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当初の予定とは違った形になったようだが、帰還した王獣のもてなしにアトラも加わることになった。
公爵お抱えの調教師たちを手伝う形で水浴びの準備を整え、汚れ落とし用の粉を用意し、翼や毛並みを整えるための各種のブラシなどを揃える。用意が終わったら王獣の身を清めるところも、畏れ多いと思いながら見学させてもらった。王獣の気さくな性格を知っているから平気でいられるが、それがなければずっと目を伏せていたかもしれない。そのくらい、王獣には気品があった。貴人がうやうやしく傅かれながら身支度を整えていくのに似ている。まじまじと見るのは失礼だと思わされてしまうのだ。
『そんなところで固まっておらんで、少し代わってくれんか? むさくるしい男どもではなく、お嬢さんに儂の翼を触ってもらいたいのだが』
そんな声も聞こえてきたが、ひたすら聞こえないふりでやりすごした。どう反応していいか分からない。結果的に無視する形になってしまったが、王獣は怒る様子もなく機嫌よく「男ども」に翼などの手入れをさせていた。からかわれたのだろうが、少しくらいは本気だったような気もする。
王獣の身支度が整うと、次は食事だ。驚いたことに、人が食べるものと同じ御馳走が並んでいる。その席にはモーリス以下、公爵邸で主だった者が出席していた。アトラが知っているのは家令やモーリスの傍仕えくらいだが、他にも立場のありそうな者たちが列席している。昼食を食べながら、口々に王獣に向かって語りかけている。留守中にこんなことがあった、この地方での天候不順が気にかかる、魔獣の群れがどこそこで目撃されたようだ、そうした雑多とも過多とも思える情報量を、王獣は鳥のくちばしで御馳走を啄みながら、ときおり首を傾けたりしつつ聞いている。
『まったく、魔獣使いが荒い連中だわい。いくら人間のように疲れることがないからといって、もう少し年寄りを労わってくれてもいいと思うがの。お嬢さんもそう思わんか?』
心の声が伝わってくるが、それに返事をするのも躊躇われる。色々な人が大事そうなことを話しているときに、当の王獣は呑気すぎるようにも見える。
だが、その印象もそこまでだった。ゴブレットにくちばしを突っ込んで葡萄酒を飲んだ王獣は、アトラに通訳を命じたのだ。
『いちいち文字や単語を指すのはまだるっこしくて敵わん。お嬢さん、すまぬが儂の言葉を代弁してほしい。若い者は使わんとな』
アトラがろくに反応もできないまま、王獣は流れるように伝えてきた。
『留守中に儂を訪ねてきたという隣国の貴族とやらについては、少し注意した方がいいかもしれんな。儂の巡回の日程がある程度規則的になってしまうのは仕方ないことだが、外部にはっきり特定されると防衛に穴が開くやも知れぬ。ろくな用事を持たずに来たということは、儂の動きを探るつもりだということで……』
「ちょっと待ってください!? もう少しゆっくり!」
アトラは悲鳴を上げたが、王獣が手控えをする様子はない。しれっとした顔で――猛禽の表情など分からないが、黄金の瞳が完全に面白がっている――思考を垂れ流し続けている。それを拾えるのはアトラしかいないというのに。
(ええい、こうなったら仕方ない!)
外国語の通訳よりはまだましだろう。聞こえてきた言葉をそのまま繰り返せばいいのだから。そう開き直り、アトラは口を開いて代弁に務めた。
「………………」
ようやく王獣が話し終わり、出席者たちも満足し、先に退出してよいとモーリスからの許しを得て彼ら彼女らが退席した後。アトラは何も言う元気もなく。からからになった喉を葡萄酒で潤していた。
「アトラ、礼を言う。いつもはこんなに早く話が済むことなどないのだ。夜までかかったり、長ければ翌日に持ち越されたりするものなのだが」
(それは、あれだけの濃さの情報をやり取りしたら時間もかかるわよね……)
税収の話とか、どこそこの町の長の動きが怪しいとか、その対応をどうするとか、部外者が聞いてはいけないことをたくさん聞いてしまった気がする。出席者たちはモーリスが許しているのだからとアトラの前で色々な話をしたのだろうが、そのモーリスは外堀を埋める意図があったのではないだろうか。テネブレ領に深く関わり始めてしまったアトラは、どんどん逃げ出しにくくなっている。別に逃げるつもりなどないのだが、釈然としない。
口を開かず――こんなに一気に喋ったことなどないから顎や頬が引きつりそうだ――モーリスにじとっとした視線を送ると、無駄に爽やかな笑顔が返ってきた。それで確信した。意図的だ。
抗議の視線を返しつつ――悪い気はしない。疲れても、実家で感じていたような重苦しい疲労感とは明らかに違う。ここではアトラの行いに――感謝してくれる人がいる。こちらからももっと役立ちたいと思える。その違いが、こんなにも大きい。
『儂からも感謝を。助かったぞ、お嬢さん』
「いえ、まだまだです。思考の速さに追いつけなくて拾いきれなかった言葉がたくさんありましたし、練習が必要ですね」
そう返したアトラに、王獣とモーリスは目を見交わし、何だか分かり合ったような頷きを交わしていた。




