56
古びた石造りの塔の螺旋階段を上っていく。小さな塔だからほとんど階段だけで出来ているようなものだ。各所に小さな窓があり、外の様子を見ることができるようになっている。元々は物見のために設けられた場所だからだ。
イーラは窮屈そうに翼を折りたたんではいるが、通れないほどの狭さでもない。もちろん広いわけではなく、人どうしならすれ違えるだろう、くらいの幅しか取られていない。当然、誰かが下りてきたら鉢合わせるしかない。
アトラはだんだん緊張が募ってきて足が鈍りそうになるが、イーラはむしろ気が急いている様子だ。モーリスや王獣が大変な状況なのだから一刻も早く問題を解決しなければいけないのは当然なのだが、それにしても何というか、敵との邂逅を待ち望んでいるようにさえ見える。
(魔獣だから好戦的なのかしら……)
そんな風に思いつつも、遅れないようについていくしかない。
『――…………』
声のところに近づいていっている感覚がある。しかし相変わらず言葉になっていない。いや、この声はむしろ……
『いたぞ。注意せよ』
アトラの思考を遮るようにイーラの声がした。同時にイーラの足が止まる。薄暗かった階段が明るくなりかけていて、最上部が近いのだと分かる。ぐるりと周囲を見渡せるように、塔の最上部は開けているようだ。
『さすがに、ここまで近づけば分かるな。我の魔珠ではないが、同様に大切なものだ。あれの魔珠がある』
あれ、というのは王獣のことだろう。自身の魔珠と同じくらい大切だという言葉に少し首を傾げたが、イーラは仲間思いだから、そういうことなのだろう。ひとまず納得してアトラは身構えた。
「――誰だ?」
(気づかれた……!)
イーラの陰にいるアトラには姿が見えないが、確かにあの声だ。ラクス伯爵邸に魔獣を届けた男性の声。
どうしよう、と思っている間にイーラが動いた。しなやかに飛び上がり、声の主を押さえにかかる。
と、イーラが急に硬直した。どさりと音を立てて床に伏し、アトラは悲鳴を上げた。
「イーラ!」
「別に死んではいない。しかし、やはりお前か。……見違えたが」
イーラを追って塔の最上部に出たアトラを見た男性が言った。魔獣を連れてきた時とは口調が全然違うが、むしろこちらが本来なのだろう。そして、見違えたというのはテネブレ領で大切にしてもらって心身や着るものを整えたアトラを見てのことだろう。伯爵邸にいたときは我ながらぼろ雑巾のようなありさまだった。
しかし、そんなことはどうでもいい。それよりも、
「イーラに何をしたの!?」
「魔珠を使って自分の身を守っただけだ。やはりそいつが母親か。追いかけてきたからそうだろうとは思ったが」
「…………母親?」
「なんだ、お前は知らずに来たのか。そいつが王獣の魔珠に命を吹き込んだ母親だ。大事な自分の子を握られたのだから当然こうなる」
「…………子?」
ぽかんとするアトラに、男性はむしろ呆れたようだった。
「……それすら知らずに来たのか。状況を分かっていないにも程があるだろうと思うが」
「…………」
否定できない。イーラは何故か何も説明してくれなかったし――こうして聞いた話を接ぎ合わせて考えてみると、恥ずかしかったとか決まり悪かったとか、そういう感情があったのだろうと推測できるが――、モーリスも何も言わなかった。
(でも、モーリス様は勘づいていそうな様子だったし……イーラの機嫌を損ねないように言わなかっただけよね……)
男性の手の中にある魔珠に目を留めてアトラは驚いた。水晶の玉に溶け込んだ血が、渦を巻くように揺らめいている。……生きているのだ。
『――…………』
声は、そこから聞こえる。声になりきっていない――生まれる前の、幼獣の声だ。
道理で違和感があったわけだ。魔獣の声でありつつ、それまでに聞いたことのない声だったから。生まれる前の魔獣に会った経験などないから分からなかった。
魔珠に対して感じた既視感がいっそう強くなってはたと思い至った。血が混ざった卵の黄身に似ていると思ったのだ。――そこに、命が宿っているのだと。
魔珠とは、卵だったのだ。
「でもイーラ、いつの間に? 王獣様の魔珠はずっと城にあったのだし、いつそんな……」
「本当になにも知らんのだな。魔獣は野生の獣のように交わったりすることがない。つがいを定めれば、その相手の魔珠に命が宿る。遠くにいようが見たことがなかろうが関係ない」
「初耳だわ……」
まぎれもない本音だが、時間稼ぎの言葉でもある。イーラがぴくりと身じろぎし、ショックから回復してきているのに気づいたのだ。声も少しずつ伝わってくるが、男性の話の内容を否定している様子はない。嘘をつかれたりはしていないようだ。
敵対する間柄だが、王獣の――もはやイーラのものでもある――魔珠を握っているからだろうか、男性は拙速に動こうとせずアトラの疑問に付き合ってくれている。さらに時間を稼ごうと、アトラは疑問を述べた。
「でも、イーラはこの魔珠のありかが近づくまで分からなかった……親なら分かったりしないの?」
「そもそも魔珠というものが、人の手によって作り出されたものだ。自然界に存在しない水晶の球を以て魔獣の卵とする……もともと魔獣はそうした繁殖の仕方をしない」
次から次へと、知らない話が出てくる。




