一方通行の想いでも、幼馴染を婚約者に希望します。
「一目お会いしたいです、婚約者様!」
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上記作品に出てくるユールディルとレニアーニのお話です。
ユールディルは人と関わるのが苦手だった。
幼い頃から人と話すのが苦手で、初めて会う人とは特に緊張して、なかなか話をすることもむずかしかった。
昔よりは改善しつつあるものの、今も初対面の人との会話には苦手意識がある。人との繋がりが求められる貴族社会は、正直自分には向いていない、そうユールディルは感じていた。
それなのに。
生徒会の一員でもないのに、何故か授業終わりに生徒会室に呼び出されたユールディルは、生徒会長と副会長を前にソファで緊張した面持ちで座っていた。
ユールディル自身もエンダルク公爵家の子息であり、学園内の生徒の中でも身分は高いはずなのだが、目の前の二人を前にしては、縮こまるしかない。
にこにこと微笑んでいる人間離れした美しい顔立ちの生徒会長は、このシャルディ王国の王子殿下--ルーカス=シャルディであり、不機嫌そうなな表情で足を組み座っている金色の髪に、紫色の瞳の副会長は、プレザイン公爵の子息マリウス=プレザインである。
二人ともユールディルより年上であり、身分も同等以上である。
「……何か、ありましたか」
父に連れられて王宮に行った時に挨拶をしたことがあるぐらいで、どちらともあまり話をしたことがないそんな二人から視線を向けられて緊張しないはずがない。
「なんか、マリウスの婚約者のため息が絶えないみたいでさ」
笑顔のまま話し始めたルーカスの言葉にユールディルの頭に疑問符が飛ぶ。マリウスの婚約者と言えばユールディルの幼馴染でもある、ノトーナ公爵令嬢--メメリア=ノトーナである。
「メメリア、……ノトーナ嬢が、ため息ですか?」
名前で呼んだときマリウスから軽く睨まれた気がしてユールディルは思わず言い直した。メメリアの婚約者はどうやら嫉妬深そうだ。勘弁して頂きたい。
「そう。なんでも、大事な友人が婚約破棄されて悲しんでるのに、自分は婚約者を知れて幸せ、なんて良くない!って言ってるみたいで、なかなか週末に会ってくれないみたいなんだよ。ねぇ、マリウス」
そう言ってルーカスがマリウスを見ると、メメリアの婚約者であるマリウスが頷いた。
もしかしなくても間接的に僕のせいってこと……?
レニアーニの婚約破棄は僕のせいだから、睨まれてるのか!ってか、メメリアはもう少し婚約者の性格理解して、波及性まで検討した上で発言をしてほしい……!
ずっと不機嫌そうな表情を崩さないマリウスが口を開く。
「お前がメメリアの友人の婚約破棄に動いたんだろう?何故さっさと婚約を申し込まない」
直接的な物言いで聞かれて、ユールディルは返答に困った。
正直なところユールディルにしてみれば今すぐ婚約を申し込みたいし、ずっとそう思っている。それができていないのは、一重に家の問題だ。
ユールディルは、父親に何度もレニアーニとの婚約を打診していた。しかし、なかなか色良い答えが貰えなかった。
『同じ幼馴染なら、ノトーナ令嬢の方がいいんじゃないかい?』
『メメリアにはすでに婚約者がいます』
『でもまだ本当に結婚するかはわからないだろう?なんせ犬猿の仲の両家だ。とてもそのまま結婚するとは思えないけどなぁ』
それがユールディルの父親であるエンダルク公爵の考えだった。しかし、先日のプレザイン家の夜会に、メメリアが招待されたことで、状況は変わった。
メメリアとマリウスの仲は悪くない、むしろマリウスの方がメメリアをとても愛しく想っている様子が側から見て明らかだった。
とても婚約破棄するとは思えなかった。
『ノトーナとプレザインの婚約が破棄されることはないです。レニアーニ嬢との婚約を許可してください』
ユールディルはその日のうちに父親に掛け合ったのだが、良い顔をされなかった。少し困ったような顔で微笑む。
『一度婚約破棄された令嬢だよ?ユールにはもっと良い令嬢がいるんじゃないかい?』
『僕はレニアーニがいいんです!』
『もう少し冷静になってごらん。婚約破棄された令嬢だよ。しかもアルーシャ伯爵家の長女はどうやら家では虐げられているみたいじゃないか。家のほとんどを後妻の伯爵夫人が取り仕切っているんだろう?将来なんの助けにもならない』
父親の言葉に愕然とした。
レニアーニの婚約破談を頼んだのは自分だ。その婚約破棄によってレニアーニの結婚相手としての価値が下げた。そして、レニアーニや自分ではどうすることもできないアルーシャ家の問題を出されて、ユールディルは父親に何も返せない。
父親がレニアーニの婚約破棄に簡単に応じてくれたのはこう言う意図があったからなのだろう。自分の考えの甘さに嫌気がさす。
淡々と話をしたユールディルに対して、ルーカスは「なるほどね」と納得したように頷いた。
「それで?諦めたのか?」
マリウスの不機嫌な様子は変わらない。そのままの表情でユールディルを見てくるのだ。その瞳にユールディルは怒りが込み上げてくる。
「諦められるわけないじゃないですか!」
一体何年もの間、レニアーニを好きだったと思っているのか。幼い頃からずっと変わらない、あの花のような笑顔を守りたいのに、自分で何一つ守れないどころか、傷をつけている自分が嫌で嫌でしかたなかった。
それでも自ら彼女を諦められるわけがなかった。
「アルーシャ家の問題は、たぶんエンダルク公爵は言ってみただけって感じするね。だって、結婚してしまえばアルーシャ嬢の方が身分は高くなるし、邪魔ならどうとでもできそう。どちらかって言うと、婚約破棄によるアルーシャ嬢の世間からの評価と君がどう行動するかを試してるのかな……」
マリウスは腕を組むと悩む仕草をみせる。
「でも、婚約破棄から評価を上げるのは難しくないですか……」
「そんなこと、関係なく父親を納得させればいい」
「マリウスみたいに力技じゃ無理。なんだかんだプレザイン公爵は律儀な人だよ。マリウスが強く望めればそれを受け入れるだろう。でも、それに比べるとエンダルク公爵って、どちらかと言うと狡猾なイメージなんだよね。あ、ごめんね」
父親のことを言ったことを謝られたのだろうが、ユールディルは首を横にふった。ユールディルから見ても父親は狡賢いと思う。
「アルーシャ嬢の評価を上げる方法として、こんなのどう?」
そう言って、ルーカスがにこりと笑った。
「いいんじゃないかな?相手に勝つには自分も狡くいかないと勝てるわけがない。使えるものは使えばいい」
そんなマリウスの言葉に押されて、ルーカスは渋々ながらも頷いた。レニアーニの価値を可能な範囲で上げる方法に。
ただ、その方法すら、ユールディルの心は痛む。
***
レニアーニは隣で座る友人を見た。
最近メメリアがとても幸せそうで、横でその笑顔を見ていると安心する。なかなか見つけられなかった婚約者と会うことが出来て、明るい笑顔が戻ってきたのだ。
やっぱりメメリアには晴れた日の太陽のような笑顔がよく似合うと思う。
これまで当てもなく、時間が許す限り手当たり次第行くばかりだった渡り廊下も、最近は決まった時間に行くようになった。
短い時間でも婚約者を見ることができると嬉しそうに帰ってくるメメリアは、レニアーニから見てもとても可愛かった。
「いいなぁ……」
思わずそんな風に口にしてしまうと、メメリアがハッとしたように表情を固くする。
「ご、ごめん!」
「そんなメメリアが謝るようなことはないわ!メメリアすごく嬉しそうだから、少し羨ましくなっちゃったの」
そんな友人と比べて、レニアーニは婚約破棄をされたばかりだった。初めての夜会で出会った伯爵令息に見初められて、婚約に至ったのだが、どういうわけかすぐに婚約破棄を言い渡されてしまったのだ。
悲しくて悲しくて仕方なかったが、自分が至らなかったのだろうと言い聞かせるしかない。
「レニアーニには、絶対に良い人が現れるから!レニアーニは女神だもの!」
「もー、そんなこと言ってくれるのメメリアだけよ」
いつも褒めてくれる幼い頃からの赤髪の友人はそう言ってくれが、一度婚約破棄をされたと言う事実が、次の婚約に不利に働くのは明らかだった。
レニアーニはアルーシャ伯爵家の長女だった。下には妹と弟があるが、どちらもレニアーニとは母親が異なる。レニアーニの母親はレニアーニが幼い頃に亡くなっており、今のアルーシャ伯爵夫人は後妻である。
継母からは早く結婚するように会う度に言われていることもあり、レニアーニはアルーシャの屋敷に足を運ぶのがとても億劫になっていた。
普段は学園の寮に居るため、週末の呼び出しさえなければレニアーニの心は穏やかだった。仲の良い友人と学園で生活している間だけは、それも忘れられる。
「ねぇ、レニアーニ。来週末の殿下の誕生日の夜会には行かない?」
「殿下って、第一王子殿下のこと?」
「そう。マリウス様がパートナーとして誘ってくださったけど、レニアーニは行かないのかなと思って」
「……、家からは何も言われてないから、参加しないかな」
それを聞いたメメリアがカッと目を開く。赤い目の瞳孔が開き迫力が増す。
「また⁉︎じゃあ、私からアルーシャの家の方に手紙出すから、行こう!殿下の婚約者候補を探す夜会でもあるから、基本的に結婚適齢期の女性は参加よ!」
「殿下の婚約者候補を探す会なの?じゃあ、余計に行かなくてもいいような……」
「何言ってるの!レニアーニは新しい婚約者見つけるんだから!良い人探すの!」
「でも……」
「私、レニアーニには絶対幸せになってほしいの!レニアーニ、今暗い考えになってるでしょ」
そんな風に見せていないつもりだったが、メメリアにはお見通しだったようだ。
幼い頃からよく一緒に遊んだ彼女は、その真っ赤な髪と同じように常に熱量高く、レニアーニを巻き込んで、一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったりしてくれる。
レニアーニが落ち込んでいれば必ず一緒になって考えてくれる。
「……、ありがとう、メメリア。大好き」
「私も大好きよ!レニアーニ!こうしちゃいられないわ。私手紙書く!」
「ダメよ、もう授業始まるわ」
***
メメリアの手紙のおかげか、継母から王子殿下の誕生日の夜会へ出席するように連絡があった。メメリアにとっては屋敷へ週末に戻らなければならないことを意味しており、その意味では少し憂鬱になる。
ただ、あと三年もしたら学園も卒業しなければならないため、先のことを考えておく必要があった。
思わずため息を吐きたくなるが、レニアーニはそっとそれを飲み込んだ。
『幸せが逃げちゃうから』
ため息をつかずに飲み込みなさいとよくレニアーニに言っていたのは実母である。
『その代わり、ため息を吐きたいようなことがあったら、私に教えて頂戴』
そう言ってくれていた母はもう居ない。
父は基本的に継母の言うことを否定したりはしない。レニアーニ自身も継母にひどく扱われているとは思わないが、距離はあると感じる。仕方ないことだとはいえ、早く家を出るように言われるのは辛くもある。
鬱々としそうになる自分をレニアーニは叱咤した。今レニアーニが楽しく過ごせているのは、母が生きていた頃から遊んでいた幼馴染たちのお陰である。隣にいるメメリアを心配させたくはない。
***
王子殿下の誕生を祝う夜会はとても華やかなものだった。大きな会場には様々な人の姿があり、色とりどりのドレスを身につけた若い女性の姿が特に目立つように感じた。
王子殿下の婚約者を選ぶ会でもあるのよね。
「レニアーニ!」
明るい声で呼びかけてくれたのはメメリアだった。真っ赤な髪を今日は結い上げており、大人っぽい印象が強い。
「よかった、ちゃんと来られたのね」
「えぇ。ありがとう」
「殿下には挨拶した?」
「ううん、まだよ。メメリアは?」
「私もまだだから一緒に行きましょう」
何気ない誘いだが、メメリアはレニアーニを待っていてくれたに違いない。レニアーニは会場までは、継母と来たがすでに離れており、どこにいるかはわからない。
この国の第一王子であるルーカス=シャルディは、絶世の美形だった。女性であるレニアーニからみてもとても美しい人だと思う。人間離れしたと言うのがまさにぴったりの言葉だと思った。
「王子殿下にご挨拶申し上げます。本日はおめでとうございます」
そう言ったメメリアとレニアーニに、ルーカスは優しく微笑みを返してくれる。同じ人間であることが不思議な存在であるルーカスは、レニアーニからみると本の中の登場人物を見ているかのような気分になる。
「ありがとう、ノトーナ嬢、アルーシャ嬢」
メメリアのことだけでなく、レニアーニのことも覚えていてくれたことに驚いたが、王子殿下と言う存在を目の前にレニアーニはずっと緊張しっぱなしだった。メメリアと王子殿下が何やら話していたが、レニアーニには全く頭に入って来なかった。
挨拶を済ませて離れると、見慣れた人物が現れて、レニアーニはホッとする。
「ユール」
「久しぶり。レニアーニ、メメリア」
そう言って現れたのはエンダルク公爵家の嫡男ユールディル=エンダルクだった。
三人は小さな頃からよく遊んだ仲で、所謂幼馴染だった。今でもたまに週末に三人でお茶をすることもあるほど仲が良い。
ユールディルもメメリアも、レニアーニよりも身分が高いのだが、二人はそんなを気にすることもなく、今も仲良くしてくれている。
レニアーニはそんな二人がとても好きだった。特に二人と一緒にいると、小さい頃の楽しかった記憶にいつまでもいられる気がして、幸せなままいられる気がして、心地よかったのだ。
でも、それも少しずつ変わりつつある。
メメリアは婚約者と出会い、婚約者と過ごす時間が増えている。とても良いことで、メメリアが幸せなことも嬉しいのに、少し寂しく感じてしまう自分が嫌になる。
ユールディルを見上げると、いつものように優しく笑ってくれる。ユールディルは男性で昔に比べるとずいぶん背も高くなって体つきも男性らしくなったが、柔和な顔つきや物腰柔らかな態度などは小さな頃から変わらない。
先ほどまでとても緊張していたが、柔らかなユールディルの笑みを見ると心が落ち着いていくのがわかった。
「ユール、レニアーニ。私、マリウス様に呼ばれたから少し行ってくるわ」
メメリアが、少し遠くを指差して言った。そこには金色の髪に紫色の髪の男性が、メメリアのことを見ている姿があった。メメリアの婚約者のマリウス=プレザインだ。
レニアーニが初めてみたときは、正直少し怖そうな人だなと言う印象だった。夜会でもあまりにこやかに笑うこともなく、淡々とした様子で周りと接しており、メメリアにどう説明しようかと少し悩んだぐらいだった。
しかし、マリウスはメメリアの前では、いや、メメリアを見るととても柔らかく笑うのだ。それを渡り廊下で見たレニアーニには、マリウスがメメリアを大切に想っていることが瞬時にわかり安心した。
メメリアが手を振って去っていくのを、同じようにレニアーニは手を振って見送った。
「メメリア、幸せそうでよかった」
「そうだな。プレザイン様ってもっと怖いイメージだったんだけど」
「ユールも?私も初めて夜会でお見かけしたときは、全然笑わない方だなって思ったぐらいだったの」
「わかる。普段学園で見てもそんな感じなのに、メメリアを見てる表情が違うよな」
「うん」
二人して婚約者の元へ向かう友人の背中を見送る。やはり、一人欠けてしまうことにレニアーニは寂しさを感じた。
「そろそろユールも婚約者が決まる頃?」
「え?俺?」
「ユールは引く手数多でしょう?そろそろ公爵様がお相手を決める頃じゃない?」
「いや、俺はまだ……」
ユールディルはそう言うが、将来有望な公爵令息がいつまでも婚約者が決まらないはずがない。きっとすぐに婚約者が決まるだろう。
そうするときっと、ユールディルも婚約者の元へ行くことになるだろう。
レニアーニは自分が真っ暗なところで一人になる気がした。メメリアとユールディルがいるときは明るい場所も、二人がいなくなると真っ暗に感じる。
「婚約者ができたら、早く教えてね」
レニアーニがそう言うと、ユールディルは少し困ったような顔をした。
「……、レニアーニ、僕は」
そう言ってユールディルが何かを言いかけたとき、高い靴音が二人の方に向かって来ることに気づき二人は同時に音のする方を見た。
そこに現れたのは、レニアーニの継母である、アルーシャ伯爵夫人だった。亜麻色の髪に緑色の瞳を持つレニアーニとは違い、橙色の髪に同じ色の瞳を持ち、血が繋がっていないことは一目でわかる。
伯爵夫人はレニアーニの横に立つとユールディルを見た。
「いつもレニアーニと仲良くしてくださっているようで、ありがとうございます。娘が失礼なことをしていないでしょうか?」
人の良さそうな笑みを浮かべて挨拶をする伯爵夫人にユールディルも形式的な笑みを返す。
「とんでもありません。いつも彼女の優しさに助けられています」
「あらそうでしたか。もしよろしければ今度屋敷にもいらしてください。いつもレニアーニがお招き頂いているでしょう?この子の妹にも会って頂けると嬉しいですわ」
レニアーニはすぐに夫人の言葉の意図には気がついた。あわよくばユールディルの結婚相手に妹を当てようと言うのだろう。
「そうですね。機会があれば」
ユールディルは笑みを浮かべたままそう答えた。それ以上話が広がりそうにないと感じたのか、夫人はレニアーニに視線を送る。
「レニアーニ。あなたと話をしたいと仰る方がありがたくもいらっしゃったの。行きますよ」
レニアーニは夫人の言葉を断るわけにもいかず、ユールディルに会釈をして夫人の後ろを歩いた。
メメリアも離れ、レニアーニ自身も離れていくこの状況が、まるで今後の三人の関係を示しているようで、いつか離れざるを得ない関係だと言われているようで、とても心が痛んだ。
***
夫人がレニアーニを紹介したのは、レニアーニと比べるとずいぶんと年が離れた男性だった。夫人に言われ挨拶をすると、食い入るように上から下まで見られ、とても居心地が悪かった。
「あまり気が利かない子で、先日も婚約破棄されたばかりなんですの」
笑いながらそんなことを言う夫人に、レニアーニの心は暗く沈んでいく。説明を聞かなくてもわかる。おそらく夫人はこの男性の後妻が何かに当てようとしているのだと。
なんとか笑顔を保っているものの、自分が至らないせいだとわかっていても、悲しく感じないはずがない。
婚約破棄をされた令嬢など次にまた普通の婚約を求める方が難しいのは分かりきっている。だけど……。
「レニアーニ!」
突然大きな声で名前を呼ばれると、レニアーニは誰かに手を掴まれた。後ろを振り返ると、そこには先ほど別れたばかりのユールディルがいた。
息を切らしたユールディルは、そのままレニアーニを自分の腕に引き寄せると伯爵夫人と目の前男性を睨みつける。
「レニアーニは、渡せません」
いつものユールディルからは想像できない物言いに、レニアーニも驚いた。ユールディルはいつも穏やかで落ち着いている。
「行こう」
そう言うとレニアーニの手を握ったまま、ユールディルは会場の外へと出ていった。
***
「……、ごめん」
王宮の大広間を出た二人は、薄暗い庭園にいた。噴水の音だけが響く静かな場所だ。
二人の息も落ち着いてきたところで、ユールディルはレニアーニの手を離すと頭を下げた。
「ユール?」
「本当は我慢しなきゃいけなかったのに、……我慢できなくて計画をぶち壊した」
「計画?」
レニアーニには話が読めず首を傾げる。
「レニアーニ、……今のもそうだけど、邪魔してばかりでごめん」
ユールディルが深く頭を下げて謝るため、レニアーニは慌てて止める。
「やめて、ユール。さっきのは正直ちょっと辛いなって思ってたから、大丈夫よ」
優しく微笑むレニアーニに対して、ユールディルは罪悪感ばかりが募る。自分の都合ばかり考えて行動して、レニアーニを傷つけている。この行動だって、アルーシャの屋敷に戻るレニアーニが伯爵夫人に責められかねないというのに。
ユールディルの一方通行であるのは明らかなのに。
レニアーニは、メメリアにもユールディルに対しても良い意味で平等で、分け隔てなく絶していた。幼馴染という特別ではあるものの、それ以上ではない。彼女にとっては、メメリアもユールディルも同じだ。
「……、レニアーニ、君の婚約を破談にしたのは、僕なんだ」
「え?」
レニアーニの表情がますます困惑した表情になる。ユールディルの言っていることが理解できないと言うような顔だ。
「レニアーニの婚約が破談するように、父に頼んだんだ」
レニアーニはどう受け止めていいのかわからないと言う悲しげな表情に変わった。
「……、私たち友達じゃなかったの?」
そんなレニアーニの言葉に、表情がひどく傷ついたものになった自覚があった。そんなユールディルの様子に、レニアーニはショックを受けた顔になっていた。
友達。それでいいと受け入れられればよかったのかもしれないが、ユールディルはそれ以上を望んでしまった。それでも、突然三人の関係を壊す勇気はなく、中途半端な状況を続けていた。
自分だけが気持ちを抱えたまま、隠したまま。
「私、ユールに嫌われてたの……?」
「違う!そうじゃない!」
「じゃあどうして⁉︎私、もう、まともな結婚はできないかも知れないのに!」
目に涙を溜めて言うレニアーニを見て、こんな表情をさせているのが自分だと言うことに苛立つ。レニアーニにはずっと笑顔で居て欲しいのに、全然思うように行かない。ぐっと右手を握りしめると、ユールディルは強い瞳でレニアーニを見据えた。
「レニアーニ、好きだ」
はっきりとそう口にしたユールディルに、レニアーニは驚きに目を見開く。後退りユールディルから離れようとするレニアーニの手を取る。
「幼馴染の関係が壊れるのが怖くてずっと言えなかった。でも、ずっとレニアーニのことが好きなんだ」
レニアーニの手を取る自分の手が震えていることに情けなく感じながらも、なるべくレニアーニが怖がらないように触れる。
ずっと隠していた気持ちを曝け出すのは恐ろしさしかなかった。もうこれで終わりかも知れない。そう考えると、どうしていいかわからなくなる。それでと、もう止められない。
「誰にも取られたくなくて、……親に頼んで婚約を破談にして貰ったんだ。浅はかな考えで、レニアーニに嫌な思いをさせてしまって、本当にごめん」
頭を下げてから恐る恐る顔を上げると、レニアーニがぽろぽろと涙を溢していた。大きな目にたくさんの涙が溢れては頬を伝う。
「レニアーニ、ごめん。本当に!勝手な想いで。それでも、君のことだけは誰にも渡せそうにないんだ。レニアーニが僕のをことを嫌いでも、僕と、……結婚してほしい。父がなかなか認めてくれないけど、僕はレニアーニ以外と結婚するつもりはないよ。時間が掛かっても、レニアーニと結婚したい。一緒にいたいんだ」
レニアーニの白く細い手を、ユールディルは離せない。今放したら、永遠に自分の元から離れて行ってしまいそうで。そうはしないために、ユールディルは少し強くレニアーニの手を握った。
「レニアーニが、頷いてくれるまで、離さないから」
ユールディルはもう一度、レニアーニに同じ言葉を繰り返した。
「レニアーニ、僕と結婚してほしい」
ぽろぽろとこぼれ落ちる涙をそのままにしておけず、ユールディルは持っていたハンカチで優しくそれを拭う。
彼女の涙は全く止まる様子がなかったが、しゃくりあげた状態で、レニアーニが口を開く。
「私、嫌われてた、わけじゃないの……?」
一度そう思ってしまった不安は簡単には消えないらしく、レニアーニの言葉にユールディルは深く頷く。
「あぁ。もちろん。僕はずっと、……小さな頃からレニアーニが好きだ」
ユールディルは出会ったころのことを思い出した。
幼い頃はノトーナ家の屋敷に集まって遊ぶことが多かった。初めて出会ったのも、ノトーナ家の屋敷だった。
その頃からすでにユールディルは、人と話すのがとても苦手だった。自分と同じぐらいの子と話すのも緊張し、言葉が出なくなることがあった。
三人で初めてあったときもユールディルは同じように何も話せなくなった。
「わたし、メメリア!」
「レニアーニです」
二人の自己紹介に続けない。二人の視線が突き刺さるように感じて余計に言葉が出なくなる。
「早く教えてよー」
そんなメメリアに対して、レニアーニはユールディルが怖くないように、笑ってくれた。
「初めてって緊張するよね」
そこからすごい長い時間経ってからようやく名前が言えたユールディルに、レニアーニはにこにこと微笑んで手を繋いでくれる。
「よろしくね、ユール」
そのときのレニアーニがなかったら、今の三人はなかっただろうと思う。レニアーニのおかげで、少し気の強いメメリアとも普通に話せるようになり、三人はよく遊ぶようになった。
一緒に庭を駆け回ったり、大きなお屋敷の中で隠れんぼをしてみたり、楽しかった思い出はいくつも思い出せる。
三人で誕生日会をしたときは、初めて友人から祝ってもらうと言う行為にユールディルがとても嬉しく感じて、泣き出してしまったことを覚えている。そんなユールディルをレニアーニとメメリアが抱きしめくれた。
成長してからも三人はノトーナ家の庭でよくお茶をした。昔のように手を繋いだり、触れたりはできなくても、近くに居られればいいと思っていたのに、想いは募るばかりだった。
「三人でずっとこうやってお茶したりしたいね」
メメリアの何気ない一言に、レニアーニは控えめに頷いて微笑み、ユールディルも同じように無言で笑顔を作るしか無かった。
亜麻色の長い髪が風に靡くのを抑えながら、青い空を見上げるレニアーニは誰よりも美しかった。昔からずっと、レニアーニにはユールディルにとって女神だった。メメリアのよく言う言葉は、本当にその通りだとユールディルも感じていた。
少しずつ身分を理解していくにつれて、人目を気にしてお互いの態度を変える必要もあったが、それでも三人は特別だった。
その中でも、ユールディルにとってレニアーニは特別だったが、レニアーニにとってはそうではないことを理解していた。レニアーニは三人でいることに拘っていることを感じていたし、この関係が壊れることを彼女自身がひどく恐れていると言うことをユールディルは感じ取っていた。
だからユールディルもできるだけこの幼馴染と言う友人関係を壊したくないと、そう思っていた。自分の気持ちを抑えてでも。
***
だが、それももう終わりだ。
ユールディルはレニアーニに特別な感情を告げてしまった。もう、後には戻れない。
ユールディルがレニアーニを見つめていると、彼女が気まずそうに口を開く。
「でも、私、ユールのことをそんな風に見たことが、ないの……」
レニアーニはとても正直だ。だからこそユールディルは彼女が好きなのだ。レニアーニが今の時点で、自分とは同じ気持ちでないことぐらいわかっている。
「うん、それでもいい。少しでもレニアーニに男として見てもらえるように、好きになってもらえるように努力する」
「……、そんな私が側にいていいの?」
「僕はレニアーニしか欲しくない。他の誰かなんていらない。だから、諦めて僕と結婚して欲しい」
そう言ったユールディルにレニアーニが困った顔をして少しだけ笑った。
「……、一度頭を整理したいけど、……でも、ユールの気持ちは、とっても嬉しい」
少し顔を赤らめて言うレニアーニから否定的ではない言葉が出てきたことに、ユールディルは舞い上がりたい気分になった。
「レニアーニ!好きだ!」
「きゃっ!」
思わず昔のようにレニアーニを抱きしめる。昔とは違って、レニアーニは抱きしめたら壊れるんじゃないかと思うほど細くて、花の甘い香りまでする。昔はそんなになかったはずの体格差を今更ながら実感する。
そう感じたのはレニアーニも同じだったようだ。
「……なんだか、ユールが男の人になった、気がする」
腕の中のレニアーニは顔が赤く染まり、少し居心地が悪そうだ。それでもそんなに簡単には腕を離す気にはなれず、ユールディルはそのまま抱きしめる腕の力を少し強めた。
「今頃気づいた?僕も男だよ。もう子供の頃とは違う」
その言葉にレニアーニはユールディルの体を手で押し返してきたが、あまりに弱々しい力でどうすべきか迷う。
「誰かに見られたら困るわ」
「どうして?考えてくれるんだろう?」
「そうだけど!でも、まだ婚約だってしてないし……」
その言葉にユールディルはハッとする。ルーカスとマリウスとの生徒会室での会話を思い出したのだ。
「レニアーニ、今日の夜会は殿下の婚約者候補を選ぶ夜会でもあるんだ」
「え、えぇ、メメリアに聞いたわ」
「殿下が、君を婚約者候補に選ぶはずだ」
「……、どういうこと?」
「父にレニアーニが婚約破棄されている令嬢だと指摘されたんだ。僕が頼んだからそうなったのに。だから、レニアーニの社交界での評価を上げるために、殿下の提案で殿下の婚約者候補にあげてもらう話になっていたんだ」
ユールディルの言葉に、レニアーニは混乱した顔だ。当然だろう。
しかし、王子の婚約者候補になれば周りからの目が変わるはず。そう言う考えだったのだ。あの婚約破棄すら実は王子の意図で、と。
ユールディルは学園であったことを話した。
「実は、学園で殿下とプレザイン様によびだされて……」
最初に、メメリアの嫉妬深い婚約者の話をすることになった。レニアーニはその話を聞くとひどく驚いたようだったが、メメリアがとても想われていることがわかって自分のことのように喜んでいた。
「殿下の婚約者候補に上がれば、レニアーニの評価も上がるだろうって言う話になって……。僕も頷いたんだ。……でも、そんなことはやめる。僕が父を説得する。またレニアーニが誰かのものになるかもしれないなんて、耐えられない。たとえ殿下が味方であったとしても」
そうはっきり言ったユールディルにレニアーニは、小さく頷いた。
「……、でもユールのお父様に反対されているのでしょう?」
「いいんだ。どうせ僕はレニアーニ以外受け入れるつもりはない。絶対に説得してみせる。だから、少しだけ待っていて欲しい。可能なら他の婚約は受け入れず。……勝手なこと言ってるのは重々承知だけど」
そんなユールディルの言葉にレニアーニが笑う。
「ううん、ユールなら信頼できるから。……それに私、もう少ししたら二人と一緒にいられなくなっちゃうんだって思ってたから、……ユールと一緒にいられるなら嬉しい」
そう言ってくれたレニアーニを、ユールディルはもう一度抱きしめた。こんな自分勝手な自分をうけいれてくれようとしているレニアーニを、絶対幸せにしなきゃいけないと改めて思った。
***
「父上、改めてお話があります」
次の日の朝、ユールディルは父親であるエンダルク公爵に話をするために執務室を訪ねた。公爵はいつもと同じように執務机の前に座り、にこやかな表情をしているが、その中身が何を考えているのかは見えない。
ユールディルが意を決して口を開いたところで、公爵が何かを取り出して見せてきた。
「…….なんですか?」
「殿下からユールへの手紙だよ」
「読んだのですか⁉︎」
父親とはいえ勝手に手紙を読むなどあり得ない。怒りからユールディルは素早く公爵の手から手紙を奪い取る。
中を開いて読もうとしたところで、声を掛けられる。
「王子との繋がりができたんだね。それに、プレザイン公爵の跡取りとも」
意味が分からず、ユールディルは眉を寄せる。
「それがなんですか?」
「貴族社会は人との繋がりを切り離せない。頭を使って何が自分の益になるのか、考えなければ振り落とされる世界だ。ただの好き嫌いじゃ生きていけない」
「……、だから、レニアーニを認めてくださらないのですか」
「私は彼女を認めていないわけじゃない。……、ユールディル、お前の弱さが気になっていたんだよ」
にこりと笑う公爵の表情に、ユールディルはこの言葉をどう受けていいかわからない。
「まぁ、王子殿下との繋がりができたから良しとしようか。人を良く見て、上手に使いなさい。そうしなければ、自分の妻すら守れないよ」
公爵は椅子から立ち上がると、ユールディルに背を向けた。
「アルーシャ家には婚約の打診をしておこう。ただし、早く王宮に行って殿下止めてこないと、彼女は婚約者候補に上がって婚約できなくなるかもしれないね」
昨夜の夜会のうちにルーカスには婚約者候補に入れないで欲しいと頼んで了承してくれたはずなのだが……。
まさか、殿下の気が変わった?
ユールディルは手紙を読んでいる時間も惜しくて屋敷を飛び出した。レニアーニが殿下の婚約者候補になることすら、ユールディルはもう耐えられそうになかった。
***
息を切らして王宮に着くと、王宮の前には何故か見知らぬ令嬢に胸倉を掴まれている殿下の姿があった。殿下の方はにこにこと微笑んでいるが、令嬢の方は明らかに怒りの表情だ。とても力のある令嬢なのか、殿下が揺らされている。
不敬にならないのか心配ではあったが、まずそれよりも何よりもレニアーニだ。
少し辺りを探すと、少し離れたところにレニアーニの姿があった。
「レニアーニ!」
「ユール、どうしてここに?」
「どうしてって、レニアーニが殿下の婚約者候補になるって聞いて!」
ユールディルがそういうと、レニアーニが首を傾げた。
「ここに呼ばれたのは、殿下の婚約者候補様と友人になるようにお願いされて」
「……え?」
ユールディルは手の中で握りつぶした手紙を思い出して、慌ててそれを広げて内容を確認した。確かに中を見ると、国外の令嬢を婚約者候補にするので、彼女と仲良くしてくれそうな安全な令嬢として、レニアーニとメメリアを王宮に招きたいという内容だった。
「……、騙された」
「えぇ?」
項垂れているユールディルを心配するレニアーニに、後ろから誰かが勢いよくぶつかってきた。
「レニアーニ!」
「メメリア!」
二人は昨日あったばかりだと言うのに抱き合って喜んでいて、ユールディルは羨ましくなる。そんな風に見ていると、メメリアが視線を向けてきた。
「ちゃんとしたの?」
「……、ちゃんとしたよ」
「え⁉︎ホントに⁉︎え、え、ホント⁉︎」
二人を交互に見て驚きの声を上げるメメリアに、ユールディルとレニアーニは少し視線を合わせて頷く。
「ホントなのね⁉︎わぁ!嬉しい!ねぇ、婚約は⁉︎いつできそうなの⁉︎」
「さっき父上が婚約の打診をアルーシャ家にしてくれるって言ってたから、すぐだと思う」
そう答えると、逆にレニアーニの方が驚いた様子を見せる。
「え!え、あ、私、大丈夫かしら……⁉︎ユール、私、だってまだ……!」
「大丈夫。ゆっくりでいいから。最初は今まで通り友達で構わない。少しずつでも、男として見てくれたら嬉しい」
ユールディルは、レニアーニの白い手を取り指先に口付た。
レニアーニは真っ赤になり、メメリアのテンションがとても高くなり、メメリアが勢いよくレニアーニとユールディルをぎゅっと抱きしめた。
すると後ろからとてつもなく不機嫌そうな低い声がした。
「メメリア」
その声に、呼ばれたメメリアが反応する。ユールディルもその声には聞き覚えがあった。
「マリウス様、どうしてここに?」
「ルーカスに呼ばれたんだ」
マリウスは無言でメメリアに手を伸ばすと、自分の方へ彼女を引き寄せる。
どうもタイミングが悪い。マリウスからの視線が痛い。
だが、せっかくなので同じようにレニアーニを自分の方へ引き寄せる。レニアーニは恥ずかしそうにしていたが、嫌がる素振りはないのでホッとする。
これから何が始まるのかはよく分からないが、ユールディルはずっと苦しんでいたものから解放された気がして、そっと息をついた。
***
エンダルク公爵の動きは早く、早々にアルーシャ家の令嬢であるレニアーニとユールディルの婚約が結ばれた。
「ありがとうございます」
お礼を言いに言ったユールディルに対して、公爵はいつも通り笑顔のままだ。
「人との繋がりを大事にして、賢く生きなさい」
これはあまりにも人と話すことが苦手なユールディルを心配してのことだったのだろうと、今ならわかる。
父と同じように上手くは生きられそうにないが、大切なものを守る手段を少しでも多く得ることは、大事であると感じたユールディルだった。
レニアーニを守って行くために、もっと強くならないと。
終
短編にしては長くてすみません。
一万字前後を目指していたのですが、収まりませんでした。
ユールディルの性格がなかなか掴めず苦労しましたが、この二人は今後は意外とさくさくと両思いになって行くでしょう!
マリウスの心の狭さが個人的に好きです。
後一本くだらない話を書いてこの短編連作としては一旦終わろうと思います。
楽しんで頂ければ嬉しいです。
※以前掲載していた「よろしく、婚約者殿」には全く繋げられなかったので作品は削除しました。