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朧国の軍師だから

「光世嬢! 一体何があった!?」


 戦場から帰還した徐畢(じょひつ)は真っ先に厳島光世(いつくしまみつよ)を心配する言葉を投げ掛けた。

 徐畢の額からは汗が噴き出しているが、特に目立った怪我はしていないようだ。


「大丈夫です。すみません、ご心配お掛けして……」


「噂では突然泣き崩れたと聞いたが?」


 怪訝そうな顔で徐畢が問う。

 すかさず清春華(せいしゅんか)が光世を庇おうと前へ出たが、光世はそれを手で制した。


「あ……あれは、その……私が徐畢将軍にお教えさせて頂きました陣形がまた破られてしまって……私の知識が至らないばかりに徐畢将軍が負けてしまったと思うと申し訳なくて……どうかお許しください」


 光世は拱手して頭を下げた。

 本当の理由は伏せたが、嘘ではない。

 自分が徐畢に授けた陣形が簡単に破られてしまった。しかも二度目である。その責任は光世にある。そうなると、何かしらの罰を受ける事になる筈だ。それが恐ろしいと思う気持ちは間違いなくある。


「何だ、そんな事か」


 だが、光世の思いを他所に徐畢は鼻で笑っただけだった。


「気にするな。負けたのは俺だ。其方の陣形を使いこなせなかった俺の未熟さのせいで負けたのだ。故に、其方に罰などない。だから泣くな」


 徐畢は光世の頭をポンポンと優しく叩いた。

 最悪、軍師の解任などの罰もあるかもしれないとは思っていたが、光世の予想は外れた。

 軍人に対するものとは思えない寛大な対応に驚いたのは光世だけではない。隣で会話を聴いていた清春華も徐畢の穏やかな顔に目を奪われていた。


「ありがとうございます、徐畢将軍」


「光世嬢。こんな事で礼など不要だ」


 徐畢は涼しい顔で言った。

 徐畢は信用出来る人間ではあるが、友人が閻の軍師である事実は伏せておいた方がいいだろう。こんな戦の真っ最中に余計な気を遣わせるわけにはいかない。それに、敵国の軍師と知り合いである事が分かれば軍内で光世が何らかの不利益を被る事は容易に予想出来る。優しい徐畢であっても、さすがにそれを庇いきれないだろうし、そもそも庇ってくれない可能性もある。

 それは恐らく貴船桜史(きふねおうし)に対しても同じだろう。敵との交友関係があれば、少なくとも軍師としての地位を剥奪され任務は外される筈だ。そうなれば、閻の軍師である宵に近付く術はほぼなくなってしまう。それだけは避けなければならない。

 冷静さを取り戻した光世はあらゆる可能性を考えられる程に慎重だった。


「そんな事より、撤退は光世嬢の判断か?」


「はい」


「いい判断だ。あのまま戦っていても我々に勝ち目はなかった。一度体勢を立て直す必要があった」


「敵の軍師はかなり優秀です。陣形勝負では到底勝ち目がありません」


「確かに敵は手強い。楽衛(がくえい)という校尉の陣形は弱点をまるで見い出せなかったが、俺の軍を完全には包囲せず、わざと逃げ道を作っていた。どんな意図があったのか知らんが、それも軍師の指図だろう。全く読めぬ相手だ。だが、手強いからと言って弱気になっていてはならぬ。この後の事を考えよう。閻軍はこの砦を包囲しに動くぞ。包囲される前にもう一度外に出て戦うか、ここに籠城して景庸関(けいようかん)と連携して戦うか、それとも、砦を捨て景庸関に退くか」


 光世は一瞬だけ逡巡すると、すぐに決断を下す。


「景庸関へ撤退しましょう」


「なるほど、砦は捨てるか。理由だけ聞かせてくれ、光世嬢」


 徐畢はそう言うと兜を脱ぎ、空いていた丸椅子に腰を下ろした。

 それと同時に清春華がまたどこからともなく水を入れた杯を持って来て徐畢に差し出した。


「閻軍の狙いは砦ではありません。景庸関です」


「それは分かっている」


 徐畢は杯の水を一息に飲み干すと、空の杯を清春華へと返した。


「閻軍は葛州(かっしゅう)ですぐに動員出来る兵力を全て砦へと向けています。恐らくこの小さな砦では、景庸関からの援護を受けてもすぐに落とされてしまうでしょう」


「確かに。先の敗北で今は兵の士気も低いしな」


「はい。ですから今は砦は捨て、一旦景庸関まで退くのです」


「閻軍に一矢報いたかったが……仕方あるまい。我が軍が逃げの一択とは」


 徐畢の嘆きに光世は首を横に振る。


「退くのは逃げる為ではありません。景庸関へ退く理由はもう1つあります」


「何? 詳しく話せ」


 光世は頷く。


「閻軍の狙いは景庸関の奪還。その為に、景庸関にいる朧軍の目を砦へと向けさせ、その隙に景庸関の左右の山々、邵山(しょうざん)琳山(りんざん)に兵を回し左右から奇襲する。それが、閻軍の真の狙い。だから我々は景庸関に戻り奇襲に備えるのです」


「何と……この砦への攻撃は陽動で、閻軍は邵山と琳山から奇襲してくると言うのか? ……だが、邵山と琳山は軍が通れるような山ではなかろう」


「でも、もし通れたら? 我々が全く警戒していない場所から奇襲を受けた場合、例え奇襲部隊が少数でも兵達は混乱しまともに戦えず、完全に敗北するでしょう。兵法では『そのおもむかざる所に出で、そのおもわざる所におもむく』とあります。敵が絶対に有り得ないと思っている場所から攻めて意表を突く。これは兵法で推奨されている戦術です。閻の軍師は有能ですから、必ず邵山と琳山のいずれか、或いは両方から奇襲を仕掛けて来るでしょう」


 光世の説明を難しい顔で聴いていた徐畢はなるほどと頷いた。


「分かった。光世嬢の案に乗ろう。砦は放棄する。全軍景庸関まで撤退だ」


 そう言って膝をパシンと叩くと、徐畢はまた兜を被って立ち上がり、部屋の外の兵士に撤退の命令を伝えた。


「よし、光世嬢。敵に包囲される前にここを出る。モタモタしている暇はない。必要なものを持ったらすぐに裏門まで降りて来い!」


 徐畢はそう言うと部屋の外に控えていた兵士達を伴って先に部屋を出て行った。


「春華ちゃん、聞いたでしょ? ここを出るから早く準備して」


 光世は言いながら自分の荷物を纏め始める。

 しかし、清春華は動こうとしない。


「戻ってはいけません」


 深刻そうな顔をして清春華は言った。


「何故戻ってはいけないのか」その理由を聞こうとしたが光世は言葉を呑み込んだ。

 きっと光世が徐畢に唱えた閻軍の奇襲作戦が当たっていたのだろう。もし景庸関に戻れば閻軍の奇襲攻撃を受けて光世も死ぬかもしれない。清春華はその作戦を知っていて光世を引き止めたに違いない。


「何も言わないで、春華ちゃん。私は貴女から何も聞かない」


「2人でここに留まりましょう。わたくしと一緒に閻軍に捕まれば光世様は──」


 言いかけた清春華を光世は抱き締めた。

 突然の出来事に言葉を忘れる清春華。

 そして光世は耳元で囁く。


「私の為に祖国と宵を裏切るような事はしないで」


「……光世様……」


 清春華は光世に閻軍の策を伝え、光世が危険に身を晒すのを止めようとしているのだろう。だが、それを聞いてしまえば清春華は間諜でありながら、敵に情報を漏らした裏切り者になってしまう。

 清春華にそんな事はさせたくない。

 光世は清春華の綺麗な長い黒髪を撫でて微笑んだ。


「大丈夫よ。私は貴女の力を借りずに宵と会う。考えがあるの。誰も裏切らずに私が自然に宵に会う事が出来る策が」


「……本当ですか?」


「うん。さっきは情けないところ見せてごめんね。でも、もう心配いらない! これでも私は朧国の軍師だから!」


 胸を張り、光世は白い歯を見せて微笑んだ。

 泣いていても仕方がない。今は頼れる貴船桜史(きふねおうし)はいないのだ。自分がしっかりしなくてはいけない。あのなよなよしてダメダメだった瀬崎宵も、閻の軍師として戦っているのだ。

 泣いている暇などないではないか。


 光世はそう自分に言い聞かせると、乱れていた服を直し、茶色い髪の毛を整えた。


「行くよ!」


 人が変わったように凛とした光世。その様子を目の当たりにした清春華は諦めたように頷く。


軍師(・・)様に従います」


 清春華は恭しく拱手し、頭を下げた。



 ***


 徐畢の六花の陣を破った閻軍は勢いに乗り、徐畢と夏侯譲(かこうじょう)が逃げ込んだ朧軍の砦へと迫った。

 楽衛(がくえい)張雄(ちょうゆう)陳軫(ちんしん)馬寧(ばねい)の4つの軍、計2万8千もの大軍が小さな砦へと迫る様子は宵の想像以上に大迫力だった。

 宵は小高い丘の上から軍の動きを眺めた。


「徐畢を討つ絶好の機会を放棄するとは。軍師殿はお優しいですね」


「敵を殺す事だけが戦ではありません」


 隣の鄧平(とうへい)の顔を見ずに宵はツンとした態度で言った。

 宵の頭の中では次の展開が描かれている。

 砦を包囲し、風が吹き始めるまでジワジワと兵糧攻めにする。そして風が吹き始めたら邵山と琳山の奇襲部隊が景庸関の朧軍陣営へと火攻めを始める。

 今のところ宵の計画に狂いはない。


 ──が、それは斥候の報告で一変する。


「報告します! 砦の朧軍は裏門より景庸関へ退却を始めました!」


「え!? 戦わずに逃げちゃった!? こんな早く??」


 一度砦へと逃げ帰ったので籠城するものだと思っていたが甘かった。せっかく作った砦をこうも簡単に捨てるとは徐畢のような好戦的な人間が考える事とは思えない。


 宵は左手で唇に触れ思案する。


「朧軍の軍師さん……気付いたな」


 宵は眉間に皺を寄せてポツリと呟いた。

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