第一章
自分の疑問を表現しました。
あなたの考えをお聞かせください。
第一章のあらすじ
小中では部活が一緒で仲良かったが、高校は別々になり、連絡を取り合っていなかったが、大学に入学してから、久しぶりに連絡を取り合って会うことになった二人。
アイウエオは自分の頭で考えることができ始め、いろんなことに疑問を持つようになった時期で、思っていること、聞きたいことを全部言ってしまう。相手が阿呆だということに気付かず、質問が返ってくると勘違いしているが、少しずつ何も考えていないことに気付き始める。
カキクケコは、優しい普通の大学生。
飲みに誘われたところから始まり、友達からの誘いや、友達についての疑問に展開していく。
アイウエオ
やりたくないことはやらない。やりたいことはやる。そう決めているし、それが自分とっての幸せだと思うので。
だから、遊びやご飯に誘われても、行きたくなかったら行かないし、行きたかったら行く。ただそれだけです。
カキクケコ
友達だったら、普通はそんなことしないですよ。飲みに行くくらいもだめなんですか。
アイウエオ
そんなことというのは、理由なく誘いを断ることですよね。そして、それは普通しないことで、自分の言動は普通ではないということか。知らなかった。そもそも、普通を知らないのに、普通ではないことも、わからないか。普通ってなんですか?
カキクケコ
別に知らないですよ。
アイウエオ
じゃあ、なぜ理由がなかったら誘いを受けるのが普通なのですか?いや、納得させられる理由がなかったらか。
僕は友達からの誘いを、いや、面倒臭い、という理由でも、断って良いと思っています。誘いを受けるのは、自分と友達の利害が一致した時、同じところへ出かけたい、ご飯を食べに行きたいと思った時だけで。もちろん、その友達となら、どこへでも行きたいと思える場合や、ただ話したいというのも、利害が一致していると言えるでしょうけど。
断っても良いということは、もちろん、断られても良いということです。
だから、進みたい方向に偶然相手もいたというだけで、無理に歩み寄る必要も、無理に肩を並べたまま、同じ歩幅で同じ方向に歩み続けようとする必要もないと思っています。
カキクケコ
そういうことじゃなくて、もっと常識的な最低限のマナーみたいな話で。中学の時は、そんなんじゃなかったのに、変わりましたね。高校で何かあったんですか。心配です。大学入ってから三ヶ月くらい経って、まだ友達できていないらしいですけど、そんなんじゃこれからもできないですよ。
せめて、地元の友達は大切にしといた方が良いんじゃないですか。
アイウエオ
まぁ、良い方向に変化、成長できているとは思っています。
確かに、友達は大切にするべきだとは思いますけど、ただ従順に従うことが、友達を大切にすることにはならないと思います。
ワシも、大切にしていないわけではなくて、なんというか、友達よりも、まず自分を、自分がしたいことを大切にした方がいいのではないかと考えているだけです。
カキクケコ じゃあ、もう友達はいらないということですね。
アイウエオ
いや、なぜそうなるのかわからないのですけど。
えっと、本気で言っているのですか?さすがに、めちゃくちゃなことはわかって言っていますよね。もしかして、浮かんだことを適当にそのまま話しているだけで、特に何も考えず話しているのですか?
カキクケコ
何を言っているんですか。
アイウエオ
まぁ、そんな訳ないですよね。
いや、だから、友達はいらないというようなことは、全く言っていないですけど、まぁ、来るもの拒まず去るもの追わずという感じです。
じゃあ、大学入ってから、友達を作ろうと、サークルの新入生歓迎会などに積極的に参加しているようですけど、なぜそんなに必死に友達を作ろうとしているのですか?
カキクケコ
別に必死というわけじゃないですけど、友達は欲しいのが普通じゃないですか。
アイウエ それもまた、普通なのですか。普通ってなんなのですか。もうわからないので、使い勝手が良いだけの中身がない言葉だと思っていいですか。もしかしたら、自分がどこか劣っているだけで、それで、自分には理解できないのかもしれないと、自己嫌悪に陥りそうになるのでやめて欲しいです。
カキクケコ
さっきから、何を言ってるんですか。
アイウエオ
そうかもしれないです。友達が欲しいのが普通かもしれないです。
じゃあ、友達って何、どういうもの、どういう存在だと思いますか?
カキクケコ
どうしたんですか。何か変な宗教ですか?
アイウエオ
いや、違いますけど。でも、たしかに、知りたいことがあり過ぎて、好奇心に取り憑かれて、周りが見えなくなっているのかもしれないです。
カキクケコ
もうちょっと、人の気持ちとか、周りの人の目を気にして生きた方が良いと思いますよ。
アイウエオ
そうですか。それで、友達ってどういうものだと思いますか?
カキクケコ
勝手に進んじゃうんですね。だから、一緒にどこかへ出かけたり、遊んだり、ご飯食べに行ったりする関係じゃないんですか。
アイウエオ
そこに、何か縛られるような、誘いを断ってはいけないというような意味は、含まれていませんよね。ということは、誘いを断っても問題ないですよね。
カキクケコ
なんですか。煽ってるんですか。人としての何かを失ったんですか。
アイウエオ
いや、だから、好奇心に取り憑かれていて、わからないことがわかるように、知りたいことをただ知ろうと、しているだけです。
カキクケコ
なんですか、それ。
だから、そういうことじゃなくて、意味は含まれていないですけど、気持ちの問題でしょ。友達の誘いを理由もなく、断るのは人としてどうなのかってことです。人間って、社会的な動物らしいですし、社会の中では一人で生きていけないから、お互い助け合って生きていかないといけなくて、だから、周りの人を蔑ろにはできないでしょ、ということです。
アイウエオ
なるほど。そうか、あれか。僕の意見とあなたの意見、本当に正しいのは、どっちなのか、もしかしたら二人とも全くの見当違いで、別のところにあるのかもとか、本当に正しいものが何なのかは、どうでも良いのか。ただ、自分にとって都合の良いものであって欲しいだけで。
最初言っていたことと違うことを後からどんどん付け足すのも、目的が、自分の意見を正当化して、自分の望むものにすることだから、ある意味筋は通っているのか。
でも、これは自分の頭から出てきた言葉、考えなのだろうか?自分の言葉で話しているようには見えない。そこら辺から拾ってきて、その都度適当に付け加えたりして、あとから塗りたくっているだけのように見える。
ただ正当化したいと思っているのが本当なら、おかしくないか。自分に都合の良い意見は、盲信して、どんどん利用するか。有名な人が言っていたことなら、なおさら。自分にとって都合が良い上に、使い勝手が良いし、楽なのだから。
なるほど。友達だから以前に、そもそも人としてそうするのが、当たり前なのではないかということですか。
カキクケコ
何を言ってるんですか。僕の話聞いてましたか。神に祈りでも捧げてたんですか。
アイウエオ
きちんと聞いていましたよ。そもそも、人としてそうするべきであるということは、友達という関係だから、理由もなく断ってはいけないという論理はやはり間違いだったということになるわけですよね。人間の誘いを人間が理由もなく断るのはだめ、社会の中で生きていく人間としてそんなことをするのはおかしい、ということですね。
カキクケコ
何がですか。
アイウエオ
まぁ、そんなことは置いといて、じゃあ、どこからが友達、友達になる基準って何だと考えていますか?
例えば、同じ大学で顔見知りの、なぜか連絡先は知っているけど、駅とかで見かけると、鉢合わせしないように避けてしまう人とかは、友達ですか?
カキクケコ
なんですか、それ。友達なんじゃないですか。
アイウエオ
そうですか。じゃあ、友達と友達でない人の違いって何だと考えていますか?
カキクケコ
それは、ちょっとわからないですけど。というか、そもそもそんなことを考える意味あるんですかね。
アイウエオ
いや、まぁ、そうか。意味はないですね。興味があって知りたいから、ワシは考えようとしているだけで、意味はないのか。意味もないし興味もないから、他の人は何も考えないのか。
そうですよね。意味はないですね。そんなこと考えなくても、ここが、ハートが、通じ合っていたら、それでもう友達ですよね。
そんな無駄なことをしている自分が間違えていました。いちいち、友達の基準とか、友達とは何かとか、変なこと考えても無駄ですよね。ハハハ。
カキクケコ
そうでしょ。なんでも深く考えすぎなんですよ。もっと気楽に生きた方が良いですよ。
というか、そんなことはどうでもよくて、飲みには行かないんですね。
アイウエオ
いや、行きます。
カキクケコ
はぁ。意味わからないでしょ。どっちなんですか。やばいですね。
アイウエオ
いつ、誰と、どこにご飯食べに行くのですか?
カキクケコ
とりあえず、来週の火曜日、六時に駅前集合するって予定です。
アイウエオ
朝の六時か夕方の六時どっちですか?
カキクケコ
夕方に決まってるでしょ。
アイウエオ
火曜日の十八時に駅前集合ですね。わかりました。
アイウエオ
じゃあ、もう一つだけ聞いて欲しい話があるのですけど、いいですか?
カキクケコ
勝手にどうぞ。
アイウエオ
ありがとうございます。
この前考えていたことで、ウォーキングと散歩って、言い方が違うだけで同じものなのに、それぞれに全然違うイメージがあるなと思って、
カキクケコ
たぶん、イメージというか、普通に違うものなんじゃないですか。
アイウエオ
流れがあるので、ちょっと待ってください。
カキクケコ
はいはい。
アイウエオ
それで、ウォーキングは年配の方とかが、運動のため、体を動かすためにやっているというイメージ。散歩は今ワシらがやっているみたいに、目的地も決めず知らない道とかを歩いて、適当にぶらぶらするという、運動を目的としているわけではないというイメージ。この二つ、やっていることとしては、歩くということで同じなのに、全然違うイメージがあることに気づいて、ということは、例えば、趣味はウォーキングって言うのと、散歩って言うのとでは、与える印象が全然違うのではないかと思って、だから、他の似たような意味だから、どっちでもいいと思っている言葉でも、それぞれで与える印象が、変わってくるのかもしれないと考えたのですよ。
まぁ、やっとここで、このイメージって、自分にとってのものでしかないことに気づいて、調べたら、勘違いしていただけで、ウォーキングと散歩、そもそも意味から違っていたのですけど。
カキクケコ
でしょうね。
アイウエオ
でも、確かに、言葉や、単語って辞書で定義はされているけど、普段話している時、辞書の定義は意識していないと思うし、どういう意味か説明しろと急に言われても、上手く説明できないと思うのですよ。
だから、言葉を思った以上に人は感覚的に使っていて、それぞれの単語について、辞書の定義とは別に、人それぞれでイメージを持っていて、そして限りなく少ないだろうけど、会話に支障はきたさないレベルで、その言葉についてのイメージに違いが生まれるのかもしれないと考えたのですよ。
だから、英単語とか外国語も、日本語で理解したとしても、外国人が使っている言葉のイメージ、感覚とは全然違うものなのかもしれないと思うのですよ。
って、この前、考えていたのですけど、どう思いますか?
カキクケコ
どう思うってなんですか。
アイウエオ
正しいと思うか、間違っていると思うか、どっちですか?
カキクケコ
正しいんじゃないですか。言葉を話すのって、最初は真似してらしいですし、僕たちも、その延長に過ぎないんじゃないですか。
アイウエオ
たしかに、そうかもしれないですね。今のワシらも、友達が使っていた言葉や、どこかで見聞きした言葉を、調べたわけでもなく、意味をきちんと理解したわけでもないのに、たぶん勝手に推測して、気づいたら自分も真似して使っている時ありますもんね。
ということは、言葉や言語については、先天的なものの影響って少ないのですかね。誰かの真似に過ぎないのだとしたら、それは後天的な環境などによって大きく影響されるのかも。
いや、違うか。学習するスピードとか、推測する力、文脈から読み取る力、記憶力、どう考えても先天的なものに影響されているか。
どうすれば良いのだ。どうしても、遺伝子とかいうものに、この世界は支配されてしまっているのか。ハハハ。