8「冬がくる前にここを出た方がいい」
「やぁ先生、髪を切ったんだね」
冬に備えて魔王が薪割りをしている時だった。
声に振り向けば、そこにはまだ来る予定のないシジマが立っていた。
背中には籠、手には皮袋を持ち、そういえば野菜を持ってくると言っていたなと魔王は思い出す。
「短くなっても男まえ……奇抜な前髪だね」
「……」
率直な感想を述べたシジマに、前髪アシンメトリーな魔王は唇をきゅっと結んだ。
薬屋に入るとシジマは籠を下ろす。
中には不恰好ながらに大ぶりな大根が入っていた。それでも比較的、綺麗なものを持ってきてくれたのだろう。
その他にも人参や芋が入っていた。
「薬は前に先生がいっぱいくれたからまだ必要ないんだけど、雪が降っちゃうと荷物を抱えてここまでは来れないから」
あぁ、どうりでと魔王は思う。
冬に備えていろいろ準備はしていたが、ここ数日でぐっと気温が下がった気がしていた。
雪が積もれば、こんな森の奥にある薬屋は来るのも出るのも命懸けだ。
「野菜と、ちょっとだけどこれも。ヤギの乳だよ。保存がきかないから、早めに飲んじゃって」
「わざわざすまないな」
魔王が野菜と皮袋を受け取ると、ララがシジマにお茶を出した。
「お野菜たくさん、ありがとうございます」
「先生にはお世話になってるからね。人を一人養うってことは、大変だからさ」
食い扶持も増えるし、生活も変わる。自分だけで完結していたものが、そうはいかなくなる。しみじみとするシジマに、魔王はうんざりするほど共感した。
「ところでお嬢さん、足の具合は?」
「はい、もうすっかりと」
「それはよかった」
ごちそうさん、と早々にお茶を飲み干してシジマは帰っていった。
シジマを見送った魔王は窓から森を見上げる。
風に揺れた枯葉が枝から舞い落ちた。木々はいつの間にか、すっかり冬に向けての装いを整え終えていた。それに気づいてしまえば、雪が降るまでもう間もないことがわかる。
「雪が降れば、ここからは出られなくなる……」
お茶の片付けをするララを見やれば、とっくに足を引きずって歩くことはなくなっていて。
森の様子同様に、気づいてしまえばそれが懸念に変わる。
――いや、それに関してはとっくの前に魔王は気づいていたが、向き合うことを恐れて今に至っている。
ララと面と向かうことを避けてきた魔王に、冬は刻々と猶予なく迫っていた。
「……お前、足が治っているなら、冬がくる前にここを出た方がいい」
窓の外を見たままララに向ければ、魔王の胸はなぜかぎゅっとした。
ララの返答を待って鼓動が忙しなくなるが、予想に反してガシャンッとけたたましく食器の落ちる音が返ってくる。魔王は「ヒッ」と振り返った。
「いっ、たたたた……」
「な、ど、どうした? だだだ大丈夫か?」
座り込み、足をさするララ。
おろおろと近づいた魔王は痛がるララに困惑して両手が挙動不審になる。
「足が急に痛んで……」
「なっ治ったのではなかったのか?」
「治っていなかったようです。とっても痛いです」
棒読みでハキハキと返してくるララは明らかにわざとらしさを感じさせているが、きょどってしまった魔王にそれを汲み取る余裕はなかった。
「ぼ、僕が片付ける」と落とした食器を魔王が持つと、ララには休むようにと促した。
それから数日、魔王がいる前ではあからさまなララの演技が続いている。
誰がどう見ても三文芝居。猿に演技を仕込んだ方がよっぽど上手いのではと思うほどに大根役者。
それでも熱心に演技するララに、魔王は魔王で毎回律儀におろおろと心配をしていた。
止める者がいなければ、その状況に異を唱える者がいるはずもない。二人の猿芝居は、延々と繰り広げられていた。
「きょ、今日も足が……」
「むっむむむ無理はするな、僕が、か、家事をするから」
魔王は気が気でなかった。
これまではララのことを邪険に思っていたし、足を怪我しているからといって何かしてやろうと考えたこともなかった。
しかし、なぜか今は違う。
どんな心境の変化でと問われれば魔王自身にもわからないが、ララのために何かしてやりたいと強く思っていた。ララが心配で仕方なかった。
足を痛がるララに、魔王はララ以上に胸を痛めていた。
「おお、お前は休んでいろ」
そして、続けられる棒読み芝居だが、その度に良心を痛める者もいた。魔王に心の底から心配をされ、同情心溢れる思いやりを見せられ続ければ当たり前のことだった。
この状況をつくり出した張本人であるララは、耐えきれずに吐き出した。
「…………もう限界です……」
「な、何?」
「もう限界です……」
いまだ心配の面持ちでいる魔王に、ララはわっと掴みかかった。
「どうしてマーマオ様はそんなに純粋なんですか……!?」
「じゅっ、純粋?」
「マーマオ様は純粋すぎます!」
純粋……?
魔王は掴みかかられたまま硬直した。普通にララが近かった。
「もっと人を疑った方がいいです!」
何も言い返さない魔王に、ララは一方的に捲し立てた。
「純粋すぎるマーマオ様なんて嫌いです!!」
「なっ、き、嫌い……!?」
もはやララの言い分は八つ当たりだったが、魔王の心を抉るには十分なワードだった。
「嫌いです!!!」と捨て台詞のように吐き捨てたララは薬屋を飛び出してしまった。
「嫌い……」
残された魔王は、呆然とその言葉を繰り返した。
雪がちらちらと降り始める。
初雪はいつだって心踊るものだが、この時ばかりは魔王もララも空を見上げることはなかった。
飛び出した上に八つ当たりまでしたララは、行き場を失い途方に暮れていた。足を止めたところで適当にしゃがみ込むと、気持ちが落ち着いて寒さに震えた。
その姿を見つけて、遅れて後を追ってきた魔王はララの肩にブランケットを掛けた。慌てて自分の寝床から引っ張ってきたものだ。
「き、気に障ったなら、あ、謝る……」
近づく足音で魔王と気づいていたのだろう。
ララはブランケットに驚くこともなく、魔王の謝罪にも微動だにしなかった。
「ぼ、僕のことは、ききき嫌いでも……嫌いでも、構わないから……」
ちらちらとララの様子を窺いながら言葉を選ぶ魔王は、自ら発した「嫌い」というワードに改めて心を抉られる。構わないと言いながら、魔王の声のトーンは下がった。
「風邪を、ひいてしまうから……」
なんの反応を見せないララに、魔王はこれ以上はどうしようもなくうなだれた。
「一緒に、帰ろう……」
舞い降る雪が森中の音を拾い集めて静寂をもたらす。小さくなった魔王の声などあっという間に雪の中に吸い込まれてしまった。
木の葉すらざわつくことのない、静かな世界に聞こえるのは二人の息遣いだけ。
やがてブランケットを掛けられたララの肩は、寒さとは違う理由で震え出す。
「マーマオ様のことは、嫌いではありません」
魔王にとっては嬉しい否定。だが、それが涙声のせいで喜ぶことはできなかった。
ララは大きなブランケットを胸元で手繰り寄せながら立ち上がると、顔を伏せたまま魔王に向き合った。
「弟子だって、マーマオ様が言ってくれたのに」
「う、いや、言ってはしまったが、そ、それは……」
「私では役に立ちませんか?」
「そ、そ、それは……」
勢いだったとはいえ、確かに弟子宣言をしてしまった上に薬屋の機能としてはララがいてくれた方が助かる。
しかし、だからといってララを薬屋に置くことは、例えララがそれを望んでいたとしても、魔王が簡単に決められることではなかった。
たじたじで答えを出せない魔王の、雪除けに羽織ってきたローブをララがそっと掴んだ。
「ここにいたいと言ってはいけないことは、わかっているんです。でも、二人でいることに慣れたら、一人は寂しいです」
「ど、どういう……?」
「一人は、寂しいです……」
ララの言葉がどこに繋がるのかわからない。
けれど、ぽろぽろと涙の粒を落とすララに、魔王は何も言えなかった。
ひとりが寂しいのは、魔王が誰よりも知っていることだった。