……!?」
今のは分かる。アトラは声を出していない。内心が声として通じたのだ。どういうわけか、魔獣のような伝え方を体得している。
ためしにアトラは念じてみた。
(イーラ、これってどういうこと? 魔獣の言葉を話せているとか、そういうこと?)
『否。魔獣の言葉とか、文法などという概念は違う。意を伝える、ただそれだけのことだ。加工は必要ない』
分かるような分からないような答えを返されたが、一つだけ確かなのは、きちんと通じているということだ。
でも、とアトラはイーラに釘を刺した。
(きまり悪かったのは分かるけど、大事なことはちゃんと伝えてね? 言葉でも何でもいいから、分かるように伝えて)
『…………うむ』
イーラの尾がぱたりと揺れ、幼獣がそちらに気をひかれて飛びついた。




