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「ぐるるる……」
イーラが唸った。不機嫌さが如実に表れているが、公爵にはまったく臆した様子がない。片眉を上げただけだ。
「契約者のつがいが私では不満か? イーラなる名前を与えられた契約獣よ」
「ぐるるるる……」
イーラがアトラを庇うように公爵との間に割って入った。噛みつきこそしないものの牙を剥き出して唸っており、公爵でなければ怖じけて逃げ出すところだろう。
「忠実だな。よく馴らされている」
『好き勝手なことばかり述べて……自由にしてもらった恩と我の忍耐がいつまで釣り合うか分らんぞ?』
「…………あの、ちょっと待って!?」
まるで自分を庇うかのようなイーラと、険悪になっていく空気と、その空気を感じているだろうに頓着する様子のない公爵。……そして、言われた言葉も。何から何まで、アトラの理解を超えている。
ちょうど曲がり道で大きめの石でも踏んだのだろうか、馬車ががたりと揺れた。懸架装置によって揺れが少なく抑えられた上等な馬車とはいえ、そういうこともある。アトラは体が揺さぶられて壁にぶつかりそうになったが、そこを公爵に助けられた。自身は背を壁に当てて体勢を支え、アトラが痛い思いをしないように腕を伸ばしてくれた。
「あの、ありがとうございます……」
さっぱり訳の分からない状況だが、それとお礼とは別だ。馬車に乗るのも久しぶりだし、こんなふうに庇ってくれる人も母以来だ。庇うどころか嬉々として痛めつけてくる人ばかりだったので、なおさらありがたさが深い。
公爵は黄金の目を和ませた。そうしてみると少し垂れた目元が例えようもなく色っぽい。黒髪の伊達男というのは南部の男性のひとつの典型だが、公爵はその頂点に立っているように思える。
おもわず怯んでしまう。自分は身なりを整えたとはいえ肌も髪も荒れており、貴族令嬢にはあるまじき様子だ。その自分を、ことにあろうもこの公爵が……「つがい」などと。
「その……聞き間違いだったら申し訳ないのですが、私のことをつがいと仰いました……?」
「言った。聞き間違いではないぞ。私にとって、これから先の生を分かち合うべき存在だ」
『ほら、だから言ったではないか。求婚されていると』
イーラが面白くなさそうに伝えてくる。説明はありがたいのだが、とどめを刺された気分だ。
「嘘でしょう……?」
「嘘なものか。一目見たときに分かった。あなたこそ私のつがいだと。立場は何でもいいから、とにかく私のところに来てもらわなければならないと」
「…………」
どうやら、本当にそういうことらしい。当然のことながら求婚されたのなんて生まれて初めてだ。一応は第一王子という婚約者がいたから、結婚どころか恋愛ですら縁がなかった。王子に操を立てていたわけではないが、義理立てはしていた。まったくもって無駄だったわけだが。
そういえば、アトラがどういった立場に置かれるかという話もまだ公爵と詰めていない。急き立てられるようにして伯爵邸を出たから、ゆっくりと話をする時間など馬車に乗り込むまで取れなかったのだ。公爵はデルウェンと話をして――話というか、脅したり賺したりしたのだろうと思っているが――イーラの魔珠と、イーラとアトラの自由とをもぎ取った。デルウェンが冷静になったり後悔したり他から助力を得たりして話をひっくり返す前にということだろう、イーラとアトラは公爵領へと招かれている。
その道中、さあゆっくり話ができるようになった、と思ったらこういう話になって、体も心もまったく休まらない。
それでも、話を進めないわけにはいかないので――その方がまだ精神的に楽だ――、アトラはなんとか言葉を返した。
「無知と失礼をお許しいただきたいのですが、閣下は結婚しておられないということでしょうか」
「ああ、独身だ。婚約者も恋人もいない。女性を知らないとは言わないが、継続的に関係を持っていたり後腐れがあったりするようなことはない。もちろん、あなたを迎え入れたらそのようなことはしない」
「……そう、ですか……」
それはもちろん、アトラをそういった対象として見るということだ。公爵の過去の女性関係について突っ込むつもりはないし、その宣言が誠実さだというのは分かるのだが……いかんせん、頭がついていかない。とにかく、アトラを妻として迎え入れるつもりだということだけは分かった。
「不満は分かる。私も、あなたともっと早く出会えていたらそのようなことはしなかったのだが」
「…………!」
そんなことを真摯に言われてしまうと、免疫のないアトラはどうしていいか分からない。
だが、公爵が嘘をついていないことは伝わってきた。自分の感覚など当てにならないが、もしも公爵が不誠実ならきっとイーラは黙っていない。イーラと心を交わすうちに気づいたのだが、イーラは意外と面倒見がいい。
イーラのことを考えたおかげで、思いついたことがあった。
「その……閣下。『魔獣公爵』たる閣下が仰るつがいというのは、もしかして……魔獣にとってのつがいと同じ意味だったりします……?」
魔獣にはもちろん結婚という概念がないが、雌雄でつがいを作る。そして次代を生む。魔獣の生まれ方は謎に包まれており――少なくともアトラは知らない――、人工的な繁殖は不可能だ。そして魔獣は、生涯つがいを変えない。後から心変わりをするようなこともなく、出会った瞬間につがいを定めるのだという。
公爵は頷いた。
「その通りだ。私の一族は幼少の頃から魔獣と共に暮らす。先祖代々そうしてきたためか、感覚などが少し魔獣に近いのだ」
「……なるほど、そうなのですね。魔獣に……」
魔獣の心の声は聞こえていないようなのにイーラとアトラの関係を見抜いたのも、だからなのだろう。
だから――つがいというのも、そういう意味だ。




