歩曄と清華
松明の火があちらこちらに灯る。
景庸関の朧軍陣営で兵士が1人、その灯りを避けるように人目を忍び物陰から物陰へと移動していた。
時刻は真夜中、丑の刻。
木造の兵糧庫や武器庫の位置、そして構造を確認しながら、哨戒の兵士に気付かれないように動く。
一通りの確認を終え、戻ろうとした矢先、琳山側の人気のない小さな幕舎の方へと動く不審な人影を見付けた。
兵士は急いで人影を追った。
気配を殺して近付き幕舎に張り付いて、その裏手へと入っていった者の正体を見定める。
「清華」
兵士の呼びかけに、暗闇の物陰に座り込み、コソコソと何かをしていた清華はビクッと背筋を伸ばす。
「ほ、歩曄殿……!?」
清華は目を見開いて兵士に扮した間諜の歩曄を見た。
「良かった、やっと会えたな」
「ち、違うの……」
慌てて清華は着物を直すような仕草をした。
「何が違うんだ?」
「これは監視の目を欺く為の演技で……」
「何を言っている? それより、重要な話がある、よく聞け」
清華が何か弁明しようとしていたが歩曄は無視して幕舎に張り付いたまま辺りの様子を確認し、物陰にしゃがみ込んだままの清華へ閻軍の作戦を話し始めた。
「火攻め……ですか!」
「そうだ。だから俺は兵糧庫と武器庫の床下に秣や薪、酒甕などを仕込む手筈となった。もし、邵山、琳山からの奇襲部隊が定刻に間に合わなければ俺が内から火を点ける。お前はそれに巻き込まれないよう、火攻めが始まったらここから脱出しろ」
「燃やしちゃうんですか、ここを、全部?」
「ああそうだ。朧軍の退路は火で完全に塞がれる。逃げ道は閻側だけだ。お前が逃げるのには支障はない」
「あの、えっと、歩曄殿も逃げられますよね?」
「……ああ」
歩曄は煮え切らない返事を返した。
歩曄の表情は暗くて清華からは見えないが、その返事からは清華に不安が募った。
「一緒に逃げましょう。私も火を点けるの手伝います」
「馬鹿な事を言うな。危険だ。俺1人で十分だ。お前は先に脱出していろ。いいな、俺はもう行く」
「ああ、待って!」
清華はさっさと立ち去ろうとする歩曄の袖を掴んで引き止めた。
「何だ? 誰かに見られるとマズイ」
「朧軍の軍師、もしかしたら宵様と同郷の人で……お友達かもしれないんです」
「何だと? それは誠か?」
歩曄は目の色を変えて問うた。
「確証はありませんが……今私が仕えている軍師の光世様の見た目と雰囲気がどことなく宵様と似ているし、光世様の故郷のニホンには兵法を学べる環境がある……それと何より、光世様はお友達を探していると言ってました。それがもしかしたら、宵様の事なんじゃないか……って」
「それが本当なら、何故さっさと俺や甘晋殿に伝えなかった!? 今更──」
「何度も密書を書こうとしました! けど、光世様の監視が厳しくて……私をずっと1人にさせてくれないんです……でも何故か一昨日くらいから監視がなくなったから、慎重に、少しずつその事を書きました。ほら!」
清華は裙の裾を捲り上げ、右の太ももを露わにすると、そこに結び付けられていた白い絹を解き歩曄へと渡した。
「確かに……」
「それを宵様へ見せれば何か分かるかも! もし、光世様がお友達なら火攻めじゃなくて別の……戦わなくても済む策を考えてくれる筈です!」
清華の訴えを聞いた歩曄だったが、首を横に振り、清華の書いた密書を畳むと自分の懐にしまった。
「え……?」
「悪いがもう遅い。火攻めは2日後だ。この密書を届けたところで進行中の策を止める事は出来ない。この陣営は2日後確実に火の海になる」
「そんな……! 今からでも甘晋殿に伝えれば明日の朝には宵様のもとへ届いて作戦の中止を……」
「無理だ。邵山と琳山にはすでに閻軍の奇襲部隊が入っている。彼らに作戦中止の命令を伝えるには2日では無理なんだ」
「じゃあ、宵様が光世様を殺すのを指を加えて見てろとでも!?」
「まだその光世という軍師が宵殿の友と決まったわけではない」
「だから! それを確かめる為にその密書を宵様に届けるんです! 返してください! 今からでも街へ行って甘晋殿に渡して来ます!」
「いい加減にしろ! 不可能だという事が分からないのか!? いいか! 我々の最大の目的は朧軍を倒す事。此度の策がしくじれば次はどうなるか分からん! 仮に光世という軍師が宵殿のご友人だとしても、朧軍に仕えている以上は敵! お前のその密書が宵殿の気の迷いを起こし、閻軍の敗北へと繋がる恐れもある!」
「待ってください……歩曄殿。それ、本気で言ってます?」
清華の鋭い眼が歩曄を睨む。
「無論。この状況で、宵殿に光世という軍師の事を伝えるべきではない。分かっているとは思うが、光世という軍師に宵殿の事は伝えるなよ。言えばお前は裏切り者となり俺がお前を斬らねばならなくなる」
非情な歩曄の言葉に清華は掴んでいた歩曄の袖を離し地面にへたり込む。
「まあ、宵殿は極力人は殺したくない故、物資の入った倉庫にしか火を掛けないと言っていた。火攻めが成功すれば、生きたまま光世という軍師を捕えられるかもしれない。だが、お前が個人的な感情で下手に動く事で宵殿の策を妨害し、最悪、光世という軍師を死なせるかもしれない。分かったな。お前はもう上手く逃げる事だけを考えろ。じゃあな」
歩曄は清華に背を向け立ち去った。
「薄情者……」
1人になると清華は呟いた。自分は何の為に間諜としてここに潜入したのか。重要な情報を手に入れながら、それを持ち帰る事も出来ず、友かもしれない者同士が戦うのを傍観する事しか出来ない。
国の事を想うなら、歩曄の言う事も分からなくもない。だが、それが本当に正しい事なのか。
「宵様……光世様……あたし、どうしたらいいのでしょうか……」
地面にへたり込んだまま、清華は自分の無力さに打ちひしがれ、しばらく動く事が出来なかった。




