21.狩猟②
エイクの背後に忍び寄るゴブリンが、穴から空洞内を覗き込みエイクの姿を捉えたその瞬間、エイクは不意に振り返り背後のゴブリンをその目で見た。
そして少しも驚くことなく、すかさずゴブリンの1体目掛けて駆け、間髪を入れず渾身の力をこめたスティレットを突き出す。スティレットはゴブリンのど元にずぶりと突き刺さった。完璧に急所を捉えた一撃だ。
4年前エイクが見出した戦い方。渾身の一撃を出来る限り効果的な場所に打ち込む、という困難な攻撃技術を、彼はものにしていた。ゴブリンは声も上げずに崩れ落ちた。
「ギャー」
そんな叫び声をあげながら繰り出されたもう一体の攻撃を、エイクは軽くかわす。
「クソガッ」
その騒ぎで挟み撃ちが失敗したことを悟ったゴブリンシャーマンが濁った声を上げる。
(俺に不意打ちは効かないよ)
エイクは内心でそう答えた。彼は、周りのゴブリンの動きをすべて把握していたのだ。
それは、オドを感知するという極めて稀な能力を使った結果だった。
彼が始めてゴブリンを殺した時に、ゴブリンから抜け出すのを感じたオドと思われる何か。
“伝道師”の示唆により、生きている相手のそれをも感知できるようになったエイクは、“伝道師”の忠告のとおりに、それを操る術を模索し、他者のそれを感知する能力も研ぎ澄ませていた。
妖魔を何体も討つなどの幾多の経験により、エイクはそれが間違いなくオドであると確信していた。
そして、今やエイクはその感知能力によって、自分の周囲の相当の広範囲にいる生き物の位置を感知出来るまでになっていた。
今回エイクは、自分が潜む枯木の20m以上手前で、ゴブリンシャーマンたちが一旦止まった事を感知し、何らかの理由で待ち伏せがばれたことを悟った。
相当苦しい戦いになることを覚悟し、冷静に撤退も考えた彼だったが、6つの内2つのオドが他と分かれて、反対側に回るように動き出したことから勝機を見出した。
相手は自分を挟み撃ちにしようとしている。それなら各個撃破すれば勝ち目はある。
そう判断し、2体が背後に回り込み、他の4体ともっとも距離が離れる瞬間を待っていたのだった。
この計画は成功した。
しかし全て思惑通りとはいかなかった。背後に回りこんだゴブリンの2体目を倒す前に、正面にいたボガードと残り2体のゴブリンが躊躇いもなく駆け出し急接近して来ていた。
ゴブリンシャーマンも攻撃魔法が届く位置まで近づく。
妖魔5体との乱戦が始まった。
エイクは先頭を切って駆け寄ってくるボガードを最初の標的と見定めた。
ボガードは何処で拾ったのかロングソードを持っており、それを両手で頭上振り上げたまま、雄叫びを上げて突っ込んで来る。
エイクは、ボガードの動きを冷静に観察し、絶妙なタイミングで大きく一歩踏み込んでその左肩を突いた。
だが、その攻撃は先ほどゴブリンを一撃で倒した急所狙いではなく、大したダメージを与えられていない。
あの攻撃は、急所を狙うのと渾身の力を一撃に込めるのに意識を集中させるため、どうしても回避が疎かになる。
エイクは、ボガード1体とゴブリン3体を同時に相手にする状況でそれは危険だと判断したのだった。エイクはむしろ回避を重視して相手の動きを注視していた。
ボガードは全くひるまず、ロングソードを振り下ろす。
エイクは素早くスティレットを引き抜くと同時に僅かに右に動いた。
ボガードのロングソードは紙一重でエイクを捉えることが出来ない。
エイクは、攻撃を透かされて体勢を崩すボガードの左側に回り込み、その耳を目がけてスティレットを突いた。狙い過たず耳の穴を捉えたその攻撃は脳近くまで達し、一撃でボガードの意識を奪い取った。
敵の攻撃を極限まで見切り、次に自分が効果的な攻撃が出来る位置をとりつつ避ける。これもエイクが身に着けた妙技の一つだ。
続くゴブリンたちの攻撃も全て避ける。
そこにゴブリンシャーマンの魔法が襲い掛かった。氷水の精霊を用いた“氷の矢”の魔法だ。
魔法攻撃を避けることは出来ないが、精神を奮い起こして抵抗に成功すればダメージを大きく軽減できる。
エイクはこれに成功した。彼が受けたダメージは僅かだった。ゴブリンシャーマンは抵抗されたにしても効き目が悪すぎると思ったのか困惑気味に首を振るう。
しかし、僅かなダメージでも異常に生命力が低いエイクには無視できない。
エイクは残ったゴブリンたちに対し、急所への全力攻撃を再開した。
ボガードを倒した今、回避を軽視しても問題ない。むしろゴブリンたちを一刻も早く倒して、魔法で確実にダメージを与えてくるゴブリンシャーマンに対応すべきだ。と、そう判断したためだ。
可能ならゴブリンを無視してゴブリンシャーマンを狙うべきなのだが、ゴブリンは、シャーマンを守るつもりなのか、エイクがゴブリンシャーマンの方へ向かうのを妨害するように動いていた。
エイクの急所への強打は確実にゴブリンを捉えて、1体そしてまた1体を倒した。
その間にゴブリンシャーマンは“氷の矢”を繰り返し、少しずつだが確実にエイクにダメージを与える。それでもエイクの生命力はどうにかまだもっていた。
ところが、ゴブリンが残り1体となったところで、エイクの動きが鈍った。
彼の体力がまたしても切れそうになっているのだ。
それでもエイクは最後のゴブリンをその首を突いて倒し、振りかかる“氷の矢”をものともせずゴブリンシャーマンへ迫った。
そしてそのまま喉元へ一撃を加える。しかし、ゴブリンシャーマンのオドは思いのほか豊富なのか、その一撃で倒れることはなかった。
だが、たまらず自らの傷を癒そうと光の精霊を用いた“癒しの光”の魔法を使う。光の精霊は邪悪な妖魔の言葉にも耳を傾け、魔法は正常にその効果を上げた。
エイクはかまわず追撃を加える。ゴブリンシャーマンは次も癒しの魔法を使わざるを得ない状況に追い込まれた。
普通ならば、こうなってしまえば勝負ありだ。攻撃に移れない以上ゴブリンシャーマンに勝ち目はなく、マナが枯渇して癒しの魔法が仕えなくなった時点で敗北が確定する。
しかし、エイクには体力切れという問題があった。
一連の攻撃を行う間にも、彼の動きは目に見えて衰え、手足は振るえ、意識すら飛びそうになる。
もしゴブリンシャーマンが倒れる前にエイクの体力が尽きたなら、敗北するのはエイクの方だった。
この消耗戦にエイクは勝利した。
彼の一撃がゴブリンシャーマンの左目の眼球を抉り、ついにその意識を刈り取ったのだ。
崩れ落ちるゴブリンシャーマン。
しかし、エイクもほぼ同時に倒れこむように両手と両膝を地に着け、荒い息を吐いた。ギリギリの勝利だった。
しばらくそうして息を落ち着かせたエイクは、討伐証明部位の剥ぎ取りにかかった。
妖魔に対しては、国から全ての冒険者の店に恒常的に討伐依頼がなされている。逆に言えば、この依頼を受けていない店は、冒険者の店として公的に認められていないことになるのだが。
いずれにしても、冒険者は自らが属する冒険者の店に証明部位を持ち込めば、いつでも換金してもらうことが出来る。
ゴブリンらの証明部位は鼻で、周りの皮膚ごと切り取ることとされていた。
ゴブリンシャーマンやボガードは鼻だけではただのゴブリンと区別が付かないので、顔面の皮膚を出来るだけ多く剥ぎ取り、確認できれば報酬が上乗せされることになる。
エイクは疲労困憊した中で、どうにか面倒な剥ぎ取り作業をこなした。
ついでに金目のものを持っていないかも確認する。
するとゴブリンシャーマンは小さな宝石を一つ持っており、ボガードが手にしていたロングソードも細かい意匠が凝らされていて、意外にもそれなりに価値がありそうだった。
他にゴブリンの一匹もそれなりの拵えのダガーを持っていた。
エイクは淡々と討伐部位を袋につめた。
宝石とロングソードとダガーも持って帰ることにした。ロングソードは、筋力に乏しくしかも疲れ果てた彼の手には重かったが、これも鍛錬だと言い聞かせて自らの体を叱咤した。
エイクはとりあえず、狩りの拠点にしている、ヤルミオンの森外縁部にある猟師小屋へと向かった。
その小屋はかつてある老猟師が使用していたものだった。
エイクが一人で妖魔狩りを行うことを聞き知ったその猟師が、共同で小屋を使うことを提案してくれたのだ。
ヤルミオンの森が王都から近いといっても歩きなら半日はかかる。本格的に狩りをするならば森の外縁部かその近くに拠点が必要であり、この申出はありがたかった。
老猟師はエイクに森での生き方の基本も教えてくれた。
エイクはその習得にも持ち前の勤勉さを発揮し、1年もたたずに一人前の猟師になれるといわれるほど上達した。
仕舞いには本気で猟師にならないかと勧められたが、断った。彼は今更戦士以外の生き方をするつもりは全くなかったのだ。
その老猟師は昨年引退し、子供たちのところへ身を寄せると言って去っていった。その時この小屋をそのままエイクに譲ってくれた。
今回の狩りでエイクがその小屋に籠って3日目になる。
明日には王都に帰還する予定だった。
小屋に帰り着いたエイクは、まずゴブリンシャーマンの“氷の矢”の魔法によって傷を負った場所に、傷薬を塗り付けて治療を行った。
その薬は自然治癒力を増幅させる効果があるもので、エイクが受けたくらいの傷ならば、1日か2日ほどで癒す効果がある。
回復薬や魔法のように即時に回復させることは出来ないが、比較的安価で、しかも老猟師から手ほどきを受けたエイクは、原料になる薬草さえ見つければ自作する事も出来た。
このためこの薬を使う事がエイクの主なダメージ回復の手段になっている。
一通り治療を終えたエイクは、3日間の猟の成果をまとめ帰り支度を始めた。
この3日間は毎日妖魔と遭遇した。そしてその妖魔の内何体かは、今日のボガードやゴブリンのように比較的きれいな武器を持ち歩いていた。
金になりそうな物が手に入った事はエイクにとってはありがたかったが、複雑な気分にさせられることでもあった。なぜならそれは、その妖魔が最近人を襲っていた可能性を示唆しているからだ。
このことはまた、近頃炎獅子隊の妖魔討伐の成績が良くないという話しを思い起こさせた。
妖魔が十分に狩られないから、人を襲う妖魔が増えているのだと。そして、森の中心部にしかいないはずの、より手ごわい妖魔が現れるようにもなっていると。
実際今回の狩りでエイクも、オークの群れを率いたトロールという、さすがに手も足も出せない妖魔たちを目撃していた。そのような強力な妖魔は、少し前まではこんな森の外縁部に近い場所には現れていなかった。
ちなみにその時エイクは、身を隠して妖魔が行き過ぎるのをやり過ごした。彼は己の今の実力と、勇気と無謀の違いを弁えていた。
(父さんが率いていた頃の方が炎獅子隊は勤勉だった)
粗暴な態度から誤解されやすかったが、ガイゼイクは己の役割を立派に果たしていた。少なくとも炎獅子隊の隊長を引き継いだ、あのフォルカス・ローリンゲンよりも遥かに。
鍛錬に明け暮れるエイクを馬鹿にし、暴力を振るい、しかも遊興にふけっているように見えるのに、絶大な力を保持していたあのフォルカス副隊長は、ガイゼイクの死後隊長となり、更に侯爵家の家督も継いで今や大貴族の当主でもあった。
不意に思い出してしまったフォルカスに対する激しい憎悪を振り払い、エイクは王都への帰り支度を黙々と続けた。
(そういえば、来月は秋の妖魔討伐遠征だったな……)
エイクはまたそう思い起こした。
それはつまり、父の死から丸4年の歳月が流れることを意味していた。




