43.新たな局面へ
エイクがバフォメットへと変じたフォルカスを倒しその場の騒動が治まると、エイクには正式に無罪の判決が下された。避難していた2人の副裁判官の貴族がわざわざ戻って来てその手続きを行った。
ユリアヌス大司教も闇信仰審問会に関する最低限の判断を下しその場を収めた。
釈放となったエイクはハイファ神殿に赴いてリーリアを引き取った。
リーリアについては、闇の神を信仰してはいないと既に認められていた。
そして直接犯した罪もエイクへ危害を加えた事だけだった為、「自分に仕えて罪を償うならば、それ上の罰を望まない」というエイクの言葉によって、罪に問われる事はなくなっていたのだ。
リーリアと合流したエイクはリーリアが使っている家へ向かった。
その家はエイクに宛がわれていた廃墟区域の家よりも諸々の環境が遥かに良かったので、エイクは当面の間はそこに住むことにしたのである。
エイクはあらゆる意味でリーリアを利用することを、もはや気にも留めていなかった。
リーリアの家に到着したエイクは、環境が変わっても鍛錬を怠らず調子に乗らないようにせねばならないと、自らに強く言い聞かせた。
己のオドを盗み取っていた者たちに対する積年の恨みを晴らすことは出来た。
また、アークデーモンという思わぬ強敵を倒し、自分の力をより強く実感できた。
しかし、そこに行き着く過程では至らない点も沢山あった。敵の失敗と幸運に助けられたという面は否定できない。
また、アークデーモンの力が制限されていたという事も忘れてはならない。
そう自覚していたからだ。
それにフォルカスをバフォメットに変じさせたのが何者で、いかなる目的で、そしていかなる方法でそのような事をしたのか、全く分かっていない。これも気になるところではある。
とても浮かれていい状況ではない。
しかし逆に言えば、強く自制しなければ浮かれてしまうような心理状態になっていたと言える。
力を取り戻して、フォルカスやテオドリックといった恨み重なる相手を自ら討てたことは、やはり彼にとって大きな喜びだった。
また、闇信仰の容疑人の1人として審問の対象となったカテリーナに対して、最低限の調査を行った後、問題がなければエイクを身元引受人として釈放するという判断が下されたことも、彼の気を良くさせていた。
それはつまり彼女の身柄が遠からずエイクに引き渡されるという事を意味していたからだ。
ユリアヌス大司教から、行く行くは捕らえたネメトの女司祭――ルイーザという名前だった――も、エイクに引き渡すつもりだ、と告げられたのもうれしい話だった。
エイクは自分が一度抱いた女に固執する人間だったことを知った。
そしてそれ以上に、今の自分の力ならばヤルミオンの森の深部を探索することも出来るだろうという考えが、エイクを滾らせていた。
それはつまり、父の仇を探すための第一歩を踏めるという事を意味していたからだ。
しかし裁判の3日後、そんな浮ついた気持ちを吹き飛ばす情報がエイクに伝えられた。
それは正に、その父の死に関する情報だった。
その日エイクは、早くも釈放が決まったカテリーナの身柄を引き取る為にハイファ神殿を訪れた。
そしてユリアヌスの私室に招かれ、その情報を聞かされたのだった。
「フォルカスとグロチウスが、父の死に関係していた?」
ユリアヌスの言葉を聞いたエイクは、衝撃を受け、思わずそう問い返してしまった。
「そうです。詳しくご説明します……」
ユリアヌスが答え、そして更に言葉を続ける。
グロチウスへの尋問で明らかになったというその内容は、次のようなものだった。
4年前の7月初め、炎獅子隊の隊舎のフォルカスの私室に、いつの間にか差出人不明の手紙が置かれていた。
そこには、秋の妖魔討伐遠征が始まったら、特定の日に特定の場所をガイゼイクが探索するようにしろ、そうすればお前にとっても都合のよい事が起こる。と書かれていた。
フォルカスは速やかにグロチウスに相談した。
それがガイゼイクに危害を加える企ての一環だろうという事は推測がついた。
そして、彼らはこの企てに乗ることにした。
当時グロチウス達もガイゼイクの事を目障りに思っていたが、中々手を出せないでいたからだ。
グロチウス達が全戦力で襲撃すればガイゼイクを殺せるかも知れない。しかし、どれほどの被害が出るか分かったものではない。
ガイゼイクを殺せても、自分たちの勢力も壊滅したのでは意味がない。
そもそもガイゼイクは簡単に隙を見せる男ではなく、グロチウスたちはガイゼイクに死んで欲しいと思いつつも、確実に殺す手段が思いつかないでいた。
もちろん、どこの誰の、どういう内容かも分からない企てに乗ったところで、それが成功する保証など何もない。
しかし、この手紙を焼いてしまえば関与した証拠は残らないので、企てが失敗してもグロチウスやフォルカスはさほど困る事はない。
妖魔討伐遠征の日程や探索場所は、当時炎獅子隊副隊長だったフォルカスが自分の思い通りに出来るようになっていた。
自分が怠けたり、自分に近い立場の隊員が手柄を立て易くするためだ。
なので、特に苦労もなくガイゼイクが受け持つ探索場所を指定することが出来た。
ガイゼイクが自ら探索を行う事も、フォルカスが自分の都合で探索範囲と受持つ隊員を決めることも、どちらもいつものことになっていたので、この点でも後で疑われる要素はない。
犯人が捕まって、フォルカスに協力を依頼したことを喋られれば流石に面倒だが、それでも知らぬ存ぜぬで押し通す事は出来るだろう。
彼らはそう判断し、手紙の指定通りにガイゼイクが探索を行うように手を打った。
その上で、その日その場所で何が起きるか確認しようと考え、グロチウスは身を隠す術に長けた部下だけを引き連れてヤルミオンの森のその場所周辺に潜んだ。
企ての首謀者たちが無様にも捕まりそうになった場合は、可能なら口を封じてしまおうという意図もあった。
そして、戦いの物音を聞きつけそちらに向かうと、ガイゼイクと見た事もない怪物が戦っているのを目にしたのだった。
グロチウスの目から見ても、ガイゼイクは魔物相手にやや有利に戦っているように見えた。
グロチウスはこの機会を逃してはならないと考え、ガイゼイクにその意識を乱す魔法を何度もかけた。
そのほとんどは抵抗されてしまったが、何度目かでついに効果を現し、ガイゼイクは一瞬ふらついた。魔物の爪がガイゼイクを切り裂いたのはその時だった。
ガイゼイクの死に衝撃を受ける隊員たちが、グロチウスらの存在に気付く事はなかった。グロチウスらは誰にも見咎められずにその場を後にした。
「……ッ」
エイクは言葉もなく怒りに打ち震えた。
その話しが事実なら、父の死は妖魔討伐の最中に強大な魔物と遭遇した事による不慮の出来事ではない。何者かの企みの結果だった事になる。
つまり、父は謀殺されていたのだ。
そしてグロチウスは、父を直接手にかけたに等しい男だった事になる。
―――そうと知っていれば、自ら殺してやったものを。
仇の一人を自ら手にかける機会を逃したのかと思うと、エイクは身震いするほどの口惜しさを感じた。
「グロチウス……。」
エイクの口から思わず怨嗟こもったの声が漏れる。
「あの者は、この後も厳しい取調べを受け、最後は処刑されます。どうかお気持ちを収めてください」
ユリアヌスがそう告げた。
「……。分かっています……。
それよりも、そのフォルカスに届いたという手紙が誰からのものかは、全く分からないんですか?」
その手紙の出し主こそが、父殺害の主犯だ。グロチウスや“呑み干すもの”はいわば利用されただけの存在に過ぎない。
だが、ユリアヌスの回答は芳しいものではなかった。
「残念ながら、不明としか言いようがありません。グロチウスらもその正体を全く知らなかったのです。
ただ、グロチウスは軍の上層部の誰かだろうと推測していたようです。
手紙が隊舎に届けられた事と、炎獅子隊の内実に詳しい者の計画だと思われる、というのがその根拠です。
しかし、当時フォルカスの部屋にはローリンゲン侯爵家の関係者も出入りしていたようですので、断言はできません」
「……」
そう語るユリアヌスを見るエイクの顔には、かつて父の埋葬の際にユリアヌスに見せたのと同じ、深い影が刻まれていた。
ユリアヌスは言葉を続ける。
「このことは王国政府からきつく口止めされています。
炎獅子隊隊長という要職に就く者を暗殺した犯人が、王国内にいるとなれば大問題ですし、内密に調査をするとのことでした。
しかし、さすがにエイク様に黙っているわけには参りません」
「ご好意に感謝します」
そう答えたエイクは視線を下に降ろした。
エイクは父を殺した魔物はアザービーストなのではないか、という自分の推測を思い出していた。
アザービーストはデーモンと同じ異世界の住人だ。
そして今回フォルカスが変じたのはアークデーモン。
父を殺した犯人が森の深部に巣くう魔物ではなく、王国内の何者かだった。しかも、その犯人はフォルカスの部屋に手紙を置くなど以前からフォルカスの身近に居た。これを事実と考えるなら、その犯人とフォルカスをアークデーモンに変えた者が無関係とは思えない。
同一の存在である可能性は高い。エイクはそう考えた。
そして、エイクは父と交わした最後の会話も思い出していた。
(あの頃父さんは、かつて見て見ぬ振りをしたという悪と戦おうとしていた。
そして、その直後に父さんは殺された。そいつが、その「悪」が父さんを……)
エイクは神殿の床の一点を見つめ、しばらく動けないでいた。