悪役令嬢は少しだけ惜しかった。
「レイラ!どういうことだ!!」
年頃の令嬢が集まる華やかで和やかなお茶会の最中、突然の怒声が響いた。
声の主は怒りを露わにして、礼儀作法関係なくお茶会の中心であったひときわ目立つ令嬢のもとへずかずかと歩み寄った。
「まぁ、ダスティンさま。突然いらして、どうなさいましたの?」
「どうしたもこうしたもあるか!父から聞いたぞ、婚約破棄の申し出があったと!」
レイラはきょとんとした顔で、訊ねた。
「あら、おかしなこと仰いますのね?婚約破棄したいと仰ったのはダスティンさまではありませんか」
「何を、」
「どなたか存じませんが、ダスティンさまにはとても親密にされている方がいらっしゃるではございませんか。ご丁寧に、音声付きの証拠もお相手様よりいただきましたわ。それにことあるごとにやってもいないことで詰られるのも、わたくし疲れてしまいましたの」
小さくため息を吐いた物憂げな様子に周囲の令嬢が痛ましげに顔を伏せた。
レイラがやってもいないこと――足を引っかけただの、教科書を隠しただの、悪い噂を流されただの――を耳にしたダスティンは証拠もないのに勝手に犯人がレイラだと決めつけて人前で暴言を吐くのが毎回のことだった。
レイラとしては、そもそも、侯爵家の一人娘である自分がなぜ、あんな小娘に子供じみた嫌がらせをしなくてはいけないのだろうかと心底不思議に思ったものだ。
己が動かずともどうとでもできるのに、と。
「なので、証拠品と共にダスティン様のお父様に奏上いたしましたの。音声付きだったこともあって、快く婚約破棄を受け入れていただけましたわ。もちろん、ダスティンさまの有責で」
「なっ……!」
ダスティンは言葉を失い、口をパクパクさせ呆然としている。
酸欠の魚のような様子に内心で笑いつつもレイラはさらに言葉を重ねた。
「あぁ、それから……、きちんと殿下の普段のご様子も報告しておきましたわ。わたくしから申し上げずともご存知だったようですが」
それも当たり前のことですが、と付け足すように口にすれば、ダスティンはなぜ、と小さく返す。
――この人はこんなにも愚かだったかしら?
「王族を、セキュリティが万全とは言えぬ学園に通学させるのですよ?護衛をつけない方がおかしいではございませんか。怪しい者を後継である王太子に近づかせるわけにもいかないでしょう?」
「だが、護衛にはレナルドが……」
「ふふ、見習い風情が王族の護衛ですって。いつにもまして冗談がお上手ですのね」
ねぇ皆さん?とレイラが周囲に笑顔を向けると同意するように笑い声が伝染していく。
レナルドは騎士の家系の出だが、その才は平凡もいいところだ。
せいぜい分隊長程度だろう、王族を護衛するには最低でも部隊長に昇れるほどの努力と才覚を見せねば、今後の進路はたかが知れている。
「そんなこともご存じないとは……」「まさか……」「あれが王太子では……」
そんな言葉が四方からざわめきに乗って囁かれた。
自身の行いによって今後のダスティンがどうなるか、それを不憫に思う者は無く、むしろ、貴族としての責務――責任を果たさぬ愚か者を見る、ひどく冷めた視線がダスティンには向けられていた。
ここにいる貴族令嬢は幼いころより、レイラと何かしらの交流があり、それでいて<貴族>というものをよく理解している。
民あっての国、領地、そして貴族なのだ。納められた税で領地をより良く、より豊かにするために奔走する両親を見て育ち、相応の教育を受け、それを受け継いでいく覚悟を決めた女ばかりで、中には学園卒業後に当主として家を継ぎ、領主となる令嬢や、嫁いだ先で領地経営を任せられる予定である優秀な令嬢ばかりがレイラの周りには揃っていた。
レイラ自身、生家が侯爵家ということもあり、広大な領地の運営を幼少から叩き込まれた身である。ダスティンと結婚後は侯爵家を分家の優秀な従弟に任せ、王妃として王族直轄領地の管理者となる予定だったのだ。領地経営はもちろん、国政や交際的な情勢についてもすでに現王妃から問題なしのお墨付きをもらっているほどである。そんな彼女が己の同志として生きる者を探した結果が、このお茶会だった。
ダイスティンの6歳の誕生日、二人は引き合わされた。
当時、家格が釣り合う令嬢がレイラしかおらず、生まれた時から将来を共にする仲として決まっているも同然の状態であったため、周囲は何の疑問もなく、二人をそういう風に扱った。
それゆえか、幼少から始まった王家の礼儀作法や妃教育、他にも他国にまつわる勉強を直系唯一のダスティンが学ぶ内容に上乗せした状態でレイラは現王妃からお墨付きをもらっている。
それなのに、それなのに、だ。
国王陛下は賢王として知られ、国内外問わず評価は高い。
王妃は王妃で外交にも優れ、国母としてふさわしい人格ではあるが、如何せん子育てに向かな過ぎた。元より、貴族は自身の手で子育てはせず、乳母を雇い、次の妊娠に向けて体を整えることが優先される。ゆえに、ダスティンと母親である王妃は親子としての認識はあれど、家族としての時間は皆無であった。
だが、それがどうした?
貧富の差はあれど親の顔を知らずに働く子供なぞ、山ほど存在する。レイラもその一人だ。親の顔や情など触れずとも貴族としての義務を理解し、責任を全うし、民に尽くそうとする貴族が、レイラのもとに集まった令嬢たちだった。
レイラも周りの令嬢も、幼いころより英才教育が施され、子供である前に貴族であることを学ぶ者が大半なのだ。
そんな生い立ちの令嬢が集まるレイラ主催のお茶会に乱入した、ダスティンの行いは言わずもがな次代を担う王はそうなのだと思ってしまうのも無理はない。
しかも、学園での立ち振る舞いもそうだ。歴とした婚約者がありながら男爵令嬢にうつつを抜かし、ただでさえあまり良くなかった成績も最近ではかなり順位を落とし。
将来の側近候補として宛がわれた子息たちさえも、ダスティンを諫めるでもなく、同じように男爵令嬢に傾倒しては自分の婚約者を詰っていると聞く。
―――可哀想に。
「早くお戻りになられてはいかがですか?本日はわたくしの父と祖父も、|王宮に呼ばれておりますの《・・・・・・・・・・・・》。殿下なら、なぜ呼ばれたのかもお分かりですわよね?」
「……ッ!」
レイラの父は侯爵家当主だ。そしてその父であるレイラの祖父は、この国で最も古くから存在する公爵家の当主である。レイラの母の生家、アストレア公爵家は幾度も王妃を輩出し、王女の降嫁も幾度もあった名家だ。
「殿下がきちんとわたくしとの婚約の意味を理解してくれていたら……、殿下も、お相手様も、きちんと順序を守ってくださっていたら……お互いにとってより良い未来があったはずでしょうに」
そう言うとレイラは綺麗に微笑んだ。
ダスティンが優先する順番さえ守っていれば、レイラを王妃として、相手を側妃に据えるなり、それなりにやりようはあった。側妃を持つことに、妃教育を受けてきたレイラは拒否しなかっただろう。
もしくは、この婚約を結んだ父親である国王陛下に、レイラの父親である侯爵に、そしてレイラ本人に。きちんと筋を通して、規定通りに進めてさえいれば、身分の関係から男爵令嬢は順を追ってどこかの家格が上の家で養子になり、努力次第では王妃としてダスティンとともに生きる未来があったはずだった。
「残念ですわ」
「―――クソッ」
ダスティンは小さく吐き捨てると、来た道を走って戻っていく。
もう遅いが、ようやく状況を理解したのか、これから王宮に戻り陛下に謁見するのだろう。
レイラ自身、ダイスティンの浮気相手……男爵令嬢のことは嫌いではなかった。
自分の望みを叶えるために手段を選ばない狡猾さと強かさ。爵位は低いが、不足なく礼儀を身につけたその勤勉さ。いっそ、殿下よりも親しみを持っていた。むしろ好意さえ持ってもおかしくはなかった。ともに殿下を支える戦友としてやっていけないかともさえ思った。
けれど、彼女は野心を出しすぎた。
側妃として、彼のそばにいることで足るを知ればよかった。もしくはきちんと暗黙のルールを、規則を、伝統を理解し、殿下ときちんと計画を立てていたならば。
愚かにもレイラ本人に不貞の証拠を渡してしまったから。婚約破棄なんて、ありもしない行為に対する断罪だなんて企てたから。
そこに記録された会話を聞いたレイラが、正妃の座を譲ってくれればと考えたのだろうが、レイラは動じることはなかった。
というか、そもそも彼を愛していないのだから動揺どころか、感情の一つも動きはしなかったくらいだ。
――詰めが甘いですわね。自身にかけられる濡れ衣を、理不尽を、黙って見過ごすなんて、淑女にはあるまじき行為ですもの。
目には目を。歯には歯を。……善意には善意を、悪意には悪意を持って。
わたしくは……、わたくしたちは、決して隙を見せてはいけないのですから。
「レイラさま……」
「――せっかくのお茶会を私事で台無しにしてしまってごめんなさいね」
「わたくしたちだって何かしらの問題を抱える身。レイラさまに助けていただいた方ばかりのこの場では、まったくもって何も問題ございませんわ」
同じテーブルについていた令嬢たちが慰めの言葉を口にする。
ここに集まったのは、領地や、身内に問題を抱え、レイラがこっそりと解決に導いた家の令嬢ばかりだ。
「わたくしたちは、仲間であり、同志ですもの」
と、そう言った彼女は同意を得るように周囲の令嬢を見遣れば、確りとこちらを見つめる令嬢や、首が取れそうなほど縦に振る令嬢もいるほどだ。それだけ、レイラが助けてきた令嬢は多かった。
だからこそ、レイラは勝たねばならない。
自分が負ければ、困るのは我が家だけでなく、ここにいる仲間たち、そしてその家族なのだから。
その後、和やかさを取り戻したお茶会を終えると、閑散としたサンルームでレイラは一人、窓の外を眺めていた。
サンルームの窓から見えるその先には、侯爵家の庭師が代々手をかけて世話をしている自慢の庭園が広がっている。鮮やかな色とりどりの花に、葉の形を整えられた木々たち。
それらはすべて、幼い頃にダスティンと駆け回ったり、花や木の種類を庭師に教えてもらいながら遊んだ、思い出の多い場所だ。それももう、過去のことだが。
あの頃語り合った将来を、レイラがダスティンと歩むことはない。
この気持ちは恋ではなかった。ただ、愛でもなかった。
家族のようで、家族にはなれなかった相手。
馬鹿でアホで、どうしようもない人間だったけれど、真っ直ぐなあの瞳が、嫌いではなかったのだ。
けれどいつからか変わってしまった。レイラも、ダスティンも、自分たちを取り巻く環境も。
あの頃の自分たちが、こんな風に終わりを迎えるなんて知ったらどう思うかしら?
そんな疑問が浮かぶが、レイラはそっと首を振った。
考えても答えはもう出ないことだ。そんなことよりこれからのことを考えなくては。考えることは山ほどある、立ち止まっている暇はないのだ。
「――――本当に、残念ですわ」
小さくつぶやかれた言葉はサンルームに溶けて消えた。