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「身の程を弁えてよね、お姉様」
――ああ、まただ。
「お姉様のものは全部、私のもの。お金もドレスも宝石も――婚約者の、王子様も」
また、妹は。
「でも、いらなくなったものはくれてやってもいいわ。流行遅れのドレスとか、口に合わないお菓子とか。あはは、傑作じゃない? 妹のお下がりを有難がる姉なんて」
有難がるわけなんてない。でも、そうしたものであっても受け取って足しにしないと、生きていけない。貴族令嬢の体面なんて無いに等しいけれど。人間として、せめてもの誇りは忘れない。
「じゃあ、庭掃除は頼んだわよ。薔薇には飽きちゃったから別のものを植えておいて。お茶会には間に合わせてね。私は王子様をお迎えに行かなくちゃ」
ふわふわした金髪をなびかせて妹が振り返る。可愛らしい顔に意地の悪い表情を乗せて、緑の目を細める。
「掃除が終わったら目につかないように下がっていてね。ふふ、そのみすぼらしい黒髪と格好では目立ちようがないでしょうけどね?」
何度も、何度も。自分の方が上なのだと、こちらの心を折りにくる。亡き母の遺産も、父も、婚約者も、ぜんぶ攫っていっても足りないとばかりに。いかにも少女らしい残酷さで。
アトラは目を伏せた。視界に自分の黒髪が揺れ、妹の華奢な靴が踏みにじっていった薔薇の花弁が映る。
アトラ・ラクスは伯爵令嬢だ。母方に王国南部の大貴族の血を継ぎ、母親同士の親交もあって第一王子の婚約者に定められていた。当人たちの意志も尊重するし、状況が変われば破棄も有り得るといったくらいの緩さではあったが――まさか、こんな形で破棄に至るとは母も王妃も想像すらしていなかったに違いない。
母も王妃も、すでに故人だ。たちの悪い流行病のせいだ。優しかった母も、叔母のように慕った王妃もいなくなってしまった。
だが状況は、アトラに悲しむ時間を与えてくれなかった。父が、再婚すると言って女性を連れてきたのだ。母親の喪が明けた直後のことだった。
それだけならまだなんとか理解の範疇ではあった。しかしその女性は子供を連れており、アトラと二歳しか変わらないその少女は、実際に血の繋がった妹なのだという。父はあろうことか、浮気相手とその子供を堂々と迎え入れるというのだ。
法的にどうなのかという問題はあったが、流行病のせいで法律が緩和されていた。後継ぎがいなくなった、相続に問題が出てきた、などなど多数の問題が発生したうえ司法機関も人手が足りない状況で、厳密な執行や適用が難しかったのだ。その穴をつく形で、父は二人を迎え入れた。
倫理的にどうなのかという問題も、状況が三人の味方をした。流行病で近しい人を失った者は多く、その寂しさを埋めるための再婚というものも同情と共感を以て受け入れられたのだ。
かくしてラクス伯爵家は三人家族から二人家族になり、かと思えばすぐに四人家族になり――アトラだけが弾かれることになった。
(勿体ない。綺麗な薔薇なのに……)
黙々と手を動かしながら、アトラは溜息をついた。勿体ないが植え替える場所は無いし、そんな勝手をする権限もない。せめて花弁だけでも使えるように、株を抜く前に花弁を集めているところだ。
飽きっぽいのは遺伝なのだろうか。妹だけでなく父も継母も飽きっぽい。自分にも父の血は流れているが、気質はあまり似ていない。
気質だけではない。外見も、アトラは母親似だ。
それが父には気に入らなかったらしい。
母は娘の目から見ても美人だったし、実家が侯爵家という高位でもあった。父を立てるようにしてはいたものの母の方が尊重される場面もあり、父が内心――と言うには隠せていなかったが――面白くないと思っていたことはアトラの目から見ても明らかだった。
だから自分よりも位が低く、気後れを感じさせない男爵令嬢――後妻になった女性のことだ――のもとに通ったのだろう。
後から分かったのだが、他にも大きな理由がある。女性が見事な金髪をしていることだ。
父も金髪で、特に王国北部には金髪の者が多い。伯爵領は王都の近くで北部というほどではないが、後妻の実家の男爵家は北部にある。金髪の後妻と、両親の金髪を受け継いだ妹を溺愛する様子を見てしまうと、嫌でも悟らざるを得ない。父は、政略で結ばれた母のことを愛してはいなかったのだと。自分の血筋に黒髪の形質を混ぜることを忌み嫌っているのだと。――アトラのことも、忌々しく思っているのだと。
実際にそう言っているのも聞いてしまったことがある。そのうえ、金髪が黒髪よりも尊ばれるのは王国全体の風潮だ。さすがに南部ではその風潮も弱いものの、ここ王都では根強い。
第一王子も例に漏れず金髪を好むということで、アトラとの婚約を破棄し、妹のウィリディスと改めて婚約を結んだ。同じラクス伯爵家だからいいだろうという理屈だ。そもそもの繋がりが母親同士なのだから理屈が通っていないのだが、それ以前に、そんな婚約者などこちらから願い下げだ。アトラは婚約破棄を受け入れ――こうやって妹と、妹の婚約者としてやって来る第一王子のために庭掃除をしているというわけだ。