9「ひとりぼっちは、寂しい」
パチパチと薪の爆ぜる音がする。
適量なら耳に心地よい音だが、それよりは少し……いや、かなり多めに燃やされている。
どこでそんなに豪快に火が燃やされてるんだろうとララはぼんやりする頭で考えながら、布団の中で体を丸めた。
「寒い……」
あの後、展開を裏切らずララは風邪をひいた。
「寒いです……」
魔王に控えめかつ譲らぬ態度でベッドに押し込められたララは、震える体を抱きしめながらひたすら寒気に耐えていた。熱がどんどん上がっていく。
それに伴って頭もガンガン痛み、無意識に涙を浮かべた。
体の辛さが、ララを心細くさせていた。
「……だ、大丈夫か?」
体を丸めたララの布団の上に、ふわりと温もりが被せられる。比喩ではなく本当に温い。
なんだろうと確かめてみると、それは魔王のブランケットだった。
「まだ、さ、寒いか? 火は、ず、ずいぶんと焚いているのだが……」
魔王はララが凍えないようにと薪をふんだんに火に焚べていた。燃え上がる炎の大きさたるや、着火燃料の多い薬屋ではありえないほどの燃やしようだった。
ちなみにブランケットはララに掛ける前に火のそばで温めておいていた。
「これは、マーマオ様の……」
「い、いいから。おま、お前が使え」
「…………」
心細くなっていたララは、ブランケットの温さと魔王の顔を見たことでホッとした。
ぼんやりして返事をせずにいると「あっ、だが、嫌っ、嫌ならむむ無理にとは……っ」と魔王が挙動不審になり始めたので、温さの残るブランケットに顔まで潜った。
「……あったかいです」
くぐもって届いた声に、魔王は安堵してララが寝付くまで側にいた。
その後、ララの熱が上がりきった頃に魔王は食事を作った。
こっそり魔力で保存していたシジマのヤギミルクと、マルシャンからララが剥ぎ取っ……奪っ……置いていかせた携帯食のパンを一緒に煮込む。とろりとハチミツを垂らしてやれば、ほんのりと甘みあるパン粥の出来上がりだ。
「マーマオ様の手料理は、はじめてです」
「く、くくく口に合えばいいが」
「……美味しいです」
ララは優しい甘みに魔王の気遣いを感じながら、あますことなく完食した。
手料理をはじめて褒められた魔王は、嬉しさに口元をむずむずとさせた。
「き、着替えは、どこにある?」
熱冷ましの薬を飲ませ、またララが眠ってしまう前に魔王が尋ねる。寝汗をたっぷりとかいていたので、それが冷えてしまわないようにとの配慮だったのだが。
「あ、着替え……着替えは、今はないです……」
「今は……?」
どういうことかとララに聞けば、今まではたったの二着を着回して過ごしていたらしい。しかも夏用の薄手の服のみで上着もなく、冬を目前に寒くなってからはその二着を重ね着していたのだとか。
魔王は「なぜ気づかなかったのだ」と衝撃を受けて頭を抱えた。
「とっ、とととりあえず、僕の服を着てろ」
湯桶とタオル、魔王の服をララに与える。
着替えまでは手伝えないので魔王は食器を片付けにララスペースから退出した。
サイズ的に魔王が少年期終わり頃に着ていたものがちょうど良さそうなので、それをあとで探そうと考えながら。
「マーマオ様の匂い、落ち着きます……」
そんな声が聞こえてきて、魔王の足取りは慌ただしく崩壊した。
ララは満たされたお腹と整えられた衣服で、心地よく眠りに落ちていった。
薬屋の中を足音が移動する。たまに床が軋んで、あぁ、あの場所を通ったのだとララにはわかる。
まどろみで浅く眠っていたララは、魔王の立てる物音を心地よく聞いていた。
薬研が薬草を擦り潰す音も、乳鉢で粉末を擦り混ぜる音も、薬包紙のカサついた音も。魔王が座り直して、椅子がずれる音も。
たまに立ち歩いては、また椅子に座って作業を始める。コポコポと加湿用の湯が沸く音と、火が小さく弾ける音がして。
しばらく椅子を立った魔王は、気づけばララのベッド脇に椅子を寄せて座っていた。
「おはよう、ございます……?」
「あっ、お、起きたか」
ほんの少し眠っただけなのか、それともぐっすりと眠りすぎて頭がぼんやりとしているだけなのか。
熱の怠さはなくなったらしい体だが、それでもまだ動きたくないララは横になったままで魔王を見上げた。
「ねねね、熱は下がった、みたいだな」
「マーマオ様のおかげです」
「お、おま、お前が頑張ったからだ」
そんな返しをくれる魔王は、手元で何か作業をしていたらしい。見覚えのある、けれど魔王とは不釣り合いなそれに、ララは一瞬だけ虚を突かれた。
「……毛糸」
「あ、こ、これは」
魔王の手元にあるもの。
それは、棒針と毛糸だった。羊毛そのもののベージュ色の毛糸が、編みかけで魔王の膝の上に置かれていた。
「ちょ、ちょっとした時に、おま、お前が羽織ればいいと、思って」
ララにそれを広げて見せた魔王は「あ、合いそうな色は、これ、これしかなくて……」と編みかけのショールにそそくさと顔を隠した。
魔王のそんな優しさに、ララは至極真面目なトーンでつぶやいた。
「……どうして、そこまでしてくれるんですか」
「び、病人は等しく、ぼぼ僕の患者だ。そっ、それがでっ、弟子なら、なおさらに」
編みかけのショールの後ろで、魔王はもじもじと続ける。
「せ、先日は、すま、すまなかった。おおお前には、帰りが待つ者がいる、いるだろうと、思っていたんだ」
魔王の純粋な優しさと、不器用な気遣いと、温かな思いやり。それが、ララをぎゅっと締め付けた。
「……私の帰りを待つ者なんて、いません」
静かに、ララはそれだけ吐き出す。
それ以上のことは吐き出せなくて、喉元に出かかった秘密をぐっと飲み込む。苦しさに、涙が滲んだ。
ララにはいくつも秘密がある。
育ての親が薬師だったことは別として、魔王には告げられない秘密がいくつもあった。
元聖女だったことや、聖女として保護されていた城から抜け出してきたこと。その理由が万能妙薬の実態を暴くためだったり、さらにその理由が元聖女の居場所を作るための足掻きだということ。
魔王が、『魔王』であると知っていることも。
「――……っ、育ての親はもう、とっくの昔に亡くなりましたから」
ぐっと全てを飲み込んで、ララは人の良すぎる魔王を騙す。
「……そうか」
ララの頬を伝う涙を勘違いした魔王は、顔を隠していた編みかけのショールをララの肩に掛けた。温さが、さらにララの心を締め付ける。
「ふ、二人でいることに慣れたら……二人でいることに慣れずとも、ひ、ひとりは寂しい」
魔王に背中を撫でられたララは、耐えきれずに嗚咽を漏らした。湧き上がる苦しみは、いくら吐き出してもいつまでも苦しく残る。秘密を抱えて魔王に接すれば、人間よりも人間染みた魔王に接するほど。
「ひとりぼっちは、寂しい」
きっとその言葉は、魔王自身の言葉。
畏怖なる存在なはずの手は温かくて、誰よりも優しくて。その手に縋りつきたい気持ちを、ララは必死に抑え込んだ。