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「…………。……第一王子殿下が……?」
「ありえない、と言いたそうな顔だな。たしかにあなたの妹君の嫁ぎ先であるし、かつてはあなたの婚約者であったと聞くが。夜会での軽率な振る舞いを見ても、底の浅さは知れると思うのだが……まだ彼の者に心を残しているのか?」
モーリスがアトラに視線を向ける。咎めるものではなかったが、かといって歓迎するものでもない。妬心と言うには淡いが、納得できないといったような感じだ。
アトラは首を振った。
「ありえない……と思ってはいますが。あの人がそんなことをするはずがない、ではなく、あの人がそんなことを出来るはずがない、と思っています」
『そっちか』
イーラの突っ込みが聞こえたわけでもないだろうが、モーリスが吹き出した。
アトラは誰にともなく弁明するように言った。
「だって、本当にそうなんです。婚約者ではありましたが……だからこそ、人となりは見てきています。第一位の王位継承権を持たせることが危うく思えるくらい、短慮です」
不敬罪だろうが構うものか。敬われることをしてこなかったのはあちらだ。つくづく、婚約破棄されてよかったと思う。うっかり王妃などになってしまっていたら、フォローがとんでもなく大変だっただろうし……モーリスのところに来ることもなかっただろう。代わりに横にいるのがあの顔だけ王子だったと思うと暗澹たる気分になる。嬉々として婚約者に収まってくれたウィリディスには感謝してもいいくらいだ。
王子へ辛辣な評価をするアトラの言葉で、モーリスはなぜだかいくぶん機嫌が上向いたようだった。とはいえ王子への手厳しさは変わらない。
「なにも本人がすべて考えて行っているとも限らない。むしろそうではない可能性の方が高そうだし、そちらの方が深刻だ。周りにそそのかされたり、いいように動かされたり、自分が何をしているのかよく理解していなかったり……いろいろと推測はできる」
(ああ、どれもありそう……)
遠い目でアトラは納得した。エゼルの見た目だけは清廉潔白な王子様だが、中身はただの考えなしだ。どろどろした悪事を自分で主導して実行するとは思わないが、そうと知らずに名前を貸して巻き込まれたり、何の気なしに加担したり、そういうことをしでかしそうな人だ。
「まあ、推測は推測でしかないのだが。私の叔父と繋がっているのが第一王子だろうというのも推測だが、こちらはかなり確度が高い。叔父と第一王子との間に頻繁な書簡のやり取りがあることは掴んでいるし、叔父が自身の管理する土地で登録数以上の魔獣を飼育している節もある。どうやら王子の婚礼に合わせて増やしたようなのだ。どちらもやろうと思えばすぐにでも証拠を掴めそうだが、それをすると第一王子側にたどり着くまでに時間がかかり、クラーウィス側に逃げる隙を与えてしまうだろう。ひとまず泳がせている状態だ」
そこまで説明してモーリスは息をつき、お茶で喉を潤した。だいたいのことを伝え終えたということらしい。
アトラもモーリスに倣ってお茶に手を伸ばした。ポットにカバーを掛けてあったおかげで、まだ温かさが残っている。お茶は渋くなっているが、頭をはっきりさせるにはこのくらいでいい。いろいろと考えつつ飲み下して、アトラはとうとう観念した。
「第一王子殿下と私の妹の婚礼で、何かが動きそうだということですね。モーリス様だけでなく叔父君もクラーウィスの王都に赴かれるのですね。私ももちろん、行かないわけにはいかないでしょうし……」
「行かなくていいと言いたいところだし、何があるか分からないから行かせたくない気持ちもあるのだが。だが、あなたの実家も関わってくる事柄だ。あなたの知らないところで進めたくはない」
『我は行くぞ。彼奴らが何を企んでおるのか何も考えておらぬのか知らぬが、受けた恨みは忘れぬ。お主も我の契約者であるなら、誇りを忘れるな。奪われたものを取り戻しに行く気概を見せよ』
待ちきれないとばかり、イーラは立ち上がりつつ前足で床を掻くような仕草をした。その様子に感化されたのか、王獣も翼をぶわりと膨らませる。
『儂も行くぞ。世継ぎの王子の婚礼という大事ともなれば儂の出席も拒まれるまい。むしろ箔がつくというものだろうて。もちろん祝う気持ちなど有らぬし、儂の魔珠を奪ってこちらの首根っこを掴んだ気でいる若造どもに目にもの見せてくれるわ』
「…………結婚式に出席するという話ですよね……?」
それがどうしてこうも、好戦的で殺伐とした話になっているのか。新郎新婦の前途や王国の未来を祝しようという建前すらもどこかに行って行方不明だ。
(いえ、分かるわよ、分かるけども!)
魔獣たちの言葉をモーリスに通訳しながら、アトラは内心の混乱を顔に出さないように抑えるのにいっぱいいっぱいだった。
ウィリディスは、半分とはいえ血が繋がった妹だ。その妹の輿入れなのだから喜ぶべきことだが、彼女からは間接的に殺されかかったし姉妹仲は最悪だ。自分はどういう立場で、どういう顔で行けばいいのだろう。
「何も案じるな、アトラ。私はいつでもあなたの味方だから」
アトラの内心を読んだかのように、モーリスが言った。




