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『自由になったのは嬉しいが……嬉しいのだが! 彼奴らにやり返さないと我の気が済まぬ!』

「気持ちは分かるし、止める気もないけれど……今はとりあえずラクス領を離れないと」

 公爵が手配してくれた大きな馬車――曳くのは馬ではなく、馬型の魔獣だが――に乗って移動しながら、吠えるイーラをアトラは宥めた。

 乗り合いの幌馬車のように大きいから、そこまで小型ではない魔獣のイーラも一緒に乗り込める。そしてなぜか、公爵も一緒に乗っている。

 公爵が苦笑しながら口を挟んだ。

「止める気もない、と。レディも相当ひどい扱いを受けてきたようだし、彼らは痛い目を見るべきだな」

「いえ、痛い目を見せてやりたいとは思いますが、イーラの手を汚させたいわけではなくて。したければ自分でやります。そうではなくて、止める気がないというのは……何というか、自分がそれを止めるのは違うのではないかと思うので。イーラの怒りは正当ですし、それを押し込めろと他者が意思を捻じ曲げるのは筋違いで、罪深くさえあるような気がして……」

 他者に向かってああしろとかこうすべきとか言うのは、一歩間違えれば本当に傲慢な行いになりうる。自分の意思を捻じ曲げられ続けてきたアトラだからこそ、それを実感している。

『…………お主は鈍いのか聡いのか分からぬ』

 イーラが尻尾をぱたりと振った。アトラは目を伏せた。

「でも、イーラがこれからも人間の領域で生き続けるのなら、傲慢を承知で止めた方がいいのかもしれないわ。難しいけれど……って、閣下!?」

 三度目にもなるとさすがに少しは慣れる。少しだけだが。抱きしめられて硬直し、かろうじて口だけを動かしたアトラの髪を、公爵が愛おしそうに撫でた。

「その真っ直ぐな在り方が眩しい。さすがは魔獣と意を通じる者だ。稀有な在り方だ」

『だからこそこやつは妹に憎まれたのだろうよ。父親の方はもっと底が浅そうだが』

 イーラの心の声は公爵に聞こえていない。アトラには聞こえているが、意味が分からない。それよりも髪を撫でられる感触に翻弄されている。

 優しくて、暖かくて、大事にされている感覚。慈しみを伝える感覚。もしかしてこれは、イーラがブラッシングのときに感じていた心地よさに近いのかもしれない。

『しっかりせぬか。お主は仮にも嫁入り前の娘だろうに』

 イーラがなぜだか過保護だが、言っていることは尤もだ。アトラはぼんやりする自分の頭を叱咤した。

「……その、閣下。少し距離が近すぎるのでは……」

「ん? ああ、失礼した。レディは南部貴族の縁者とはいえ、育ちは王都だったな。私たちにとっては抱擁が軽い挨拶なのだが、感覚が違うだろうな」

「軽い挨拶……」

 それはちょっと衝撃だ。別に残念だとか肩透かしだとか、そんなことは思っていない。文化の違いに驚いているだけだ。自分にそう言い聞かせる。

「レディが健気で可愛すぎるからつい手が出てしまうのだが」

(どっちなの!?)

 うっかり突っ込みそうになってしまう。いったい公爵がどういうつもりなのか、翻弄されていて分からない。

 夜会がウィリディスとエゼルの婚約発表会と化した後、会がお開きになるとさっそく公爵はイーラの魔珠をデルウェンに要求し、イーラとアトラを引き取る話をまとめた。デルウェンは高価な魔獣を手放すとなったらやっぱり惜しくなったらしくてごねたが、世話役のアトラがいなくなったら面倒ごとが膨大に増えるだろうこと、イーラを飼い続けてぼろが出たらウィリディスの輿入れの話もなくなるだろうこと、それらの理由の前には引き下がらざるを得なかった。無理してイーラを飼い続けていたら絶対にどこかで無理が出ただろうとアトラも思う。

 継母オーリアは当然のように夫の意見に同意したが、ウィリディスが大人しく話を受け入れたことがアトラには意外だった。しかし本人いわく「飽きちゃった」「今は王子妃になる準備で忙しいもの」とのことで、魔獣を何だと思っているのか問い詰めたいのを堪えるのが大変だった。あの様子では、たとえ魔獣でなく犬や猫だったとしても、まともに飼い続けていられたとは思えない。

 イーラはもちろんのこと、アトラも自分の持ち物と呼べるようなものはほとんどない。押し付けられたドレスその他をすべて突き返すと、悲しいほど何も残らなかった。母が大切にしていた調度品などは持ち出せるはずもなく、形見と呼べるような宝飾品も持っていない。寂しいが無いものは仕方ない。

 出立の用意はすぐに済み、夜会の次の日の朝には公爵とともに伯爵邸を出ていた。公爵はどうやら夜会の後も寝ずに伯爵邸で過ごしたらしいが、ずいぶんとタフな人だ。

「私のことを気にしてくれているのかな、レディ?」

「……っ、失礼しました!」

 いろいろと考えながら不躾に見てしまっていた。謝罪して顔をうつむけたが、その顎を公爵に捉えられた。強いられて目を合わせると、獣のような黄金の瞳に射すくめられる心地がした。

「私のことを、もっと見てほしい。私にとってあなたは、つがいになるべき人なのだから」

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