7.辺境の村へ①
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
エイクから依頼を受けると聞いたベニートは、何度も繰り返し感謝の言葉を述べた。
予めガゼックから、これから話しをする相手はうち一番の腕利きで、ゴブリン程度何十体でも1人倒せる男だ、もし受けてもらえれば助かったも同然だ。と説明を受けていたからだ。
「馬車が用意できています。直ぐに出発しましょう」
そして、ベニートはそう主張した。
「ベニートさん。それは流石に無茶です」
だが、エイクは首を横に振り、この申し出は拒絶した。
「な、何故ですか!? こうしているうちにも村が襲われるかも知れないのに」
そう言い募るベニートに、エイクは自分の考えを説明する。
「朝から大急ぎで王都に来たなら、馬車馬は相当疲れているはずだ。よほどゆっくり走らせないと潰れてしまいます。馬が潰れてしまったら結局村に着くのは遅くなってしまう。
そして、馬をゆっくり走らせるなら、村に着くのは真夜中過ぎになる。
十分な準備もなく、夜中に馬車を動かすのは無謀です。
単純に危険だし、もし夜間に妖魔に襲われたなら、私が居てもあなた方を守れるとは限らない。あなた方が死んでしまったら、地理に不案内な私は一人ではチムル村にたどり着けないかもしれない。少なくとも、迅速にたどり着けません。それでは本末転倒です。
それに、私は1人でも50以上の妖魔を倒す自信はありますが、どんな状況になっても絶対に勝てると言い切れるわけではない。油断すれば負けてしまうかもしれない。
当然、何の準備もなしに戦うのでは、勝てる確率は下がります。私が準備不足で戦った結果負けてしまえば、結局村は守れません」
「ですが……」
ベニートは納得できないようだ。
エイクには、ベニートの気持ちも理解できる気がしていた。
(もしも、父さんや伝道師さんの危機だと思ったら、俺も冷静ではいられないだろう……)
と、そう思ったからだ。
4年前のあの時、もしも父の身に危険が迫っていると知ったならば、自分は矢も楯もたまらず父の下に駆けつけただろう。
弱い自分が行っても意味はないとか、むしろ足手まといになるだけだ、とかいった道理を説かれても、納得はしなかったはずだ。
今この時でも、もしも仮に“伝道師”が危機に陥っているという情報を知ったなら、自分は準備を整えることもなく直ぐにでも動き出してしまうのではないか。そうとも思われた。
しかし、共感できるからといってその意見に従う事は、やはりできない。
エイクとしては、あくまでも客観的に見て最善と思われる行動をとるつもりだった。
彼は更に説明を続けた。
「仮に、今すぐに動かなければ村を助けられないと決まっているなら、仕事を引き受けた以上、私も直ぐに動きます。ですが、現状では、逆に今すぐ動いたせいで助けられなくなる可能性もある。
私は、その可能性の方が高いと思う。ここは、実際に戦う私の意見に従ってください」
「ですが、今夜にでも村が襲われたら、取り返しがつかなくなります。そうなったらどう責任を取ってくれるんですか!」
ベニートは声を荒らげた。
エイクはそれにも冷静に反論した。
「その場合、責任の取りようはありません。ですが、あなたの意見に従って今直ぐ動いた結果、そのせいで村を助けられないことになったら、その場合の責任も取れないでしょう?」
「……」
エイクは説得の言葉を続ける。
「ベニートさん。明日の夜明けと同時に出発しましょう。
その間に私は準備を整えます。そして、私は自費で馬を買って、それに乗っていくことにします。
そうすれば少しは馬車が軽くなって移動速度が増すはずだ。
あなたは明日に備えて馬車馬と自分自身をしっかり休めて、体調を整えておいてください。
それが今できる最善の行動です」
「……分かりました」
ベニートはようやく納得したようだった。
「それではベニートさん。改めて、その妖魔を見つけた経緯と、住み着いたという洞窟の事を出来るだけ詳しく教えてください」
「はい。最初は村に住む猟師がゴブリンを見かけて……」
そしてベニートは、エイクに問いに答えて、説明を始めた。
ベニートによると、村に住む猟師の1人が、ある洞窟の入り口付近で多数のゴブリンを見かけたのが最初だったそうだ。
その猟師は慌てて村に戻ってベニートにそのことを報告した。
すると、その直ぐ後に別の猟師も村に戻って来て、5体で活動しているゴブリンを目撃したと報告した。
目撃場所から判断するとそれぞれの猟師が目撃したのは違うゴブリンらしい。
猟師たちが目撃したのは大規模なゴブリンの群れの一部なのかもしれない。
そう考えたベニートは、自警団の面々に森を詳しく探らせることにした。
自警団の団長率いる一団が洞窟の様子を見に行き、他にもいくつかの組に分かれて周辺の森を探索したのである。
その結果、洞窟の前に10体以上のゴブリンやボガードを引き連れたゴブリンロードの姿が確認され、更に森のあちらこちらで5体ほどで行動するゴブリンやボガードの群れが複数見かけられた。
その総数をざっと計算したところ、50体以上はいると推計された。とのことだった。
また、妖魔が住み着いたらしいその洞窟は、村から歩いて1時間程度の場所にあり、中はかなり広い空間が多く、その割りに奥行きはそれほど深くないらしい。出入り口も一ヶ所のみとの事だった。
(つまり、妖魔はもっと沢山いるかも知れないわけだ)
エイクはそう考えて気を引き締めた。
また、エイクは妖魔が住み着いたらしい洞窟についても検討した。洞窟の中で戦う事になる可能性はかなり高いと思われたからだ。
(洞窟内が、クレイモアを振り回す事が出来そうなくらい広いというのはありがたい。
しかし、狭くなっている場所もあるはずだ。予備として、ブロードソードも持っていこう)
彼が持っていこうと考えたブロードソードは、テオドリックが使っていたミスリル銀製の2本のブロードソードの1本だ。
エイクは予備の武器として使う事もあるかも知れないと考え、1本だけ売らずにとっておいたのだった。
ブロードソードの方がクレイモアよりは剣身が短く、狭い場所でも比較的使いやすい。
早速予備の武器として役に立ちそうだった。
そしてエイクは、ベニートから聞けるだけの情報を聞くと、準備を整える為に動き始めた。
まずエイクは早速馬を1頭購入した。
彼は金銭的に余裕が生じた今なら、移動用に馬の1頭くらい持ってもいいと思っていた。
ちなみに、十分な素質を持ち最高の訓練を受けた軍馬は、普通の馬と同じ種類の動物とは思えないほどの力を発揮する。
例えば、熟練の騎手を乗せた最高クラスの軍馬は、主と共に成竜にすら挑みかかり、さすがに倒す事は無理でも相応に渡り合うとすら言われている。
それは最高の資質を持ち最高の鍛錬を積んだ、英雄とも勇者とも呼ばれるような人間が、一般人と同じ人間とは思えないほどの強さを誇り、単身で竜すら倒すのと同じことだ。
この理屈に従うなら、あらゆる動物は適切な訓練を積めば恐ろしく強くなるということになるのだが、今のところそのような訓練が成功した例は、古来より戦で使われていた馬と他にはせいぜい犬くらいしか知られていない。
エイクも、そんな英雄馬と呼べるような軍馬を駆る馬上の勇者にあこがれた事もあったが、早々に諦めていた。
馬術を習うより剣を習いたかったし、馬を買う余裕などあるわけがないし、そもそも迷宮や街中でも頻繁に活動する冒険者にとっては、馬に乗って戦うなどというのは非現実的だったからだ。
今回エイクが購入したのも、当然戦いを想定しない普通の馬だ。
エイクが馬を扱うのは父が生きていた少年の頃以来だったが、普通に乗るくらいなら今でも問題なくこなせた。
次いで、エイクは家にもどり、しばらく留守にする事をリーリアとカテリーナに告げた。
この状況で2人から丸一日以上も目を離せば、逃げられてしまう可能性も考えられる。エイクとしてもせっかく手に入れた女達に逃げられるのは避けたい。
だがエイクは、2人が逃げ出す可能性はそこまで高くはないのではないかと考えていた。
彼女達は、エイクの元から逃げ出せば、逃亡した犯罪者として扱われる事になってしまうからだ。
それに2人の逃亡を絶対に阻止しようと思うならば、牢獄でも作って日頃から監禁するか、人を雇って1日中監視するしかない。
そこまでするつもりは元々エイクにはなかった。
である以上、逃亡の可能性は受け入れるしかない。エイクはそう割り切る事にした。
エイクの話しを聞いた2人は殊勝にもしっかりと留守を守ると答えた。
エイクは今のところはその言葉を信じる事にした。
エイクはロアンにも王都を一時離れる事を伝えた。
そして、早速だがロアンが提供するといっていた物品から、必要と思われる物を持っていくことにした。
ロアンは「くれぐれもお気をつけてください」と何度も繰り返した。
一時的に王都を離れるくらいなら問題にならないが、エイクにもしもの事があればロアンの計画は全てご破算になるし、大怪我をされるだけでもエイクの強さが疑われてしまい、エイクに庇護される事になったロアンの立場もたちまち揺らいでしまうからだ。
だが無理に引き止める事まではせず、当然ながら物品の提出には速やかに応じた。
こうした準備を整えたエイクは、約束どおり翌早朝に王都を出発した。