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『――…………』
言葉になっていない言葉、声なき声を追って、アトラは城の奥へと進む。
しかし当然のことながら、声は道を示してはくれない。方向を示すだけだ。城にはいくつか尖塔が付属しているが、声はどうやらそちらから聞こえてくる。
古い時代の名残で半ば装飾的な尖塔は、今はとくに使われることなく閉鎖されている。尖塔の螺旋階段へ続く分厚い扉には錠が下ろされており、人の出入りを拒んでいる。
イーラが疑い深げに言った。
『本当にこちらなのか? 人が出入りした様子は無いのだが……』
アトラはもう一度耳を澄ませ、頷いた。
「こっちだと思う」
『では、破るか』
「って、ちょっと待って!?」
軽く言われたせいで聞き流しかけたが、イーラがとんでもないことを言っている。魔獣の力を以てすれば容易いのかもしれないが、ことはそう簡単な話ではない。
「この先に犯人がいるから警戒されてしまったり待ち構えられてしまったりするだろうし、派手なことをしたら人を呼んでしまうし……やめた方がいいと思う」
城の人が駆けつけてきたとして、アトラたちの味方になってくれる保証がない。敵対者を利することになりかねないし、そもそもテネブレの関係者が魔珠を確保しようとしていること自体が結構な問題行動だ。王獣の魔珠はいわばテネブレを押さえつける楔なのだから。
(非常時だからこうするしかないけれど……でももしかしたら、モーリス様はこの混乱に乗じて王獣様の魔珠をテネブレに取り戻すおつもりなのかも)
あの場ではもちろん明言しなかったが、そうした意図がありそうだとは思う。後から正式に交渉するにしても、現物を押さえれば有利になることは間違いない。現状を追認させるだけだからだ。
『であるなら、どうすればよいのだ。我が主を乗せて外から飛べばよいのか?』
「それも目立つから避けた方がよさそう。それしかなければお願いするけれど、その前にちょっと試させて」
アトラは扉の前を素通りし、少し奥まった場所へ移動した。
城は執務や外交などが行われる場所だが、当然のことながら、王族が住まう場所でもある。生活を整えるために必要な場所も確保されている。
アトラはイーラを伴って、そうした部屋の一つに入った。洗濯されたリネン類が畳まれて積み上げられている場所だ。清潔な匂いがするし、必要なときに風を通せるようにと窓が多く設けられている。今も肌に風を感じるのだが……
『……どうやら、窓以外のところにも空気の流れがあるようであるな』
イーラが鼻をひくつかせる。アトラは頷いた。
「そうなの。確か、こっちの方だったかな……?」
小さい頃の記憶を頼りに、壁際に作りつけられた木棚の陰に回り込む。
「ええと……そう、ここだわ」
部屋の角、それぞれの壁にぴったりと付けられた棚が入れ違うところに隙間がある。それはもちろん、棚のリネンを出しやすくするためなのだが……
アトラは周囲を見回した。ここへ来るときにも人には会わなかったから大丈夫だと思うのだが、念のためだ。イーラに視線で確認するが、人の気配は無いと声が返ってくる。
アトラは頷き、引っ張り出した記憶の通りに壁石のくぼみに手をかけた。力を込めると、ゆっくりだが動く。他の壁石と同じ種類なのは表面だけで、裏に車輪のついた仕掛けがあるのだ。
動かすと、大人でも身を屈めれば通れそうな穴が口を開けた。イーラが通るのは少しきつそうだが、翼を畳めばなんとかなるだろう。猫は驚くほど狭い隙間を通り抜けられるものだし、獅子型の魔獣であるイーラも似たようなものだろう。
『……今、なにか我に失礼なことを考えなんだか?』
「気のせいよ。通れそう?」
『問題ない。しかしそうか、隠し通路か。よく知っておったな』
「小さい頃に、たしか王妃殿下付きの侍女に教えてもらったはず。王族がたに近しいと城のそうした構造を知る機会もありそうよね。ここは別に知られても防犯上あまり問題がないだろう場所だし、危険もないから教えてもらえたのだと思うわ」
身を屈めて通路に入りながらアトラは答えた。最初の入り口だけは狭いが、入ってしまえばただの通路だ。埃っぽいが、明かり取りの小さい窓もついていて足元は見える。小さい頃は蜘蛛の巣をひっかけてしまった記憶があるが、今は特にそうしたことはなさそうだ。……誰かがここを通ったのだ。
先ほど素通りした扉の裏へ、回り込むかたちで通路は続いていく。歩きながら、アトラはイーラに念押しをした。
「注意してね、イーラ。何があるか分からないから」
『主こそ注意せよ。足音が殺し切れておらぬぞ。声もうるさい』
「…………」
足音を殺すとか、魔獣のように会話するとか、そんな人間離れした高等技術を身につけてはいない。無茶を言うとは思ったが、言われたことはもっともなので口をつぐむ。
どうやら通路は一本道で、迷う心配がないらしいと分かったイーラが先に立った。無造作に歩いているようでいて足音がまったく立っていない。見習いたいが、どうしても靴音が立ってしまう。もっとゆっくり歩けばもう少しましになりそうだが、イーラは先を急ぎたがるように率先して尖塔の中に足を踏み入れた。




