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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

花火がてらす、らぶれたあ

作者: 一筆牡蠣




『ある暑い日の、とても些細な記憶』




***


しかし、難しいことだなぁと思うのです。

愛するということは。


表現のしかたは沢山あるように思えます。物をあげたり、手をつないだり、接吻をしたり、性交をしたり。

ただ、溢れてしまうのです。


わたしの器は小さすぎたのです。


愛はしってはいけなかった、知っては、いけなかった。


今は、とても興奮していますが、とても眠いのです。


***


じっとりと濡れたシャツが体に張り付き、顔をしかめる。


真夏の空は、とても濃い色をしている。人工的にあの色を作ることは可能なのだろうが、やはり空を手元に置くのは人間には不可能なのではないかと思う。


「なにしてるの、早く来なさい」


振り向いた母親に言われ、やっと足を止めていたことに気が付く。


張り付いたシャツを指でつまんではがしながら母親の背中を追いかける。


両脇には住宅が立ち並んでおり、塀が真っ直ぐに伸びている。どこにいるのか分からない蝉が、うるさいぐらいに鳴いている。


ふと、視界の端に何かが映る。


昨日雨が降ったからだろうか、ミミズがコンクリの地面の上で干からびている。もともとの色よりも濃い色になってカラカラになっている。


広い道だ。たぶんもといた場所に帰れなくなったのだろう。足の裏でコンクリの感触を感じながら、再び空を仰ぐ。


このあたりは家ばかりが立ち並んで、歩いていてもおもしろくない。

何度観ても変わらない景色に、つい、地面や空の変化を探してしまう。


目的地はもうすぐ。足を止めればまた母親に何か言われるだろう。


あまりよそ見はしないようにしよう。


**


母親は他の大人と話している。話の内容はたいしておもしろくもない。そのわりに相槌や反応が大きいから不思議だ。


「めずらしい、来てるんだ。」


不意に声をかけられて声の主を見る。白のワンピース、肩まで伸ばした艶のある黒髪。そして白い花の髪飾りをつけた少女が立っている。


「こういうの、興味ないと思ってた。」


続けて少女が言う。話しかけてきたにしてはあまり関心がない様子で。


一言で言えば、端正。そんな少女がまた口を開く。


「私、あんまりやりたくないんだよね、手伝いとか。せっかくの服も汚れちゃうし。」


大人たちに聞こえない程度の声で少女が愚痴をこぼす。愚痴を言いながら、少女は目を少し伏せた。長いまつげが光る。


ここは、このあたりでは比較的大きい公園である。申し訳程度に遊具が置かれているのが遠くに見える。そことフェンスで仕切られ学校のグラウンドにしては少し小さいぐらいの広場が広がっている。


その中心あたりに少女は立っている。


ところどころ芝生のようなものが生えているが、基本的に土や砂利がむき出しになっている粗雑な印象の広場だ。


この公園で、年に一度の地域の祭りが催される。ここの広場には屋台が立ち並び、食べ物やゲームができる予定だという。


母親も少女もその準備に来ているのだった。少女が立っている場所を中心にした大きな円に沿って高齢の男性たちが屋台を立てている。


ふらんくふると、わたあめ、やきそば、わなげ、くじ。


年をまたいでも変わらない出し物が目に入る。そのとき、少女の母と思しき人が声をあげる。


「あ、私行かなきゃ。お互いがんばろうね。」


少女はぱっと顔を上げると、そのままこちらに微笑み、駆け出す。


少女を目で追うと、空の色にも劣らないくらいの濃い緑の木々が公園を囲んでいるのが見える。


白、青、緑。夏だ、といまさらながらに実感する。


**


やることは至極単純であった。


輪投げの準備をするのだが、去年壊れてしまった備品を修繕するというのだ。今はガムテープを使って輪っかを修復している。


木陰にいるというのに、暑さは増していくような気がする。肌に張り付くシャツの不快感は変わらない。

蒸し暑い熱気は地面から上ってくるような気もする。

汗が数滴地面に落ちる。


地面では、忙しなくアリたちが動いている。ばらばらに動いているように見えて、実は意思疎通が取れているんだとか。不思議なものだ。


作業自体には特に苦戦を強いられない。ちぎれてしまったわっかをガムテープでぐるぐる巻きにしたり、折れてしまったポールを何とか立てて固定するだけなのだから。


しばらくそのまま作業をしていると、再び誰かが声をかけてくる。


「なぁ、これ、飲むかい」


柔らかい表情で顔をのぞかせる青年の手にはサイダーが握られていた。

青年も汗だくだ。


「さっきから休まず作業しているだろう。しっかり冷えてるから遠慮せずに飲みな。」


青年はサイダーを手渡し、首にかけたタオルで汗をぬぐう。黒いTシャツにジーパン。動きやすさを重視した格好の青年は、先ほどまで屋台を組み立てるのを手伝っていた。


屋台はだいぶ出来上がっているようで、男性たちが看板のようなものを取り付けるのに取りかかっている。かなり使い古されているのだろう、看板の塗装は所々が剥げていた。


物音がして公園の入り口に目を向けると、軽トラックが止まっており、器具を運んできたようである。何人かがそれを運ぶために公園の入り口に集まっていくのが目に入る。トラックの荷台の上でなにやら指示をしているような人もいる。


青年が手渡してきたサイダーは、確かにしっかりと冷えているようだ。


澄んだ透明。ふたを回すと軽い音がして子気味いい。喉を通る感触。口内、喉、そして胃とキンキンに冷えた液体が通過していくのが分かる。


満足そうな顔をした青年は再び屋台の方へと戻っていく。


**


作業は進み、ほとんどの修繕が終わった。陽は先ほどよりも傾いてきている。視線をあげると、この祭りの責任者が近づいてくるのが見えた。


仕事を頼みたい、とのことだが、まだ仕事が残っているので手が離せないと思う。しかし、その責任者のうしろから少年が現れる。


「あとは僕がやるから大丈夫だよ!」


半袖短パン、褐色の肌に元気のよさそうな表情が張り付いている。

右のひじのあたりには絆創膏が張られており、にこにこと、屈託のない笑顔でこちらを見ている。


後は簡単な作業しか残っていないため、特に迷うことなく、その少年に任せることにした。少年は仕事がもらえたのがうれしいらしく、文字通り飛び跳ねていた。


「うちの孫だ。かわいいだろう。」


責任者は嬉しそうに目を細める。

さて、と責任者が口を開き、君に頼みたいのは、子供用の花火を買ってくることだ、と言った。


毎年この祭りでは祭りの最後に花火をやるのだが、大きい、立派な花火だけではなく手にもてる子供用の花火も使う。その手持ち用の花火を買ってきてほしいとのことだ。


お金の入った封筒を責任者から手渡される。しわだらけの、クリーム色に近い封筒だ。

なくさないように、と釘を刺された。


責任者は他の作業している男性たちと比べればだいぶ若い方だが、それでも割とくたびれた表情をしていると思う。くたびれた男性は屋台の中に立ち並ぶ本部用のテントの方に戻っていく。


少年に残っている作業を伝え、公園を後にする。


**


近くの雑貨屋までは少し距離がある。この暑さのなかで歩くのは思っていたよりも大変であった。


公園の近くには幅のある川が流れており、その河川敷を歩いていく。


強い緑を発する低木が点々と生えている河川敷には犬の散歩をする人や健康のために走っている人がいる。


今日はあまり風がない。蒸し暑い、という表現が適当かもしれない。今日は何度暑いと思っただろう。走っている人も心なしか少ない気がする。


堤防に囲まれているので河川敷に入るには階段で上る必要があったが、それすらもかなり酷だった。


ふと、視線を落とす。


また、ミミズが干からびている。

もう少しで、芝生にたどり着けたのに、河川敷の舗装されたコンクリの道の上で干からびている。


水をあげれば復活するのだろうか、などと考えながらまた歩く。


空を見上げる。青い空が見える。でも、空まで登れば空は見えなくなるのだろうか。外から見える水と、水の中から見る水が違う様に。


そんなことを考えていると、いつの間にか雑貨屋の近くまで来ていた。階段を下りて河川敷から離脱し、街並みを歩いていく。


もうミミズがいないようにと願いながら、コンクリを踏みしめる。


**


責任者の人にもらったお金で雑貨屋で二番目ぐらいに大きな手持ち花火セットを買い、雑貨屋を後にする。


行きはそんなことなかった道も、帰りはとても歩きたくないと思うのは不思議だ。片付けが憂鬱なのと似ているかもしれないと思う。


再び河川敷の道を歩くために街並みから外れ、河川敷への階段を上る。


「なんでここにいるの?」


うつむきながら階段を上っていると、予期せず声を掛けられ、階段の上を見上げる。そこには、白いワンピースの少女がいた。


「あ、花火か、そっか」


手に持っている花火セットに気が付き少女は頬を緩める。せっかくなら一緒に帰ろうといわれ、そうすることにした。


思っていたよりも暑かったのだろうか、少女はつばの広い麦わら帽子をかぶっている。


白いリボンがあしらわれた麦わら帽子はワンピースとよく合っていると思う。


「私も、おつかい頼まれてたんだ」


少女がまっすぐ前を向いたまま言う。


「なんか、くじのための景品が足りないんだってさ。それであっちのほうの駄菓子屋に行ってたの。5等はお菓子だからさ。」


手に下げた布でできた袋を上げながら言う。中にはたくさんのお菓子が入っていた。


「ほんと、このあたりって不便だよね。車に乗れればスーパーまで行けるけど。歩いてだとちょっとね。駄菓子屋も近いわけじゃないし。」


公園はすこし街並みから外れた場所にある。そのため、どこに行くのも少し遠いのだ。


「今年はなに食べようか。」


少女は空を見上げながらこぼす。


「って言っても、毎年出店は同じなんだけどね。」


少女がはにかむ。白いワンピースの裾が揺れる。黒い髪が躍る。


少し、風が吹いている。


少女は少し歩く速度を落とし、川を眺める。ふと、視線を落とすと、ミミズが干からびている。


少女がこちらを見つめる。綺麗な黒い瞳に飲み込まれそうになる。


そして、少女はミミズを蹴とばす。


そして、屈託なく笑うのだった。


**


公園に帰るころには陽はかなり傾いており、空が赤くなり始めていた。


少女はくじの屋台の方へと向かっていく。輪投げの屋台の隣であった。


輪投げの屋台をみると、しっかりと修繕された輪投げの道具が並んでおり準備万端という感じである。

少年はうまくやったようである。


花火を渡そうと、本部のテントをのぞき込む。


「おお、花火か。ありがとう」


こちらをみて優しい笑みを浮かべた青年は、ちょうど一息ついているのかパイプ椅子に座っていた。


責任者を呼ぶために青年は声をあげる。フェンスの奥の遊具の方で準備をしていた責任者がこちらに向かってくるのが見えた。


「大変だったろ、ほら、これ」


花火を受け取った青年はアイスを手渡す。ソーダ味の有名なやつだ。

暑い中歩いてきた手にアイスがふれると、その冷たさが際立つ。


アイスの袋を開ける。中から薄い空色をしたアイスがのぞく。かじるとシャキシャキとした食感に続いて甘いソーダの風味が広がった。


アイスを食べながら遠くを見ると母親が向かいの店で忙しそうに動いているのがみえた。


なぜかわからないが、その様子は先ほどのアリを彷彿とさせた。

しばらく、アイスを堪能する。まもなく、アイスを食べ終えてしまう。


青年がいた場所を離れ、遊具のある方に近づいていく。ゴミ箱があのあたりに設置されているはずである。


と、遠くから母親に呼び止められる。


「ちょっと、ここの整理手伝って。」


母親が簡易式のテーブルの上を指す。お玉、包丁、まな板、フライ返しなどの道具が乱雑に置かれている。小さなナイフなどもあり、たぶんこのあたりを整理してほしいのだろう。


整理を始める。これまた簡単な仕事であった。


おおさじ、こさじ、スプーン、小さなナイフはカバーをかぶせ、いったんポケットに入れておく。小さなものは邪魔になるのだ。


そして、大きいものの整理に取り掛かる。使う用途により分類したり、よく使うものは手前に置くように、と母親から指示があったのでその通りにする。


テーブルの上は比較的すっきりしたように思われる。

先ほどポケットの中にしまったおおさじやこさじのような小物をテーブルに出して終わりとする。


終わりの作業に取り掛かっている最中に声が聞こえる。


「ねぇ、ちょっといい。」


白いワンピースの少女がそこにはいた。


「今晩、一緒にお祭りまわろうよ」


もうすぐ、陽が沈む。彼女の顔を夕日が赤く染めていた。


**


安っぽいスピーカーから、祭囃子が流れている。


赤い提灯が屋台の間を飾る。


人でごった返しているわけではないが、ここら一帯の人が参加するだけあって普段は見られないほどの人が集まっているとのことだ。

母親は、やはり忙しそうに動いている。他の準備からいた男性たちも然りだ。


あの青年も、今は他のことを気にしている暇はなさそうである。


「あれ、食べたいなぁ」


少女が指をさす先には綿あめの屋台があった。

少女は屋台に近づいていく。屋台の男性ににお金を渡し、綿あめを買った。


白い、ふわふわとした綿あめ。少女の目は輝いているように思えた。


何か食べたいものはないかと少女に聞かれる。フランクフルトが最も近い場所にあったのでそれを選ぶ。


頭に白いタオルを巻いた男性は焼いていたフランクフルトにケチャップとマスタードをかけ、手渡してきた。


サービスしといた、と言って快活に男性は笑った。

少女のもとへと戻る。


立ったままでは食べにくい、と少女はベンチを指した。少し歩き、広場の中央あたりのベンチに腰掛ける。


広場の中央からは祭りの様子がよく見える。赤い提灯が地面をほんのりと赤く照らしている。


公園内が明るいせいか、星はあまり見えなかった。

フランクフルトを食べながら、祭囃子に耳を傾ける。


やはり、スピーカーは少し音割れした安物だ。


わたあめを食べながら少女は微笑む。白いワンピースは祭りの光を反射して赤、黄色などの色に薄く色づき、移ろう。


隣に、いる。少女が。


手にもっているフランクフルトはもう半分程度まで食べてしまった。


「人が多いのってあんまり得意じゃないんだよね。」


同じくわたあめを半分程度たいらげた少女が口を開く。その眼には、たくさんの人が映っている。


くじに並ぶ人。やきそばをほおばる人。友達と話す人。走り回る子供。屋台で作業をしている大人。


「あっちのほう行かない?」


少女が遊具のあるフェンスの奥を指さす。

祭りの開催場所とはなれたちょっとした広場がこの公園にはあった。普段は子供たちがサッカーなどをして遊んでいる場所だった。


少女とそこへ足を運ぶ。

広場の端の方のベンチに腰を下ろす。


ふたたびフランクフルトとわたあめをそれぞれ口にする。


彼女が口を開く。


***



花火が上がる。


白いワンピースが、色に染まる。


少女の目の中に花火が咲く。


音が消える。


息が詰まる。


あぁ、なんて、素晴らしい日なのだろう。


それでいて、なんて最悪な日なのだろう。


わたしは、小さなナイフで少女を突き刺す。


何度も、何度でも。


赤。見える。


黒、見える。


咀嚼する。

あぁ、やはり、これしかなかったのだ。


咀嚼する。

わたしは、これしか知らない。


咀嚼する。

芯から満たされる。


咀嚼する。

しかし、難しいことだなぁと思うのです。


咀嚼する。

愛するということは。


咀嚼する。

表現のしかたは沢山あるように思えます。


咀嚼する。

物をあげたり。


咀嚼する。

手をつないだり。


咀嚼する。

接吻をしたり。


咀嚼する。

性交をしたり。


咀嚼する。

ただ、溢れてしまうのです。


咀嚼する。

わたしの器は小さすぎたのです。

愛はしってはいけなかった、知っては、いけなかった。




今は、とても興奮していますが、とても眠いのです。






少女は、白から赤へ、そしてまただんだんと白くなっていくのでした。






*****



その子は、どこか暗い顔をしていた。僕のことが見えているのに、見えていない、そんな気がした。


「山田さんのとこの子は、不思議な子だよねぇ。」


祭りの責任者を務めている寺島さんがこぼした。


50代前半というだけあり、かなり貫禄のある人だった。恰好はかなり独特で、タンクトップに作業着のズボン、頭にはタオルを巻いていた。


公園の大きい広場には、一つだけ本部用のテントがたてられており、これから他の屋台を組み立てるところだ。


そんな時、ある親子連れがやってきたのでその話題になっていたのだ。


「山田さんってお子さんいらしたんですね。お名前は?」

「確か…雄介くんだったかな」


頭をタオルの上から搔きながら寺島さんが言う。自信なさげということは、他の人ともあまり関わりがないのかもしれない。


「さ、そんなことよりもそろそろ作業をしようか」


どっしりとした体形の寺島さんがパイプ椅子からゆっくりと立ち上がる。テントの外に出ると真夏の日差しが降り注ぐ。


動きやすいようにTシャツで来たけど、黒は失敗だったな…。


自分の判断ミスを悔やむが、もう遅い。


ふらんくふると、と書かれた看板や屋台の骨組みなどが置かれた場所に近づいていく。


「いやぁ、ほんとに助かるよ、若い人が来てくれると」


寺島さんよりも一回り年上であろう男性ー町田さんが快活に笑う。


ほとんど髪は白髪になっているが、体の方は元気そうで、一人で屋台の土台の部分は完成させてしまっていた。


「僕ら休憩終わったので、町田さん次どうぞ。」

「ん?じじいなめんなよ!まだまだいけるわ!」


下手すると僕より元気だな…。熱中症だけは心配なのでスポーツドリンクを手渡す。


町田さんはこの祭りの副責任者で、町内会のかなりの重鎮らしい。よくわからないが。本人から聞いた話なので話半分で聞いている。


骨組みを組み立て始める。太陽に焼かれて熱くなった鉄のパイプはそのまま触るとやけどしそうな熱さだ。


町田さんも僕も、しっかりと軍手をはいて作業する。


「そこと、そこね。そう。あとは…。」


町田さんの指示通りに鉄パイプを組み合わせていく。

大きな屋台ではないのでそこまで人手はいらない。


それにしても、暑い。太陽からの熱線もそうだが、蒸し暑いのだ。風もほぼなく、湿度の高さがペットボトルにまとわりつく水滴の多さで実感できる。


額の汗を首からかけたタオルで拭うと、視界の端で、誰かが動いていた。


雄介くんと、白いワンピースを着たかわいらしい女の子が立っている。


「どうだい、うちの孫、かわいいだろ」


町田さんがうれしそうに言う。実際、かなり整った見た目をしている。


切れ長な目。通った鼻筋。艶のある黒髪は肩まで伸ばされている。そして、白いワンピースがそのすべてを引き立てている。


「自慢の子だ。」


町田さんは遠くの孫を感慨深そうに眺める。孫ができると人はみなこのような表情をするのだろうか。


「さ、ちゃっちゃとやっちゃうぞ!こっからはもう何人か必要だからちょっと呼んできてもらえるかい?」


町田さんはこちらを向くと快活に言う。


**


あれ、あの子…。

わりと作業は順調に進み、現在は本部で休憩中。


そんなとき、広場の端の方の木陰のベンチの上で作業をしている雄介くんが目に入る。


結構前からぶっ続けで作業をしているはずだ。僕は本部の冷蔵庫にスポーツドリンクとサイダーがはいっているのを確認し、サイダーを手に取る。


本部のテントから出て、灼熱の中を進む。

木陰の方まで来ると、いくらか暑さはましにはなったが、やはり暑いことには変わりなかった。


「なぁ、これ、飲むかい」


うつむいたまま作業をしている雄介くんに声をかける。彼が顔を上げる。


「さっきから休まず作業しているだろう。しっかり冷えてるから遠慮せずに飲みな。」


キンキンに冷えたサイダーを手渡すと、彼は何も言わずに飲みだした。


不思議な子ー先ほど寺島さんが言っていた言葉を思い出す。確かに、普通とは言い方い雰囲気を持っている。

そんなとき、トラックが公園の入り口あたりに止まる。トラックの運転手の男性が本部の方に人手を要請する。


5人ほどトラックの方に小走りに近づいて行ったので僕の手伝いは必要なさそうだ。おそらく屋台で使うための道具が届いたのだろう。


相変わらず、雄介くんは黙々とサイダーを飲んでいる。ただ、とりあえず水分を取らせることができたのなら一安心だろう。


僕は作業を再開しそうな屋台の方へと足を運ぶ。


**


ふぅっ、と一息つく。屋台は完成した。後半は、なるほど、やはり人手がいるな。


体を酷使した疲労で全身が悲鳴を上げている。


陽は落ちてきているのにも関わらず暑さが変わらないのはどうしてなのか。夏というものを恨む

本部のテントでパイプ椅子に背中を預ける。そのままペットボトルのスポーツドリンクを呷る。


本部から公園内を見回すと、かなり順調に準備が進んでいるのが見て取れた。


証明の役割も果たす赤い提灯もつるされ始め、他の屋台も完成し、現在は食材の仕込みなど、直前の準備に入っている。


そういえば、雄介くんが見当たらない。どこかに行っているのだろうか。と、思ったちょうどその時、テントの外から雄介くんが顔をのぞかせた。


「おお、花火か。ありがとう」


声をかけると、雄介くんはこちらを見る。が、見ていないのだろうと直感的に思ってしまう。


「寺島さん!雄介くん花火買ってきてくれました!」


と、遠くで打ち上げ花火の打ち合わせをしている寺島さんに声をかける。寺田さんがこちらに気づき、小走りで向かってくる。


冷蔵庫から冷やしてあったソーダ味のアイスを取り出し、花火と交換のような形でそれを手渡す。


「大変だったろ、ほら、これ」


雄介くんは無言でそれをうけとり、食べ始める。やっぱり、不思議な子だな。


無言で食べ進め、すべてたいらげるとテントから離れていってしまった。


その後ろ姿に何か違和感を感じた気もするが、結局何もわからず、雄介くんを見送った。


**


祭りが始まった。あたりは祭り独特の熱気に包まれ、多くの人々が訪れている。


夜になっても変わらず蒸し暑い。これが夏祭りというものなのだ。


町田さんとその孫が話している。町田さんはとても幸せそうだ。


そのまま孫は町田さんと離れて雄介くんと合流する。


あの二人って話すんだな、と少し意外に思う。はたから見ていると孫の方は元気な子で、無口な雄介くんと仲が良いのは意外であった。


寺島さんと町田さんは花火の最終調整のために遊具のあるスペースに向かうようだ。


二人は雄介くんの母親とも親しげに話している。あの二人が町内で人望があるというのは本当のようだ。


ふと、町田さんはまた孫の方を見ている。雄介くんといるのが気になるのだろうか。ただ、不安というよりもほほえましいものを見るというか、悲しいものを見るというか。何とも言えない表情だ。


しかし、思い直したように再び会話に戻る。

祭りの熱気が増していくのを感じる。


子供たちが走り回っている。ああいうのを見ると転ばないか不安になってしまう節がある。


昔は自分も走り回っていたのだろう。今の自分にその体力を分けてもらいたい。


鬼ごっこをしているようで、他の子と比べると一回り背丈の小さい子が友達を追いかけている。


あ、やっぱり転んだ。思わず顔をしかめる。すると、近くにいた寺島さんが子供を起こしてやる。

泣いたままの子供。寺島さんもなかなか苦労しているようだ。


仕方ない。僕は椅子から立ち上がる。


「はい、これどうぞ」


自分でさっきやったくじを鶴のようにおり、子供に手渡す。


こんなもので泣き止むのか不安だったが意外と効果はあったようで、泣いていた子供はそれをもらうと、嬉しそうに再び走り出す。


またころぶなよー、と声をかける。


「いやぁ、助かったよ。そんな特技があるんだねぇ」


寺島さんが感心したように言う。


「いえいえ、誰でもできますよ、こんなこと」


といって足早に立ち去る。


本格的に花火の準備が始まるまでは本部で待機しているように、という指示だったので再び本部の方に戻ることにした。


**


花火の準備が進んでいる。地域の祭りにしては気合の入った大きめの花火も打ち上げるのだ。


遊具がおいてある方のスペースで準備が進む。


例年、小さい子供が近づかないよう、打ち上げは大きい広場ではなく、フェンスで仕切られたこの場所で行われる。


祭りも終盤、人々の盛り上がりもピークに差し掛かっている。


「さあ、準備ができたぞ」


寺島さんが声を上げる。町田さんは消防の人たちと最終の打ち合わせをしているようだ。


そしてしばらくして、寺島さんの声がスピーカーから聞こえる。


「皆さん、花火の準備が整いました。今年も、色とりどりの花火を用意しました。ぜひお楽しみください!」


元気のよい寺島さんの声が少し音割れしながら響いた。


その数秒後。


低い破裂音が響き渡り、色とりどりの光があたりを照らし出す。


美しい、と花火を見て思うことは個人的に少ない。ただただ、圧倒される。そんな感覚の方が近い。


しばらく、ただ花火に見とれる。


祭りの準備は思っていたよりも大変だったがこの景色をみるとその苦労が報われる気がする。


なにより、花火を見て楽しそうに、嬉しそうにしているたくさんの人達をみるとものすごい達成感に包まれる。


頑張ってよかった。そう思えた。


その場にいると何故だか泣いてしまいそうで、静かに離れ、公園にあるもう一つの広場の方に向かう。


サイズは小さいが、子供たちが遊ぶには十分な大きさがある。


そこに近づくにつれ、視界の端に違和感を覚えた。


あたりは完全に陽が沈み、暗闇になっている。照らしているのは花火と、遠くの祭りの光だけ。


違和感の正体を確かめようと、その方へと近づいていく。

何かが動いている。もぞもぞと。


ゆっくりと近づいていき、目を凝らして見る。


そこにいたのは、





リスだった。


小さなリス。このあたりでは珍しい。


「やぁ、君はどこから来たんだい。こんなところにいるなんて珍しいね。」


より近づくと頬を少しだけ膨らませたリスが地面に座っていた。


小さな広場の入り口で出会えるなんてラッキーだ。なかなかお目にかかれない。


と、もう少ししっかり見ようと歩みを進めた時だ。

より大きな違和感に足を止める。


また、リスも、何かがおかしい。よく目を凝らす。


リスは何かに半身が染まっているのだ。


そして、リスが通ってきた道を示すように点々とその液体は広場の奥へと続く。


そして、視界の端には動くものーリスなんかよりも大きい、何かが動いている。


ひと際大きい花火が上がる。


あたりを照らし出す。緑色の花火だ。



どす黒い色に染まった雄介と白いワンピースの少女がベンチにいた。



あたりは再び暗闇に戻る。


雄介は黙々と、何かをしている。日常ではあまり耳にしないような音を立てながら。


僕は理解を拒む。今見たものは忘れようと、忘れなければと思う。


花火が上がる。

雄介はナイフで切り、ちぎる。


花火が上がる。

雄介はそれを口に運ぶ。


花火が上がる。

雄介は咀嚼する。


花火が上がる。

雄介は愛おしそうに、少女を撫でる。


花火が上がる。

雄介はナイフを少女に突き立てる。


花火が上がる。

雄介は、そして、また、ちぎる。


花火が上がる。

遠くで、次で最後の花火だとスピーカーが告げる。


今までで一番大きい、白色の花火が上がる。


僕は、動けずにいた。


あたりが照らされる。


ベンチの上は赤く、紅く、染まっていた。





「愛してる」





初めて聞く雄介の声は、思っていたよりも低かった。



*****



人が生きるのには、たぶん愛ってものが必要なんだろうと思う。


人はそれを知ったような顔をして生きているし、雄弁に語る。


とても素晴らしいことだと思う。



**


今日は白いワンピースを着たい、と前々から言っていたのに、なぜかお祭りの手伝いに行かされる。


汚れちゃうかもしれないのに。


どうせ、こういう集まりは母親どうしが面白くもない話をしあうためにあるだけなのに。


おじいちゃんもいるっていうから行くけど、そういう特別なことがなければ絶対に行かない。


ただ、着たいものは着たい。


だから、白いワンピースを身にまとう。お気に入りの白いワンピース。


どうせいないやつのことを頭に描きながら、いつか見せたいな、と思いながら首を通す。


**


あっつぃ…。

地面から立ち上るような蒸し暑さに、さすがにげんなりする。


公園までたどり着くと、おじいちゃんがすでに作業をしていた。


結構な年なのに、おじいちゃんはすごい。てきぱきと、すごい速度で屋台の土台を作っている。


おじいちゃんは、こちらに気が付くと、笑顔で手を振ってくれる。うれしい。


おじいちゃんは、もともとこのあたりに住んでいた人で、町内会の人にすごく頼りにされているらしい。


事情があって今は別の町に住んでいるけど、お祭りとかは手伝いに来ているんだって。


タオルで汗をぬぐっているおじいちゃんを見る。

そう思っておく。


すると、母親が声を上げて誰かに挨拶をする。

そこにいたのは、あいつだった。


「めずらしい、来てるんだ。」


そいつまで近づいていき、声をかける。相変わらずあまり反応がない。


「こういうの、興味ないと思ってた。」


あえて、すこしぶっきらぼうな感じで言葉を放つ。別に、意識しているわけではない。多分。


ただ、その感想は本物だ。


こういった祭りなど、特にその手伝いなど、こいつが来ることなど誰が予想できようか。


「私、あんまりやりたくないんだよね、手伝いとか。せっかくの服も汚れちゃうし。」


相手が同じことを思っているかはわかんないけど、とりあえず自分の素直な感想を述べる。


しかし、やっぱりあまりしっかりした反応は返ってこない。


「あかね。ちょっと来なさい。」


そんな時、母親に呼ばれる。


「あ、私行かなきゃ。お互いがんばろうね。」


淡白な感じの捨て台詞をはいて、私は母親の元へと小走りで戻る。


くじ引きのお店の看板や骨組みが置かれている場所には簡易式のテーブルが置かれていた。折りたたみ出来るやつだ。


「あかね、今年はくじのお店の担当になったからね」


母親が告げる。


くじか。去年よりは楽そうかな。


去年の焼きそばは大変だった。火を使うところはやらせてもらえなかったので基本的に野菜を切ったり、食材を運んだり、お客さんに焼きそばを出したりするのが仕事だった。


やることも多く、一つ一つが大変だったのであまりいい思い出はない。


「まずは、くじを入れるための箱を作って頂戴」


そこからやるのか…。母親がさした先、テーブルの横には段ボールやら道具やらが置いてあった。


「分かった。やっておく。」


やるしかないのだ。おじいちゃんも、あいつもいるのだ。頑張ろう。

夏の日差しが、ただただ恨めしかった。


**


「あら、しっかりしてるじゃないの」


母親が箱をいろんな方向から眺め、できばえを褒める。誰でもできることだ。


そこまで眺めなくてもいいのに。意外と苦戦して、時間がかかってしまったとは言え、そこまで難しいことではないと思う。


「じゃ、こんなにちゃんと仕事ができるなら、もう少しお願いしちゃおうかしら。」


それを聞いてげんなりする。


どうせ、そんなことだろうと思っていたが、やはり褒めたのは追加で仕事をさせるためだったのだ。


母親はいつもこうだ。打算で生きているように思えてしまう。こういった集まりに参加しているのも、単純に参加したいだけではなく、どうせ何か考えているのかもしれない。


大人の考えることは分からない。


「あのね、くじの景品は去年の引継ぎとか今年新しく買ったものでだいたいそろってるんだけどねぇ、一番下の賞の景品だけ、足りてないのよ。そうね、お菓子なんかがいいかしら。」


買いに行けと、そういうことだろうな。この灼熱の中。思わずため息が出る。


「じゃあ、おねがいね」


なんの悪びれもなくそう言ってのける母親が恨めしい。暑さぐらい。


「あ、そうだこれ。お金入ってるから。あと、暑いからこれかぶってきなさい。」


母からつばが広めの麦わら帽子をもらう。


仕方ない、買いに行くか。母から受けとったがま口ポーチを持ち、公園を出ていく。


横目であいつが作業しているのを見ながら。


**


結局遠いスーパーに行くのは諦めて、駄菓子屋へ足を運ぶ。


多分安いのはスーパーだと思うけど、そんなに遠くまで歩く元気は無い。


買いに行ってるんだからこれぐらい許して欲しい。


駄菓子屋のおばあちゃんはいつも通り寝てるのか起きてるのか分からない感じで座っている。


とりあえず、いっぱいお菓子が入っている袋を何個か手に取る。


こんなもんかな。


おばあちゃんの方へ近づき、お会計をお願いする。


「はぁいよ」


ゆっくりとした動きでお釣りをくれた。おまけ、と言って小さいチョコをサービスしてくれた。


小さなチョコを口に放りこんで帰り道を歩く。


帰り道はいつも長く感じる。今日も同じだった。


口の中のチョコは溶けてしまった。チョコの後味を口の中で転がしながら歩き続ける。


ふと、そこで階段から意外な人物が上がってくる。


「なんでここにいるの?」


あいつが階段を上がってきていた。

手元に視線を移すと、大きめの花火セットを持っていた。


「あ、花火か、そっか」


毎年お祭りでは小さい子たちも楽しめるよう、手持ちの花火も用意されている。


その買い出しとなればここにいるのも合点がいく。


「ねぇ、せっかくだしさ、一緒に帰ろうよ」


そいつは表情を変えないままうなずいた。


「私も、おつかい頼まれてたんだ」


声をかけられて止めていた足を再び動かし私の隣まであいつがくる。


「なんか、くじのための景品が足りないんだってさ。それであっちのほうの駄菓子屋に行ってたの。5等はお菓子だからさ。」


自分だけ相手の用事をしるのはなんだか不公平な気がしてしまい、聞かれてもないのに話し出してしまった。


ま、無言よりもいいか。


「ほんと、このあたりって不便だよね。車に乗れればスーパーまで行けるけど。歩いてだとちょっとね。駄菓子屋も近いわけじゃないし。」


素直な愚痴をこぼしてしまう。


もちろん、このあたりに住んでいる人はみんな親切で暮らしやすい。


しかし、やはり買い物などをするには少しだけ不便な気がしてしまう。


なんだか愚痴ばかり言っていて暗い雰囲気になりそうなので話題を変える。


「今年はなに食べようか。」


お祭りの屋台を思い浮かべる。


屋台から香るいい匂い。ソースが焦げたにおいや、甘いにおい。


忙しく声を上げるおじさんたち。


スピーカーから流れる古臭い祭囃子。


どれも私に夏祭りということをはっきりと実感させるものだ。


「って言っても、毎年出店は同じなんだけどね。」


祭りをやってくれている人たちはかなり年を取っている人が多い。


だから、毎年お店の内容を変えるような元気はないのだと思う。


歩いていると、川にいるカモが目に留まる。


親子連れだった。今は水浴びをしているところのようだ。私も水浴びで涼みたいな。


そう思っていると、カモの家族は飛び去って行く。

焼き鳥、なんてのもいいかもしれない。


踏み出そうとして、足元を見る。


そこには干からびたミミズが横たわっていた。

命が終わっていることは明らかだった。


あいつを見る。


同じくミミズを見ている。


あいつの目には、ミミズが映っている。


なんだか、腹立たしくなってきた。理由は分からない。


干からびたミミズを蹴とばした。


特に理由はないと思う。


**


公園に戻ると、だいぶ準備が終わっていた。屋台はしっかりと立ち並び、提灯もつるされていた。


暑さは陽がかなり落ちても変わらなかった。つらい。


私は母親に買ってきたお菓子を手渡す。


「お疲れさま。雄介くんもいっしょだったのね。」


私はうなずく。特に返す言葉はない。


「じゃあ、最後の最後、手伝ってもらおうかしら。それであなたの仕事は終わりだから。」


おどけた感じで母親は言うが私は心底げんなりする。

まだ働かされるのだ。


もうここまできたらどうにでもなれ、という感じだが。

言われた仕事はひな壇のような場所に景品を並べる、というものだ。


それぐらい自分でやってほしいものだが、母親は別のことで忙しいらしい。


しかたなく、作業をはじめる。


あ、これ新しいゲーム機じゃん。欲しいな。

こっちは欲しかった水鉄砲だ。


景品は魅力的なものばかりで、下手をすると私がとってしまいそうになった。


しかし、私は良い子なのでそんなことはしなかった。

言われたとおりに景品を並べていく。


1等から順番に、向かって左側から載せていく。


ひな壇は私の背丈ほどしかないので、大人から見ればさほど高くはないだろうと思う。


しかし、私にとっては載せるのは一苦労である。


なぜなら、高さが低くなるにつれてこちら側にせり出してくる構造をしているからである。


ぎりぎり、手が届く、ぐらいである。


なので、思っていたよりも時間がかかってしまった。

陽はほとんど落ちてしまっている。


「あら、終わったのね、ありがとう。あとは自由にしてていいわよ。」


笑みを浮かべた母親が言う。


多分ちゃんと感謝しているのだろうが、今の私にはあまり響かない。


母親がいるくじ引きの屋台から離れ、広場の中央当たりに行く。


そこでは男性たちが折り畳み式の簡易ベンチを広げているところだった。


あたりを見回す。


すると、輪投げの屋台の奥の方で、あいつがなにかやっている。


ちょうどいい、と思った。


白いワンピースは見せられた。

あとは、ずっと前からやってみたかったこと。


「ねぇ、ちょっといい。」


話しかけると、ゆっくりとあいつは顔を上げた。


鼓動が少しだけ早くなった気がした。


ほんとに少しだと思う。そして、息を吸い、口を開く。


「今晩、一緒にお祭りまわろうよ」


**


隣には、あいつがいる。


距離は近いのに、やっぱり、遠く感じてしまう。

祭囃子が聞こえてくる。いつもと同じ、いい匂い。食べたいものも買えた。


沢山の人が歩き回っている。いつもはこんなに多くの人を見ることはない。


浴衣姿の人。走り回る小さい子たち。それを見守る大人たち。屋台を必死でやっているおじいちゃんたち。


みんな、見た目は違うけど同じ祭りを楽しんでいる。

大きい広場の中央らへんのベンチに座りながら私とあいつはわたあめ、フランクフルトを食べている。


祭りのごはんって同じものでもおいしく感じるから不思議だな。


味付けを変えているのだろうか。いや、きっとそんなことはない。雰囲気、というのはそれだけ大切ということなんだろう。


ただ、綿あめというのは普通の日々では食べられないものだ。


今日は、口いっぱいに甘さと柔らかさを堪能する。


口に綿あめを含み、中央のベンチから人の流れを眺めていると、走り回っていた小さい子の一人が転ぶ。


大人たちが反応する。誰かが助けている。それを見て、みんなほおが緩む。


同じ反応を示すたくさんの人をみて考えてしまう。何を考えているかわからないやつらと一緒にいられるのはなんでなんだろうと。


すごく、気味が悪い。


同じような笑顔を張り付けて歩いている人々が。


「人が多いのってあんまり得意じゃないんだよね。あっちのほう行かない?」


たまらず、あいつに提案する。ここにいると、なんだかよくない気がした。


あいつは、嫌な顔一つせず立ち上がり、公園にある小さな広場の方へと移動してくれる。


ここは静かだ。とっても。


他の人はみな大きい広場の方に夢中でこちらには来ない。意識も向けない。


普段は小さな子たちが遊んでいる場所だが、そういった子たちも今日は屋台に夢中だ。


祭りの喧騒が遠くに聞こえる。


なんだか、非日常の中の非日常という感じがして体がムズムズした。


空を見上げる。星は見えない。


風が吹いている。夏の夜の暑さは、昼よりはましだが不快感は薄れない。


風がふいているだけましだが。


もっと私が小さい頃はもう少し涼しかった気がする。いつの間にか、こんなに暑くなってしまったのか。


後ろから、ガサガサと物音がして、振り向く。

リスがいた。かなり珍しい。警戒して人に近づいてこないはずのリスがこんなに近くに。


ひょっとすると、祭りの騒がしさから逃げてきた、仲間なのかもしれない。頬が緩む。


あいつにも知らせてやろうとして顔を向けるー。


そのとき、花火が上がった。色とりどりの。そうだ、この祭りの名物だったっけ。


花火はきれいだ。なにも引っかかることなく、素直に受け取れる。


そんなことを考えて、横を向く。

あいつと目があう。そしてー。




「うん、やっぱり、あなたがいいの」




私は微笑む。

白いワンピースが血に染まる。


私は微笑む。

麦わらぼうしも血にそまる。


私は微笑む。

りすさんも同じいろ。



私は微笑む。

夏のあつさよりもあついかんかく。




私は微笑む。

しろいわんぴーすはあかくなった。





私は微笑む。

はなびにてらされてつめたくなる。








私は微笑む。

あぁ、はなび、きれいだなぁ。











私は微笑む。

あいしてる。








****





『こたえあわせ。』





****




これ以下は、ただの蛇足である。

ただただ、些細な記憶をよごすものである。




****




「なんだってんだ本当に」


俺は頭をがりがりと掻く。丸眼鏡が鼻の高さまで下がり、ぼさぼさの髪からフケが落ちる。


だらしなく着たスーツが蒸れていたが、カフェのクーラーの効いた空間にいるといくらかましになってきた。


「ほんとだよ、俺も長くジャーナリストやってるが、こういうのはあんまり見たことねぇなぁ」


眼鏡を直し、落ち着いた雰囲気でコーヒーをすする正面の男を見る。


「北野さんでもあんまり見たことないんですね。」


正面の男は、自分とは正反対にしっかりとしたスーツに身をつつみ、髪も整髪料でしっかりととのえられている。


「こんなのがいっぱいあったら困るだろうが。」


もっともな意見だ。

自分たちはここの県で起きた事件などを取り扱うジャーナリストであり、北野さんは俺の先輩である。


俺たちは今、2週間ほど前に起きた事件の情報収集をしているところだった。


「さすがに…今回は俺も息をのんだよ。調査をやめようかとも思った。」


コーヒーをすすりながら北野さんが苦々しい顔で言う。おそらくその表情はコーヒーのせいではない。


「被害者の母親の町田さんも、ひどく憔悴してたな。見てられなかった。」


「そうなんですね…。容疑者の山田雄介は24歳、無職。母親と二人暮らしだったそうですね。」


「ああ…それが、こんな…。」


北野さんは笑顔で映る少女の写真を見る。



「少女を、食べるなんてな。」



**


 一通り情報を交換し終え、俺は北野さんと別れる。

北野さんはこの件については手を引くらしい。


先ほど渡した情報をきいて決心したとのことだ。


俺もそれが正解だと思う。


この事件を追うごとに、自分の中の何かがひび割れていく気がするからだ。


夏の薄れない暑さの中、俺はある場所に向かっていた。

そこに行けばおそらく後戻りできない、そう確信しながら。


事件が起きたのはこの県の端のほうにある町のはずれにある公園。


毎年そこではお祭りが開かれているそうで、事件はそのさなかに起こった。


第1発見者はその町に住む半田、という青年だという。

青年が公園の人気のないあたりに行くと、山田雄介が町田あかねー被害者である少女を食べているところを発見したのだという。


詳しいことは専門外なので分からないが、死因は出血多量とのことだ。


そして、山田雄介と町田あかねの関係、そこが事件を見ていく上でも重要である。


それを確証するために、歩みを進めているのだ。


次の角を曲がった先だな。しばらく道なりに進んでいた俺は久々の曲がり角を曲がる。


曲がってすぐの場所が目的地だ。


手入れの行き届いた庭がきれいな塀とドアの周りを囲むアーチのようなももの隙間から見える。

明らかに高級住宅、というような風貌だ。


呼び鈴を鳴らす手が震える。もちろん、高級住宅だから、なんてくだらない理由ではない。


いいのか。押しても。


そんな思いが全身までもを震わせる。

だが、知ってしまったのだ。確証を持たせなければ。

呼び鈴を、深く、押し込む。


**


意外とすんなり、家に通される。男は、どうぞ、とソファーを勧める。


「それで、何の用ですか?」


男はいぶかしげにこちらをのぞき込んでいる。使用人らしき人にお茶を持ってくるよう指示を出しながら俺の正面の椅子に腰かける。


革張りのソファーは黒い光沢を有しており、焦げ茶色や黒など、落ち着いた色で統一された部屋にあっていた。


インテリアにもこだわっているのか、なるほど、おしゃれな家とはこんな感じなのか、と場違いな感慨にふける。


「あの?」


と、ぼうっとしていたのを咎めるように男が詰める。


「ああ、すみません、私こういうものでして」


玄関先でも名乗ったが、改めて名詞を渡す。


「…で、ジャーナリストの方がどうしたんです。」


男はぶっきらぼうに問う。


「いくつか、お聞きしたいことがありまして、取材させていただこうかと。」


できるだけ丁寧に俺は切り出す。


「世の中に出されるんですよね、しゃべったことは。」


男はこちらをにらみつけるようにこちらを見ている。


当然だ。都合の悪いことを世に出されるとなれば誰も話したくもないし、警戒もする。


ジャーナリストという職業柄、信用されるとも思っていない。いつものことだ。だがー。


「いいえ、私はもう、あの事件に関して仕事として追及することはしていません。今は、個人的に、ただ、知りたいのです。」


もう、心は決まっている。ここで確証を得たことは世の中に公表するつもりはない。


ただ、最後まで追求したいのだ。一個人として。


「…わかりました。録音などはしてませんよね。」

「もちろん。ボディーチェックなどしてもかまいません。」


俺は両手をあげて降参のポーズをとる。


男は、短く嘆息すると、「何が聞きたいんです。」と短く言った。


俺は大きく息を吸い、言葉を発する。



「町田権蔵さん。山田雄介は、あなたのお子さんですね?」



権蔵は、顔をしかめてうつむく。


そして短く、「ああ」と答える。


俺は続ける。


「始まりは、山田家がこの街に引っ越してきた事ですね。山田裕子ー山田雄介の母親とあなたは、家が近かったことや、お互いの配偶者に不満があった為に急激に親しくなった。


その後、そんな関係は不倫関係に発展していった。そして、そんな関係が続いた数年後、山田雄介が誕生したんです。」


落ち着いた雰囲気の部屋は間接照明によって薄暗くなっている。


この部屋に窓はないようである。

俺は続ける。


「山田家は不妊に悩まされており、医師からも夫の方に問題があると言われてきたそうですね。


そのタイミングでの子供だ。誰の子供かは山田裕子もあなたも直ぐにわかった。あなたには奥さんがいて、すでに子供もいた。そのため、あなたはこの町から出ていかざるを得なかったんですね。何がきっかけで事実が露呈するか分からないから。


それでも、息子は見たいという思いで年に1度のお祭りだけはこの町に戻り、息子の成長を見守っていた。」


沈鬱な権蔵の表情は、それが正しいことを表していた。


「ですが、問題が生じた。


山田裕子の夫ー山田雄介の形式上の父親、山田隆二が息子に暴力を振るい始めたのです。原因はアルコール中毒だそうで。そこで、裕子さんはあなたに連絡をしたんです。助けてほしい、と。


放っておけないと、町を離れていたあなたは山田家の問題に介入した。


以前は弁護士として働いていたあなたは、なんとか隆二さんと裕子さんを離婚させることに成功する。


もちろん、あなたの妻や、娘さんには何も伝えずに。」


権蔵は、何も言わないーと、唐突に口を開いた。


「そこから、山田家と私たちの交流が始まった。


孫のあかねが誕生してから、私の娘は私がもともと住んでいた町に住みたいと言い出し、山田家が住んでいる町に引っ越していった。


あの町はとても住みやすかった。閑静で。少し買い物するには不便だったが、子供を育てるには良い環境だったのだ。」


権蔵は、中空を眺めながら続ける。俺は、真剣に彼の話に耳を傾ける。


「娘は雄介とももちろん関わりを持とうとした。


ただ、数年にわたる暴力で、雄介の精神は壊れてしまっていた。ほとんど話さず、常にうつむいていたという。


ものごころついたころからずっと暴力を受け続けていたのだから当然だ。」


権蔵は、先ほどよりも顔をゆがめている。


おそらく、当時の状況を鮮明に思い出しているのだろう。ただ、その舌が止まることは無い。


「家同士の交流が出来て、ものごころがついて数年経つと、あかねは雄介に積極的に話しかけていた。


仲は良かったと思う。よく雄介の話をしていた、と娘から聞いている。」


ゆがんだ顔が少しだけ緩んだ気がした。しかし、すぐにまた暗い表情に戻る。


「ただ、雄介はどこからか知ってしまっていたんだ。自分が、不倫により生まれた子だということを。


だから父親に愛されず、暴力を振るわれていたんだと、そう思っていた。」


涙を浮かべているようにも見える権蔵は続ける。止まらない。


「そんな話を、雄介はあかねにしてしまった。それほどにあかねを信頼していたのだろう。


ただ、私はその情報であかねと雄介の間に亀裂が入ることを恐れた。」


権蔵は言葉を切る。


「しかし、あかねにとってはむしろ親近感を沸かせる話だったようだ。


雄介を家族、家族、と言っていた。私の心配は杞憂だったようだった。


ただ私はあかねに、その話は他の家族にはしてはいけないと、くぎを刺した。特に、私の妻や娘には。」


使用人が表情を変えずに茶菓子を運んでくる。権蔵はいったん話すのをやめる。


そして、使用人に部屋から出ていくように命じる。


ドアが閉じられてから数秒待ってから再び話を始める。


「そんな時だ。あかねの父親と、私の妻ーあかねの祖母が亡くなったのは。


交通事故だった。信号待ちの間に横から車に突っ込まれたんだ。即死だったそうだ。」


どこか自嘲的な笑みを浮かべながら語る。


「そして、相手はー。雄介の、父親、隆二だった。酒気帯び運転だったそうだ。」


ゆるゆると、権蔵は首を横に振る。


「世界は狭いな、こんな風に報いが来るとは…。


あかねはショックで、泣いていたよ。何日も。


部屋から出てこなくなってしまったと聞いた私は娘の家まで飛んで行った。」


権蔵は顔を上げない。うつむいたまま話を続ける。


「そして、あかねは事故の相手が雄介の元父親、隆二であることを知ってしまった。


葬儀の日だったな。親戚同士の会話を聞いてしまったらしい。それを聞いたあかねは裕子に事実を確認したらしい。


私が見た時には、裕子は泣き崩れ、あかねに謝り続けていた。それを見た私はあかねにばれてしまったことを知った。」


権蔵は、動かない。


話しているから生きていると思えるが、話していなければ息絶えていると思われるほどに微動だにしない。


「私は絶対に知らせたくなかった。何が起きるかわからないからだ。


雄介に敵意を向けるかもしれない。雄介が傷ついてしまうかもしれない。怖かった。」


権蔵の声と体が震え始める。


「だが、私の考えは外れていた。あかねは、雄介により依存していくようになったのだ。


あかねは、急に部屋から出てくるようになった。そして、雄介は相変わらず家からはほとんど出ないが、あかねは通い詰めた。」


震えが止まり、再び権蔵の声のみが響く。


「急な変化だった。あかねの中で何があったのかはまったくわからない。ただ、一つ、言えることは」


言葉を切った権蔵は、しばし間を置く。




「良くない変化だったということだ。」




**


俺は出されたお茶をすする。無表情の使用人が運んできた熱々だ。


「依存の度合いは異常だった。


学校にも行かず、一日のほとんどを雄介の部屋で過ごしていた。事故があった手前、私たちも学校に行けと強要することもできず、様子を見守っていた。」


権蔵は、話を続けた。意外とすんなり通してくれたことも、実は、誰かに話したかったのかもしれない。


「そんな時だ。事件が起こったのは。」


急に顔を上げ、こちらを見つめる権蔵。


「私は…道を誤ったのだ…。許してくれ…。」


そしてゆっくりと、また顔を下げ、震えた声で権蔵は言う。


「ちょっと、待っていてください。」


権蔵は急に立ち上がると奥の扉へ消えていった。

お茶を飲みながら待つ。


不倫の結果生まれた雄介。そしてその事実を知ってしまった。


父親からの暴力もそのせいだと解釈していた。

そんな雄介の境遇を知るあかね。

自分自身も父親と祖母を事故で亡くす。

そしてその原因が雄介の父親…。


なかなか複雑な事情だ。


あかねの中の心境の変化は分からない。おそらく、本人にしかわからない。もしくは、雄介ならばわかるかもしれない。


時計の音が正午を知らせる。はとが阿呆みたいに鳴いている。


そんなとき、奥の扉が開き、権蔵が入ってくる。


「こちらは…。本当は警察に見せるべきなんですが…。」


再び震えた声で権蔵が言う。見ると手にはノートが握られていた。


「あかねのノートです。」


全身が震えた。先ほどあきらめた答えがここにある気がしたのだ。


手渡されたノートを震えた手で開く。


**********



ゆうすけは、愛をしらない。


しったふりをする大人よりも私は好き。


ゆうすけは、あまり語らない。


雄弁にかたる嘘つきよりは私は好き。


人って、死ぬんだよって、ゆうすけに教えた。


私のお父さんも、おばあちゃんも死んじゃったって。


あなたのお父さんのせいで。


ゆうすけは、こういった。


じゃあ、僕とおんなじだ。


おんなじく、そいつに殺された。


心か、体か、それだけの違いさ。


って。


ぼくは、本をよんでるから知ってる。


愛の仕方を。


でも、そんなちっぽけなやり方じゃ、収まらないと思う。


だから、しらないぼくは幸せ者だ。


ってこのまえは言ってた。


ゆうすけのはなしをきくと安心する。


いつか死ぬんじゃないかってすごく毎日不安。


でも、ゆうすけがいう。


愛する人にころされるのが、幸せなのかもしれない


って。


しぬときがあるなら、ゆうすけにきめてほしいな。



**********


それ以上読むのはやめた。ノートを静かに閉じる。

少女に対する冒涜な気がしてしまうから。


これは、ラブレターだ。少女なりに懸命に書いた。


権蔵と俺は、何も言えず、黙っている。


いつの間にか手の震えは収まっていた。


これ以上の長居はしまいと、俺は席を立つ。


ありがとうございました、というのも違う気がする。

何を言えばよいのかわからないままに、俺は権蔵の家を後にする。


部屋のドアを出る直前、


「むずかしいものですね」


と誰に向けたかわからない言葉を残して。




***



わたしはしあわせものだ。

やはり、愛は、素晴らしい。

こんにちは、一筆牡蠣です。ふざけたペンネームだと思われるでしょうか。勢いで、思いついたままに小説を書いてみました。拙い文章ですが、皆さんに楽しんでいただけたら幸いです。

読んでいただき、ありがとうございました。心からの感謝をあなたに。

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