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 祝賀の婚礼の日は約束されたような好天だった。季節は秋の初め、青空が高く澄み、まだ夏の名残の緑が残る街道で王都の人々が花びらを撒いて王室の婚礼を祝う。

 天からも地からも祝福されたような吉き日だが、新たに王子妃となるウィリディスの心中は荒れ模様だった。

(どうして!? どうしてこんなに、何もかもが上手く行かないの!?)

 苛々と爪を噛み――そうになって、整えられた爪先をぎざぎざにしてはいけないと寸でのところで思い出す。きれいにやすり掛けをされ、専用の保護液やら光沢と色を出す塗料やらを施された爪は、それ自体が一種の芸術品だ。爪の代わりにウィリディスは薄い手袋を噛み、ぎりぎりと繊維に歯を立てた。その様子を侍女たちが恐々としながら見ている。そのことにいっそう苛立ちが募る。

 怒鳴りつけてやろうかと口を開きかけ、しかしウィリディスは代わりにテーブルからティーカップを取り上げた。大事な日に喉を痛めてはいけないから、代わりに物に当たることにする。繊細な絵付けの高価な白磁、何とかとかいう名工の手になるらしいそれを躊躇いなく床に叩きつけた。がしゃんと耳障りな音がして、瀟洒なカップが粉々に砕けた。ついでに受け皿も一緒に砕き、ようやく少しだけ気が晴れる。

「うっかり落としてしまったわ。片づけておいて」

「……かしこまりました」

 侍女だかメイドだかの誰かが、すぐさまウィリディスの言いつけに従う。その様子に鼻を鳴らし、ウィリディスは窓の外を見やった。

 ここは王城の中でも奥まったあたりで、王族たちの私的な空間だ。代々の王女たちが住んでいたという由緒ある部屋の一室から、秋晴れの王都を見下ろす。涼しい風が吹き渡っているが、一向に気が晴れない。

 部屋の中にいる侍女やメイドたちは全員がウィリディスのためにと用意された人員だ。名前はもちろん、それぞれの役目もいちいち覚えるつもりなどない。職務と言いつけに従ってくれればそれでいい。

(……つまらないわ。苛め甲斐がないのだもの。その点、お姉様は反抗的で面白かったのだけど……)

 半分だけ閉じた窓硝子に映る侍女たちは、ちらちらとこちらを気にしながらも不平不満を言うこともなく、ただびくびくと子兎のように怯えながら片づけを進めたり、言いつけがあったらすぐに応えられるようにと控えたりしている。その従順な様子には満足だが、不満だ。面白くない。

 姉のアトラは、ウィリディスにとって目の上のたんこぶであり、苛め甲斐のある玩具であり、憎しみの対象でもあった。

 ウィリディスは自分の立場が弱かったことを自覚している。法の隙をつく形で母が伯爵の後妻に収まったが、伯爵に飽きられればそれまでだ。幸いなことに父は母の容姿を気に入っていたし、娘のウィリディスを溺愛してくれたが、こうやって王子妃という立場を手に入れるまでは心のどこかで不安だった。愛情など不確かなものだから、いつ手の平を返されるか分からない。飽きられて母ともども市井の生活に戻るなどまっぴらだったし、今さら戻れるとも思えない。

 姉さえいなければ。血統が正しく、立場も正しく、嫡子であるアトラさえいなければ、ウィリディスはこんな風に不安な気持ちにならずに済んだのに。ウィリディスが市井で細々と暮らしていた期間も、姉は伯爵令嬢として何不自由ない生活を送っていたのだと思うと、本当に腹が立つ。それらは全部、自分にこそ欲しかったのに。

 そんな鬱憤をぶつける形で、ついでに父に調子を合わせたというのもあるが、ウィリディスはアトラを扱き使った。貴族らしからぬ仕事を全部やらせて、立場も婚約者も取り上げて、いらないものを押し付けて、誇りを踏みにじってやった。

 それなのに、どうやって心を保っていたのか、姉は折れなかった。普通の貴族令嬢であれば心身を壊して儚くなるだろうところを、姉は平民そこのけのしたたかさで耐え忍んでいた。黒髪が灰にまみれて一層みすぼらしくなろうとも、背筋を伸ばして、瞳の奥には気概を灯して、絶対に諦めようとしなかった。

 それがどれだけ忌々しくて、同時にいびり甲斐があったことか。心を折ってやるつもりが、業を煮やして直接的な手段に訴えてしまったほどに。魔獣をけしかけた時は心底から愉快だったが、後から少し悔いたのだ。まだまだ壊れていない玩具を暖炉に投げ込むような真似をしてしまったのではないかと。

 だが、姉は死ななかった。それどころか魔獣を手なずけ、いっそうウィリディスの気持ちをささくれ立たせた。魔獣はエゼル王子が、婚約者のウィリディスに箔をつけるために購入の手配を整えてくれたものだったのに。

 その魔獣をだしに夜会を開き、エゼルとの結婚の予定を大々的に発表し、姉を徹底的に貶めて、貴族社会から追放してやろうとしたのに……

 ……あの「魔獣公爵」が現れてから。なぜか姉のことを気に入ったらしいあの公爵が姉を連れて行ってから。

 ウィリディスの周りで、すべての歯車が狂い出した。

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