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密輸、とアトラは小さく繰り返した。まるでテネブレ公爵領とクラーウィス王国が外国同士であるかのような言い方だが、テネブレの人の認識はこういうものかもしれない。それはともかく、言わんとしていることの意味は分かる。その深刻さも。
「当主たるモーリス様に黙って、密売ですか……」
「ああ。その人物も当たりがついている。それなりの力と立場がないとそんなことはできないしな。昼食会にも来ていたのだが、私の叔父だろう」
昼食会では通訳でいっぱいいっぱいで、誰がどんな立場なのかきちんと把握できていなかった。話の流れで分かる者もいたが、それも数人だ。その他は、なんだか偉い人がたくさんいる、くらいの認識だった。
「言ってくだされば注意して見ましたのに……」
「悪かった。先に言おうかとも思ったのだが、余計なことで煩わせるのもどうかと思ってな。それに、態度に出て勘づかれるのも避けたかった」
確かに、先に知らされていたら変に意識を向けてしまっていたかもしれない。
「たしかに腹芸ができたかは自信がありませんが……どの人なのかは知っておきたかったです。公爵家の方々がお集まりになる機会に私が混ぜてもらえることなんて、そうそうありませんし。次に通訳が必要になるのはいつになるのか……」
「機会は作ろうと思えば作れるし、そもそも、言えば思い出すと思うぞ。やたら私に突っかかってきた口髭の男がいただろう。あの人がそうだ」
「そういえば、そんな人がいましたね。恰幅がよくて、しきりに口髭を触る癖がある男性が……」
「そう、その人が叔父のマヌスだ。テネブレ公爵家は別に直系相続というわけではなくて、兄から弟とか、従兄から従弟とか、叔父から甥とか、傍系での継承も珍しくない。一族のなかで王獣どのに認められた者が継ぐ、としか決まっていないからな。それなのに、本当に王獣に認められたのかなどと難癖をつけて当主の座を狙ってくるのだ」
『もちろん、儂は認めておらぬぞ。契約を継ぐ者は一人きり。そもそも儂は、あの者の心根が気に入らぬ』
王獣はばさりと翼をはためかせて心の声を零す。
テネブレ公爵家は王獣が絡むから特殊だが、そもそも貴族の地位の継承はいろいろとごたつくものだ。テネブレ公爵家ともなれば当主の権力はアトラの想像が及ばないくらい強いし、影響力も大きいし、もちろん財力もついてくる。マヌスは魔獣を密輸しているというが、そうして不正に富を蓄えることも、当主であればさらにやりやすくなるだろう。
「テネブレ公爵家において、王獣どののご意思は絶対だ。たとえ公爵家の誰も王獣どののお声を聞けなくても、そのご意思が奈辺にあるかは自ずから知れる。王獣どのは私に寄り添ってくださった」
『儂の声は聞こえずとも、儂にはこの者の心が聞こえた。契約を継ぐ者はこの者をおいて有らぬ。ましてその者は魔獣を私欲で利用しておる。話にならぬ。儂が直々に制裁をくれてやってもよいのだが……』
物騒な気配を察したのか、モーリスがアトラに通訳を求める目線を送った。それに応えて王獣の言葉を伝えると、モーリスは軽く顔をしかめながら言った。
「王獣どのの手を汚させることは避けたいですし……今は昔と時代が違います。魔獣と人との衝突が多かった時代ならともかく、現代で王獣どのがお力を見せてしまうと……変に恐れられて事がこじれてしまうかもしれません。それに、悪事をはたらいているのは叔父だけではないのです。取引相手も一緒に押さえなければ」
それは確かに、とアトラは頷いた。当然だが、魔獣を違法に売る者がいれば、買う者もいる。密売は相手あってのものだ。相手が違法性を承知していないわけがないのだから、共犯と言っていいだろう。そしてその共犯者は、クラーウィス王国内でもそれなりの力がある者のはずだ。
(……何か、嫌な予感がしてきたのだけど……)
アトラはちらりとイーラを見た。優雅に座ってぱたりと時折尾を振っている黄金の獅子の魔獣を。違法に取引された結果ラクス家にやってきたイーラは、その前はどこにいたのだったか。
『我も、その叔父とやらを知っているわけではない。手の者にやらせて自身は我の前に出てこなかったからな。会っていれば匂いなどで分かるのだが……』
いかにも魔獣らしいことを言い、イーラは心の声で続けた。
『お主のところに売られてくる前、我はクラーウィスの王城にいた。城といっても広いし、人目につかぬ場所などいくらでもある。だが当然、王族の関与はあったであろうな』
「イーラは何と?」
イーラの方を見ながら沈黙するアトラに、モーリスが促した。通訳すると現実を認めることになりそうで嫌だが、しないわけにもいかない。伝えると、モーリスは頷いた。
「魔獣が売られていった経路はまだ確かめられていないが、あなたとイーラがいれば特定は速いだろう。王族の関与は間違いないだろうし……私はそれを、第一王子だろうと見ている」




