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不運な事故

 ~閻軍(えんぐん)李聞(りぶん)陣営~


 それは瀬崎宵(せざきよい)姜美(きょうめい)の陣営への移動の為、劉飛麗(りゅうひれい)と共に部屋で荷物を纏めている時の事だった。

 いつも通りの感情を読み取らせないクールな表情で劉飛麗が言った。


「宵様。廖班(りょうはん)将軍は明日にはここを発ちますね。宵様も姜美様の陣営に移る事になり清々するのでは?」


「……でも、あの人も大怪我して自分の夢が遠ざかってしまったのは不憫だなぁと思います」


「不憫……。宵様は散々不当に扱われ、酷い事も言われておりました。それなのに、廖班将軍にそのよう感情を抱かれるのですか? 怨んだりしておられないのですか?」


「うーん……『恨みは解くべし、結ぶべからず』ですから。もう済んだ事ですし、その事は忘れます」


 宵が微笑むと、劉飛麗は何故か不満そうな顔をした。そして長い黒髪を片手でサッと払うと、頭に付けた桃色の(かんざし)を触った。


「宵様は心が綺麗なのですね」


 今度は悲しげな顔をする劉飛麗。珍しく宵には劉飛麗の心が揺れているように見えた。


「荷造りは終わりました。少しだけ、席を外させてください。こちらはお返し致します」


 そう言って劉飛麗は宵の祖父の竹簡を差し出した。今も祖父の形見の大切な竹簡は劉飛麗に預かってもらっている。宵が管理するより、何事も完璧な劉飛麗が管理した方が遥かに安心出来るからだ。


「ありがとうございます。助かりました。もちろん構いませんよ。夕飯までには戻って来てくださいね」


 宵は竹簡を受け取ると笑顔でそう言ったが、劉飛麗は返事をせず、ただ淑やかに頭を下げ、そして部屋から出て行った。

 その行動に、宵は胸騒ぎを感じた。何か嫌な予感がする。

 そんな事を考えながら、宵は無意識に祖父の竹簡を開いていた。


「あれ? 嘘!? 凄い!!」


 宵は竹簡に書かれている文字を目の当たりにし、驚愕のあまり歓喜した。

 歯抜けだった竹簡の文章が、8割り方埋まっていたのだ。


「ちょっと待って何何何? もしかして、元の世界へ帰る為のピースが揃ってきた感じ??」


 嬉しさのあまりにやけながら独り言を言う宵。

 “元の世界”などという言葉は無闇に口に出してはいけないというのに、そんな事を忘れる程に宵は夢中になって浮かび上がっていた文章を読み上げる。もちろん漢文だが瞬時に現代語訳して読んだ。


「『己に足りないものを、己の力でもって見つけ出した時、在るべき場所へと導かれる。竹簡は失くすべからず。足りないものは全部で5つ。1つに“挑戦”、2つに“感謝”、3つに“覚悟”、4つに“自……』……え〜あと2つが分かんないのかぁ〜……でも」


 宵はその内容に心昂っていた。今まで内容が分からなかった文章が意味が通るようになり、そして──


「多分この5つを見つけた時、元の世界に帰れるんだ!」


 こんなに嬉しい事はない。この世界に来てからというもの、元の世界へ帰る方法は見当すらつかなかったのだ。それが何故だか徐々に竹簡に文字が浮かび上がり、今こうして文章の大部分が読み取れるまでになった。もちろん、どういう仕組みなのかは分からない。異世界でそんな事考えても無駄というものだろう。


「ん? 待てよ? もしかして……」


 宵は5つの足りないものを指さしてもう一度読み上げた。


「“挑戦”、“感謝”、“覚悟”……これだけ浮かび上がったのって……もう手に入れたから? 手に入れたものが浮かび上がる感じかな? だとしたら、残り2つを手に入れようとしても、何が足りないものなのか分からないじゃん! 何だよ〜無理ゲーじゃーん!」


 あと一歩のところで手詰まりになってしまい、宵は竹簡を卓に置いて天井を仰いだ。


「“挑戦”、“感謝”、“覚悟”……何を指してるんだろ……」


 今までの自分の行いを振り返り、何が竹簡に文字を浮かび上がらせる要因になったのかを考えた。


「えっと……」


「軍医! 軍医は何処だ!?」


「早く連れて来い!」


 突然、外が慌ただしくなった。

 兵達が騒いでいる。

 宵は慌てて外に出た。

 あちこちで兵士が走り回っている。


「あの、どうしたんですか??」


 宵は1人の兵士を捕まえて問うた。


「軍師殿……! 廖班将軍が血を吐いて倒れて……う、動かなくなったのです!」


「え!!??」


 衝撃の言葉に宵は耳を疑ったが、青白い顔をした兵士はすぐに他の兵士のもとへ走って行ってしまい詳細を訊く事は叶わなかった。

 宵は一度部屋に戻り落ち着きを取り戻そうと部屋の中を無意味に歩き回る。


「待って待って待って……激しく動かなければ大丈夫なんじゃなかったっけ?? 死ぬような怪我じゃないって言ってなかったっけ?? どうしよう……飛麗さんは……」


 劉飛麗の名を無意識に口にしていた事に気付き、宵は足を止めた。


「駄目だ! 狼狽えちゃ駄目! 飛麗さんがいたら怒られる!」


 そう自分に言い聞かせ、卓の上に置いた竹簡を手に取ると、宵は部屋を出て廖班の幕舎へと向かった。



 ♢


 廖班の幕舎の前には大勢の兵士が群がっていた。野次馬のように幕舎の中を覗いている。


「あの! 廖班将軍は!?」


 駆け付けた宵が兵士の1人に訊ねると、兵士は俯いて首を横に振った。


「亡くなりました」


「え!? 何で!? どうして!?」


「軍師殿! 中へ!」


 取り乱しそうになる宵を、別の兵士が幕舎の中へと招く。

 言われるがままに幕舎へと入ると、そこには寝台から転げ落ち目を見開き、口と胸から大量の血を流して倒れている廖班の姿があった。


「そんな……」


 床まで鮮血に染まったあまりにもおぞましい光景に、宵は涙目になりながら廖班から顔を背ける。


「軍師殿。残念ながら手の施しようがありませんでした」


 顔を背けたまま目を瞑り、聞こえてきた男の言葉の意味を理解しようとする。話し掛けたのは恐らく軍医。廖班の状態を見て死んでいると判断したのだろう。

 だが、宵は軍医のように冷静にはなれず、目の前に知り合いの遺体があると思うと目を開ける事さえ出来ない。


「ど、どうして、亡くなったのですか? 死なない……筈でしょ?」


「死因は胸の傷が開いた事による失血死です」


「何で? 何で突然傷が開くんですか??」


「さあ……私には分かり兼ねます。その……初めからこの幕舎にいらっしゃったそちらの女性の方に事情をお聞きした方が……」


「え……?」


 軍医の言葉に、宵は恐る恐る目を開いた。

 目を瞑っていた宵は気付かなかった。隣には宵の下女、劉飛麗が立っていた事に。


「……飛麗……さん?」


 劉飛麗は何も答えず、大きな目を細め、宵から目を逸らした。

 軍医は劉飛麗が初めからこの幕舎にいたような事を言っていた。

 それは、つまり廖班が死ぬ場面に立ち会っていたという事なのか。


 宵は劉飛麗の閻服の袖をぎゅっと掴んだ。


「飛麗さん……何でここに居たんですか?」


「わたくしは廖班将軍に会いに参りました」


「何で?」


「いけませんか?」


「何でって……聞いてるんです」


「廖班将軍はかつてのわたくしの主人。荒陽(こうよう)へ戻られてしまう前に、下女のわたくしがお別れを言いに来る事が不自然な事でしょうか?」


 劉飛麗は宵の質問に淡々と答える。


「じゃあ……廖班将軍は……何で傷口が開く程暴れたんですか? 他に誰かこの部屋に居たんですか?」


「部屋にはわたくしだけ。廖班将軍は暴れたわけではありませんでした。突然何かに怯え、発狂し、寝台から転げ落ちたのです」


「何かに……怯えた?」


 劉飛麗は廖班が死んだのに、自分が疑われるような状況なのに、まるで動揺した様子を見せず、いつもの様にただただ美しかった。だが、今はその美しさが不気味にさえ思える。


「わたくしが殺した、と思っているのですね。宵様」


「いや……そんな事……」


 宵は首を横に振った。そんな事思いたくないが、状況的に一番怪しいのは劉飛麗。それに、劉飛麗には廖班にぞんざいに扱われた恨みがある。しかし、それだけで廖班を殺すだろうか。


「軍師殿。その方が直接手を下した形跡はありません。その方は殺してはいないと思います」


「そう……ですよね。飛麗さんが廖班将軍を殺す筈ありません。事故なんですね? 軍医殿」


「ええ。……不運な事故です」


 軍医が断言したので宵は頷き劉飛麗の手を握った。その手はとても冷たかった。


 ポタ……と、1滴、劉飛麗の足もとに雫が地面に落ちた。

 おもむろに劉飛麗の顔を見ると、その頬には涙の跡が一筋。視線は廖班の亡骸をぼうと見ていた。

 劉飛麗が何を想い涙したのか、何を考えているのか、宵には分からなかった。


 やがて部屋には李聞(りぶん)張雄(ちょうゆう)も駆け付けた。

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