3「ウ、ウ、ウサギは食べないぃ……」
壁に吊るされた大量の薬草。すっかり乾燥し、作業台の上に山積みになっているのも調薬待ちのたくさんの薬草だ。
魔王が目を覚ますと、そこは見慣れた薬屋のベッドの上だった。
「僕は……?」
魔王は寝起きの頭でぼんやりと考えた。
何かとんでもないことがあった気がする。
それはそうと、そろそろ商人がまた買い付けに来る頃かもしれない。薬を多めに作っておかないと、薬屋の在庫が無くなってしまうほど今度も根こそぎ買い取られてしまう。
多めに作れば作るほど安価に買い取られるなど、人間の商売とは複雑なものだ。
魔王は突貫で仕立てた簡素な衝立に目を向けた。その向こうにはララという厄介な少女のスペースがある。
ララが来てからはすっかり生活のペースも調薬のペースも乱され、魔王は大きくため息を吐いた。
「調薬したくとも、四六時中気配があるとな……」
魔王の調薬には魔力を込めるという作業がある。
人間が持たない力を使うということは、決して人に見られてはいけないということだ。これだけ身を潜めて生きてきたのに、それが発端で魔王だとバレてしまってはあまりに情けない。
ララが寝入った深夜にでも森の中で調薬をするかと、魔王が考えをまとめた時だった。
「マーマオ様? お目覚めですか?」
恐ろしくタイミングよく、ララが魔王スペースに顔を覗かせた。
「ヒッ!!!?」
魔王は当然のごとくベッドから飛び起きて壁に身を寄せた。その動きでなぜか脇腹が疼き、鈍い痛みに顔を歪めた。
「あっ、お腹……! 痛みますか? ごめんなさい、私じゃどうしようもできなくて……!」
ララが慌てて魔王のベッドに寄ってくる。
縮まる距離に、痛みよりも逃げ出したい魔王だったが、唯一の出入り口をララに塞がれ逃げ道がない。
呼吸の仕方を忘れかけた魔王はどんどん青ざめていく。
なぜララが謝る? なぜ腹が痛むのを知っている? なぜ、そんなに慌てている……!?
少女とはいえ、魔王にとってララは脅威の存在。気を失っている間に何をされたのだろうと、壁にめりこむほど寄せた自身の体を抱いた。
そんな魔王の的外れな怯える瞳に、ララはララで「それほど痛むんですね……」と見当違いの労しい瞳を向けていた。
「マーマオ様が失神された後、動物達がここまで運んでくれたんです」
ララは悲痛な面持ちで、事実だったとしても信じ難い話を真面目なトーンでしゃべり始めた。
その話の始まりに、寝ぼけてとんでもない何かを思い出せずにいた魔王はようやく失神前のことを思い出した。
「その際に雄鹿が、マーマオ様をうまく背に乗せられず、その……脇腹に角をガツガツと当てていまして……」
「あ、な、なるほど……」
信じ難い話を、魔王は素直に受け止めた。
動物達と言われ、魔王にとっては家族そのものの存在を挙げられ、疑うという選択をなくした。
「お手伝いしようにも、足が痛んで大した力にもなれず……」
「そ、そうか」
「マーマオ様の大きな体は、私には支えることができず……」
「そ、そうだな」
脇腹の痛みの理由がわかり、魔王にはその光景が容易に想像できた。
雄鹿はなんとか角で魔王の体を掬い上げ、背に乗せようとしては上手くいかず転がし落としでもしたのだろう。手の甲にできた擦り傷や、足の脛に恐らくできているだろう青たんも、動物達の好意によるものだ。
なぜそれがわかるかといえば、ララを拾った日、ララを薬屋に運んでくれたのも動物達だったからだ。狼狽える魔王を落ち着かせてくれたのも、動物達だった。
動物達の乱暴さを止められなかったと悔いるララに、魔王はむしろ動物達の不器用な優しさに感動していた。種族は違えど、共に育ち生きてきた家族なのだ。
二人の思考は相変わらず、どこまでもすれ違っていた。
……ぐぅぅぅ。
ララのお腹が鳴るまでは。
「あっすみません、ちょうどスープを作っていて……。マーマオ様も食べてください! よかったら!」
そそくさと魔王スペースから退出したララは、すぐに木皿とスプーンを持って戻ってきた。
「どうぞ」と目の前に差し出されては受け取らないわけにはいかず、魔王は恐る恐るスープを受け取った。
「味は、美味しいと思います」
ララは眉を下げて微笑むと、「食べ終わったら食器は置いておいてください」と出て行ってしまった。
ほわほわと湯気の立ち上るスープから香草の香りがする。いつもララが作っているスープの匂いだ。
一緒にと誘われるものの、毎度断り口にしたことはなかった。改めてまじまじと、魔王はララのスープを観察する。
なんとも色味のないスープだ。小さな具材が気持ちばかりに入っているだけで、だけど香草が香りのアクセントになっているようで食欲をそそる。
魔王は覚悟を決めて唾を飲み込むと、一口啜った。
「……美味しい」
香りから、想像通りの味だ。
そのスパイシーさを邪魔する具材がなく、むしろちょっと物足りなさを感じるくらいだった。ゴロゴロとした野菜や、肉を入れてほろほろになるまで煮込んでもいいだろう。
この世界に生まれてから、はじめて誰かの手料理を口にした魔王は感動でララのスープを飲み干した。意識していなかった空腹が少し満たされる。
残る後味に、やはり野菜をゴロゴロ入れるとなお良いなと考え、ふと思う。
――少なかったとはいえ、具材はどこから調達したのだろう? と。
魔王は硬直した。硬直して思考を巡らせた。
スープにはなんの具材が入っていただろうか。肉や魚は入っていなかったし、そんな旨味も感じなかった。では野菜は? 野菜の旨味はあったか? いや、わからない。
野菜から出る優しい旨味は、あったとしても香草によって掻き消されていた。小さく刻まれたあの具材が野菜だったかわからない。野菜のようで、木の実やただの葉っぱだったようにも思う。
魔王の心臓がドンドコドンドコ大きく鳴った。
ララを拾った時、落ち着いた後に倒れた理由を聞くと「空腹」だと言っていた。朦朧としていたところ、ウサギに驚かされそのまま気を失ったのだと。
魔王は食に対して無頓着だ。
わずかな保存食は作ってあるが、日々の食事は薬草を取りに行って見つけた木の実をつまんで済ませたり、面倒くさい時など乾燥させる前の薬草を食べることだってあった。
決まった時間に作り、食べるという習慣がなかった。
ララには保存食を好きにしろと言ってあったが、魔王から食料を与えたのはその時のみ。
怪我をした足で森の中を歩き回れるわけもなく、食料を探している様子を見たこともなく。
魔王の食に対する無頓着さが、ララを飢餓に追い詰めていた。
「しょ、食料を探して来ねば……!!」
魔王は立ち上がった。普通にやばいと思った。
そういえば常連のシジマが今度野菜を持ってくると言っていたが、倍量の薬を渡してしまったがゆえに今度とは果てしなく今度になってしまった。余計な事をしてしまったと悔やみながら、魔王は律儀に木皿を洗い桶に突っ込んで薬屋を出た。
驚いたララが騒いでいるが、そんなことなど気にしていられない。
ズンズン歩き、森中に目を凝らした。食べられる木の実、きのこ、野草だって集めればララ一人分の腹くらいなら満たせるだろう。
あれじゃない、これじゃない、と魔王は目につくものに手を伸ばして選別した。さすがに腹を壊すものは経験があったので避けることができた。
「なんとか、一食分に足りるだろうか」
持ってきた籠に集めた食料を見て、魔王は肩を落とした。なかなか量が集まらない。
気づかぬうちに自分が食い尽くしてしまったのだろうかと思ってしまうほど、探してみると見つからないものだ。
「仕方ない。明日の分は、また明日に……」
改めて保存食も作らないと。
蔑ろにしていたララの生活を整えてやらねばと考えながら薬屋に戻った魔王は、そこでララの姿を目にした途端に悲鳴をあげた。
「なっ、なん、なんっ、なんっ……!!!」
「おかえりなさいマーマオ様! 見てください、ウサギを捕まえました!」
ララの手には耳を掴まれ怯えるウサギがいた。昨日、魔王に危機感を覚えろと注意されたばかりのウサギだ。
ひっくり返った魔王を心配してお見舞いにでも来たのだろう。
魔王は笑顔のララからウサギをひったくった。
「マーマオ様、肉です! また逃げられる前に締めましょう!」
「締め……!? こ、このウサギは僕の……っ」
「肉です! マーマオ様、肉です! 早く締めてください!」
「ウ、ウサギは僕の……っ」
ララの目は爛々としていた。
当たり前に食、特に肉に飢えていた。
「さぁ締めてください! さぁ! さぁ!」
「ウ、ウサギは……っ」
魔王はウサギを抱きしめた。ウサギも震えているが、ララの肉への執着に魔王も震えていた。
「ウ、ウ、ウサギは食べないぃ……」
早くこの娘に食い物を与えに来てくれ……!
シジマに胸中で叫びながら、魔王ははじめて人前で泣いた。