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 伯爵邸に地下牢があることを、アトラはもちろん前々から知っていた。小さい頃はあちこちを探検してみたものだ。母が生きていた頃は、父は冷たかったとはいえまだ普通の生活を送れていた。

 継母と妹が来ておおっぴらに冷遇され始めてからは、地下牢のような場所に近づく機会はなかった。継母や妹、それにもちろん父からは粗末な扱いを受けているし、怪我をしたり死んだりしてもいいくらいに思われているようだが、地下牢に放り込まれたりすることはなかった。かわいそうだからなどという理由ではなく、目の届くところに置いておいていびったりこき使ったりする方がいいからなのだろう。それと、アトラのためだけにわざわざ地下牢などという陰気な場所に関わりたくないということもありそうだ。

 そう、陰気としか言いようがない。

 案の定と言うべきか、業者の案内を押し付けられたアトラは、魔獣の檻を移動式の台座に載せて押し歩く業者を先導して地下牢に向かった。

 地下牢なんかに押し込めておくのは勿体ない、見たいときにすぐ見られるように客間などではいけないのか、そんな風に父たちは勝手で無理なことを言っていたが、魔獣が唸りながら格子をかじるのを見て断念していた。馴れていない魔獣を犬猫と同じように放ったら大惨事だ。売った側にも責任の一端が及ぶからだろうか、業者も必死になって反対していた。

 そんなわけでアトラは久々に地下牢を訪れているのだが、

(……明かりをつけても暗いし、湿っぽいし……ここで亡くなった人もいるということだし……本当に大丈夫なの……?)

 この魔獣が今までどのように飼われてきたのかは知らないが、間違ってもこんな劣悪な環境下ではないだろう。いきなり環境が変わって、しかもこんな風に悪い方向へ変わって、健康面などは大丈夫なのだろうか。

「ぐるるる……」

(……魔獣の健康より、私の健康というか……命というか……そちらの心配をしたいかも……)

 相変わらず怒りを押し殺したような唸り声を発している魔獣に恐々としながら、少し先を歩いて明かりを点けながら業者を案内する。それに加えて手元にも明かりを持っている。足元が見えないということはないが、そもそもが地下なので太陽の光が届かない。

 その暗がりの中で、魔獣の瞳が黄金に煌めく。わずかな光を反射しているのだろうが、息を呑むほど恐ろしく――美しい。罪人でもない高貴な存在を地下牢に押し込めるなんて、失礼どころの話ではない。むしろこちらが罪を犯しているとしか言えない。

「……しかし、広い通路ですね。地下牢というと、狭い階段を下っていくイメージがあったのですが。搬入が楽でありがたいのですが……」

 暗闇と魔獣の怒りとをかき消そうとするかのように業者が口を開く。

 業者が言うように、この地下牢には階段ではなく緩い坂を下って降りていく。暗さはともかく広さはあり、台車などが通れるようになっている。

 アトラは正直に答えた。

「囚人を逃げ出させないことよりも、管理の楽さを重視したようです。搬入や搬出が楽なように」

「…………」

 搬入は囚人、搬出は死人だ。そのことを言外に悟ったのか、業者が口を噤む。そんなところに魔獣を押し込めるのかという非難を感じたが、それならすぐにでも引き取って帰ってくれというアトラの内心を察したのか口に出して言われることはなかった。

「……広さはありますね」

「……一応」

 一人単位で割り当てる牢も並んでいるが、捕らえた賊などを雑多に押し込めるためだろうか、大きな牢もある。突き当りの大部屋のような牢に業者を案内すると、何とも言い難い声でそう感想を述べられた。

「ところで、魔獣専用の運動場になる場所は……」

「……あるとお思いですか?」

「…………」

 健康とは対極に位置するような場所だ。できる運動はといえば……囚人どうしが殴り合ったりすることくらいだろうか。……この場合、やられ役はアトラということになりそうだが。

 アトラは溜息をつき、無駄だろうとは思いつつも言ってみた。

「ご覧の通り、ラクス家は魔獣を迎え入れる準備がまるで整っていません。魔獣に対して失礼ですし、冒涜とさえ言えると思います。購入代金の一部を違約金という形で受け取っていただいて、魔獣もそのまま連れ帰っていただけないでしょうか?」

 業者もこんなところに貴重な魔獣を売るなんてとんでもないと思っているだろう。違約金をふんだくって売り物を持ち帰るのがいちばん得になるはずだ。

 だが案の定、業者は首を振った。

「そういうわけにはまいりません。成立した取引ですので。……それに、失礼ながら……あなたに決定権があるのかどうか……」

(……やはり、そこを突かれるか……)

 自分が言っていることはまっとうだと思う。だが、だれがそれを言うかというところで引っかかる。

 それに、薄々察しているが、業者はこの取引を完遂させたいようだ。こちらがこれだけ準備不足で、魔獣に対して失礼で、先々ろくなことにならないだろうと思われる状況であっても。

「……それなら、こちらも失礼を承知でお聞きしますが……どちらの方なのか伺っても?」

 もしかして正規の業者ではないのではないか。アトラがそう疑っても仕方のない状況のはずだ。

(こんな場所でこんな話を出すのは危険だけど……魔獣を置いていかれたら絶対もっとろくなことにならないから、危険を承知で聞くしかない……!)

 平静な言葉の裏でアトラが身構えていると、業者は少し考える様子を見せた後、胸ポケットから何かを取り出した。薄い革で作られたそれに捺されているのは、王家の紋様だ。竜と剣とが図案化されている。王家の始祖が竜を倒したことに因むものだ。

 当然ながら、この紋様の偽造は大罪だ。順当に考えるならば、

(……王家が関わっているということは……まさかこれ、王子からウィリディスへの贈り物とか……そういうことなの……!?)

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