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大きな鳥が横切ったのだろうか。アトラはそう考えて一瞬だけ意識を窓の向こうに向けたものの、すぐ視線を説教壇に戻した。多くの列席者もアトラと同じように考えたらしく、特に騒ぎになることもなく式はそのまま続行するかと思われた。
「――伏せろ!」
モーリスの大声が響くまでは。
「!?」
アトラはとっさに反応できなかったが、モーリスが強引に抱き込むようにして自身の背中を盾にするかたちで庇った。
次の瞬間だった。一斉に硝子が割れて弾ける音がして、人々の間から悲鳴が起こった。庇われているアトラには見えなかったが、窓という窓が割れたのだ。説教壇の真後ろにある大きな薔薇窓も、明かり取りにもなっている他の大きな硝子窓も。粉々になった硝子が降り注ぎ、人々がパニックになる。
「魔獣だ!」
「なに!? なんで!?」
「いやあっ!?」
そちこちで混乱と恐怖の叫びが上がる。窓が割れたのにはとうぜん原因があり、それが――硝子の破片から庇われたアトラも、モーリスの腕の中から見た。魔獣だ。翼ある魔獣たちがけたたましく鳴き叫びながら聖堂の屋根や窓に蹴りを入れ、嘴でつつき、体当たりをし……攻撃を加えている。
魔獣たちが中に入り込んでくるのは時間の問題だった。割れた窓からさっそく一体、そして次の一体と、大きな翼を器用に動かして入ってくる。人々は恐慌状態になり、へたり込む者、逃げようとして他人につまづく者、出口に殺到して折り重なる者と大混乱だ。
アトラはモーリスの服を掴み、目を見開いて震える口を開いた。
「モーリス様……魔獣がおかしいです!」
こんな狂ったような魔獣の姿など見たことがない。魔獣が危険な生き物であることはもちろん皆が承知しているが、それは身体能力や知性の高さといった力に関するものだ。野生の魔獣ならともかく、人間の領域で暮らす魔獣がこんなふうに直接人間に害を加えようとするような、そんな話など聞いたことがない。
「魔珠が意図的に傷つけられようとしているか、それとも意識されず粗略に扱われようとしているか、可能性としてはそのあたりだ。狂いかけている」
「そんな!? どうすれば……!」
モーリスの冷静な口調に頼もしさを感じればいいのか、それとも焦りを感じればいいのか。人々の恐慌が伝播したように、魔獣たちもますます興奮して騒々しい声を上げる。魔獣に慣れたアトラですら恐ろしいのだから当然だが、失神している女性や、我先に逃げようとしている男性などもいる。
「――魔獣公爵のしわざだ!」
混乱の中、その声は公爵のそれに負けないくらいによく通った。通って当然だ。ここにいる貴族たちは多かれ少なかれその声を聞いて頭を垂れた経験があるのだから。
第一王子エゼルが叫んでいるのだ。説教壇の上から、まるで託宣を述べるかのように声を張る。花嫁を庇うように片腕で抱きしめて、他方の腕でこちらをまっすぐに指している。
「私がウィリディスと結婚することを発表した後、その姉を連れていき、魔獣を増産するなどこちらを牽制するように動いていたが……とうとう実力行使に出たか! 私の大事なクラーウィス臣民を傷つけようとするなど言語道断だ!」
ところどころ微妙に合っているせいか、言葉に妙な説得力がある。混乱と恐怖で冷静な思考ができない人々の頭に、エゼルの言葉がすっと入っていく。
「そうだ、魔獣公爵のせいだ!」
「魔獣たちをなんとかしろ!」
矛先と敵意がこちらへ向かってきた。しかしモーリスはそれらを歯牙にもかけず、狂いかけた魔獣を痛ましそうに見ている。「かわいそうに……」と呟いているのは魔獣に対してであり、そうした人々に対してではない。これは確かに「魔獣公爵」と言われて当然だ。アトラは一人で納得した。
しかしモーリスの腕は緩まず、アトラを守ってくれている。魔獣に意識の半分を向けながらも、アトラに残りの半分を向けてくれている。
(……それなら私も、モーリス様のためにできることをしないと)
彼が魔獣に注意を向けるのなら、人々に注意を向けるのはアトラの役目だ。そう考えたアトラがエゼルの方を注視すると、彼の腕にすがっていたウィリディスと目が合った。すぐに逸らされて表情が読めなかったが、なんだか引っかかる。
「そうだ、『魔獣公爵』を公爵位に据えておくのは危険だ! ただでさえ扱いの難しい魔獣を、こんな魔獣贔屓の変人が領地で数多く飼育しているのだぞ!? 王国にとって危険ではないか! だからこんな大ごとが起こるのだ!」
追従するように声を張るのはマヌスだ。叔父の立場から甥を庇おうとするのではなく、むしろ逆に貶めようとしている。アトラも身内に敵がいる――というか敵しかいない――身なので、モーリスに思わず同情してしまった。身内だから仲がいいとは限らないものだ。
だが、マヌスの言葉に惑わされず、きちんと見ていた者がいたら分かったはずだ。狂いかけた魔獣は、「魔獣公爵」のことをも狙いとして定めている。
大鷲の魔獣が、鋭い鉤爪のついた足でモーリスを蹴ろうとするように突っ込んできた。




