8.現状の整理
セレナとの訓練を終えたエイクは、ドミトリ司祭が滞在しているという“三つの灯火亭”へと急いだ。
彼がドミトリ司祭と会うことを重視しているのは、ドミトリ司祭ならローリンゲン侯爵家について詳しいはずだと思い至ったからだ。
父の仇を探る為の最も重要な調査対象が、今のところローリンゲン侯爵家である事は変わらない。
エイクは足早に“三つの灯火亭”に向かいながら、改めてフォルカス・ローリンゲンがバフォメットに変じた件に関する情報について思い起こし整理した。
まずエイクは、つい先日また大図書館に篭り、特別推薦によって見ることが可能になった専門的な文献にあたった。
その結果、古代魔法帝国時代に人とデーモンを融合させ、自在にデーモンに変身する人間を作り出すという魔術が開発されていた事を知った。
その術は基本的には対象が望んでデーモンと融合する為の術だった。だが、条件さえ整えば、望んでいない者を無理やりデーモンと融合させて、術者の望むタイミングでデーモンに変身させる事も理論上は可能と考察されていた。
その条件の一つに、対象者がまだオドが安定していない未成年である事というものがあった。
この場合重要なのは、オドが安定していないことであって、実年齢は関係ない。ただ一般に成人すればオドは安定するので、対象にならないということのようだ。
この点でフォルカスはこの術の対象となる条件に合致していたといえる。
フォルカスは、長年にわたって他人のオドを盗みとっているという、極めてオドが不安定な状態にあったからだ。
(だが、フォルカスのオドが不安定だなんてことは他人には分からなかったはずだ。他者のオドを感知するなんて事は、あの伝道師さんですら知らなかった稀な能力なんだからな)
エイクはそう思った。
事実エイクが大図書館でいくら調べても、オドを感知する能力に関する記述は全くなかった。
(もっと言えば、その稀な能力を持っている俺ですら、フォルカスのオドが不安定だなどということには気付けていなかった。
そう考えれば、フォルカスにその術をかけた者が、フォルカスのオドの不安定さを直接感知出来ていたとはとても思えない。
つまりその術者は、俺のオドを盗み取っているという、フォルカスが厳重に隠していた秘密を知っていたということだ。それも何年も前から。
なにしろ、デーモンと同化する魔術は簡単にかけることが出来るものではないからな)
その魔術は、当然ながらかなり高度なもので、構築するのにも相応の時間と手間が必要だ。
特に同意していない者にかけるのは容易な事ではない。
相手を拘束している場合でも1月近く。相手に悟られないように秘かに術をかけるなどという、一層困難な事をしようとするならば、4・5年の期間を要するだろうと思われた。
要するに、フォルカスをバフォメットに変えた術者は、4・5年以上も前からフォルカスの秘密を知って、術を施していたという事になる。
(だとすると、フォルカスをバフォメットに変えた術者が父さんを殺した者でもある可能性はかなり高い)
エイクはする考えた。
エイクが得た、人をデーモンと融合させデーモンに変身するという魔術に関する知識は、一般人はもちろん並みの賢者にすらほとんど知られていない希少なものだった。
その上、同意していない者を無理やりデーモンに変身させる術は、エイクが見た文献においても仮説として紹介されているだけで、古代魔法帝国時代にすら成功していたのかはっきりしない。
それほど稀な魔術を現代において実用化しているとなると、相手はとてつもない実力を持つ術者なのは間違いない。
そして、ガイゼイクを殺した魔物もまた、当代最高といわれる賢者ですら正体が分からない稀な存在だった。
その魔物がアザービーストなのではないかというのはエイクの推測に過ぎないが、それを考えに入れないでも、そのように稀で且つ極めて強力な魔物を使役する者が、相当強大な力を持つ術者なのは間違いない。
そのような強大な術者が、同じ時期に別々にフォルカスの周辺にいたとはとても信じられない。
両者は同一の術者と見るのが妥当だろう。
エイクは、ほとんどそう確信していた。
(いずれにしても、フォルカスの周辺やローリンゲン侯爵家は調査対象として極めて重要だ。政府の調査が余り進んでいないのだから尚更だ。
だいたい、政府の調査といえば、あの時あの場所にいた者の中から、不審な者を発見できなかったというのには失望させられた)
エイクはまたそう思った。
フォルカスがバフォメットに変じた時に、その術を行使した術者があの場にいた可能性はかなり高いと考えていたからだ。
フォルカスがバフォメットに変じたのは、ユリアヌス大司教によって拘束されそうになる正にその時だった。
更に、ほぼ同時に召喚されたガーゴイルは、明らかにユリアヌス大司教を狙っていた。
いずれもその場の状況を的確に把握していた者の行いとしか思えない。
(あの時は沢山の傍聴者がいたから、特定は簡単な作業じゃあないだろう。
それに遠見の水晶球やそれに類する魔法で、離れた場所からあの場を見ていた可能性も、絶対にないとはいえないが……)
そう考えつつも、ユリアヌス大司教から聞いた不審な者を見つけられなかったという政府の調査結果に、エイクは疑念を持っていた。
(まあ、政府が大司教に調査結果の全てを正確に教えているとは限らないしな。
それに、大司教が俺に、全てを包み隠さずに話しているとも限らない……。
どちらにしても、政府の調査は当てには出来ない。やはり自分で調べるしかない)
そんな事を考えているうちに、エイクは“三つの灯火亭”に到着した。
“三つの灯火亭”は、規模の大きな冒険者の店だった。店内には何組かの冒険者達がいて、酒を飲んだり話しをしたりしている。
そのうちの何人かは店内に入って来たエイクに注意を向けている。
エイクは、正面にあるカウンターへ真っ直ぐに進んだ。カウンターの奥に飾られた大きな絵が目に付く。
店の壁などはそれなりに汚れもあるのに、その絵はきれいなもので、日頃から大事に手入れされている事が一目でわかった。
それは、3人の男女が何ものかと戦っている絵だった。
鎧兜を身に着けた男が大剣を振り上げ、祈りを捧げる清らかな乙女と、白いローブを身につけ杖を手にした白髪白髭の男も描かれている。
しかし、3人が戦っている相手については、何も描かれてはいない。
(古の三英雄最後の戦いか)
戦っている相手が描かれていないということが、そのことをエイクに教えていた。
三英雄が最後に戦った相手は名無き邪神であり、名無き邪神の姿を描くことは禁忌とされている。このため、三英雄最後の戦いは、姿無き者との戦いとして描かれるが常だった。
(なるほど、三つの灯火というのは、三英雄にちなんだ名前か)
エイクはまたそうも思った。
古の三英雄は冒険者の祖とも言われ冒険者に親しまれている。
実際のところ、古代魔法帝国滅亡後間もない時期に活躍した三英雄と、現在の冒険者の間には特に繋がりはないのだが、複数人でパーティを組んで冒険に挑む姿が似通っているとして、そのように言われることもあるのだ。
吟遊詩人が三英雄を冒険者の祖として讃える詩を歌う事もあり、それは多くの冒険者に人気を博している。
その三英雄にちなんで、この冒険者の店は“三つの灯火亭”と名づけられたのだろう。
(この店は魔術師説を採っているんだな)
三英雄の1人である魔法使いには、古代魔法帝国の生き残りの魔術師という説とエルフの精霊術師という説があるのだが、その絵にかかれているのは明らかに魔術師の姿だった。
エイクはそんな事を考えつつもカウンターへ向かい、女性の店員に声をかけた。
「ドミトリという人が滞在していると思うんだが、エイク・ファインドが来たと伝えて欲しい」
「はい。ドミトリ様からもエイク様がお見えになったら直ぐに連絡して欲しいといわれています。少しお待ちください」
店員はそう言って2階へと上がっていった。
店内に居た冒険者の幾人かが、エイクの名前に反応していた。エイクの名を知る者も少しはいる様だ。
しばらくして店員と共に2階から降りて来たのは、間違いなくあのドミトリ司祭だった。だが、身に着けているのはやはり簡易な平服で司祭の衣装ではなかった。




