オタク爆発!
目の前に広がる朧軍の陣形。
大きな円の陣形だ。円を形作るのは、大きな長方形の盾を持った兵達。それが24の塊に別れていて、周囲に通路を形成している。
その陣形の外から内部への入口となる通路は全部で8つ。規則的に円を分割する8つの通路は、全て中央の指揮官の立つ指揮台に繋がっている。まるで、兵士の身体だけで作った砦と呼ぶに相応しい。
陣形の後方の両翼には歩兵部隊も大勢控えている。
瀬崎宵には、この陣形に見覚えがあった。いや、見覚えがあるどころの話ではない。卒業論文のテーマとして様々な陣形を 研究している宵にとっては、知り尽くした陣形の1つだ。
「うわぁ……昂るなぁ」
その陣形を目の当たりにした宵は、空気を読み、何とか興奮を押し殺そうと試みたが、口からはポツリと本心が漏れる。不謹慎にも興奮しきりの宵は爛々と目を輝かせ、櫓の手摺から身を乗り出し大好きな陣形を食い入るように見つめた。
「随分と嬉しそうですね? 軍師殿」
場違いなテンションを隠しきれていない宵へ、冷たい視線を向けて姜美が言った。
李聞は何も言わず、ただ宵へ視線を向けるだけだ。
「し、失礼しました! つい……興奮しちゃって……あの陣形は特に圧巻で」
「変わってますね。でも私は好きですよ。貴女みたいな変態」
「変態……??」
あまりにもサラッと姜美に毒を吐かれたので宵は聞き間違いかと目を瞬かせる。
「ところで、軍師殿のその反応から察するに、敵の陣形をご存知で?」
姜美は宵を無視して早々に本題に入った。だが、そんな事よりも宵は目の前の陣形を語れる事にまた心躍らせる。
「あ、はい、あれは“八門金鎖の陣”と言います」
“八門金鎖の陣”。三国志演義において曹操配下の武将・曹仁が敵対する劉備との戦で披露した架空の陣形である。
八門金鎖の陣の全体的な形は諸説あるが、8つの入口があるところは相違ない。積極的な攻撃陣形ではなく、防御に特化した陣形でありながら、ひとたび敵が陣形の中へと踏み込めば、入口が閉ざされ、内へ内へと引きずり込まれ、最後には瞬く間に殺戮される恐ろしい陣形である。
「それは、どういう陣形なんだ? どう攻めればいい?」
李聞の質問に、宵は喜色満面で朧軍が敷く八門金鎖の陣へ羽扇を伸ばす。
「私の祖国の古い物語によれば、八門金鎖の陣とは、北から時計回りに驚門、開門、休門、生門、傷門、杜門、景門、死門の八門から成る陣形とされています。開門、生門、景門から入れば吉ですが、驚門、休門、傷門から入れば負傷し、杜門、死門から入れば全滅します」
「何だそれは。入る門によって我が軍の勝敗が決まるというのか? まるで妖術師が操っているような奇っ怪な陣形だな」
実際のところ、架空の陣形なだけあって、陣形への入り方で勝敗が決まるという事はない。全てフィクションだ。故に本来はどの門から入ろうとも結果は同じ。上手く抜ければ勝てるし、失敗すれば負ける。宵はロマンを求めて八門の特性を研究したが、フィクションだと結論が出た時には心底ガッカリしたものだ。
「仰る事はごもっともです、李聞殿。しかも、ひとたび中へ入ると、陣形を構成する兵が入口を閉ざし、さらには内部の道を塞いで行く手を阻み、こちらを分断して少数になった所でようやく襲いかかって来ます」
「恐ろしい陣形だな……」
「でもご安心を。ちゃんと破れます」
「ほほう。やはり軍師がいると心強いな」
李聞は顎髭を撫でながら嬉しそうに笑った。
「兵法では、敵の“虚”を攻める事とあります。あの八門金鎖の“虚”、つまり、弱点は、“龍眼”と呼ばれる中央の指揮台。あそこにいる指揮官を倒せば簡単に崩壊します」
「具体的にはどう攻めれば良いのです?」
腕を組んだ姜美が興味津々に宵の目を見つめて訊く。
「そうですね。まず姜美殿が精鋭の騎兵一千を率いて東南の“生門”から入ります」
宵は羽扇で陣形の右下に位置する“生門”を指しながら説明を始めた。その羽根の先を李聞と姜美が同時に追い始める。
「そしてそのままの勢いで中央の指揮台まで駆け抜けてください。途中直進を妨げられるでしょうが止まっては駄目です。止まれば死ぬと思ってください。兵が盾で道を塞いでもその上を乗り越えて指揮台を目指してください。陣形内の道を通る必要はないのです。道なりに進んでも行く手を阻まれ殺されるだけです。流れに逆らわなければいけません。こちらの勢いが落ちない様子を見れば敵は焦って陣形に緩みが生じます。そしたら好機。速やかに指揮官を倒し、その後、西の“景門”から脱出してください。姜美殿が脱出する頃には八門金鎖は完全に崩れている事でしょう」
説明を終えると、宵はゆっくり羽扇を自分の平らな胸の前に戻す。
まさか人生で八門金鎖の陣の攻略法を軍人達に語る時が来るとは誰が予想出来ただろうか。宵は既に達成感と高揚感に満ち満ちていた。何故だかこの戦法が失敗するとは少しも思わなかった。
「ああ、そうだ。それと念の為、成虎殿と龐勝殿を遊軍として敵の右翼と左翼に展開させてください。八門金鎖の攻略中にこちらを別働隊が攻撃して来ないとも限りません」
「よし! 分かった。軍師の指示通りに動こう。姜美殿、すぐに動けますか?」
「無論です。私の槍術と鉄騎兵で面妖な陣形なぞ打ち破って見せましょう」
相変わらずクールに答えた姜美は、宵に微笑むと身軽に梯子を降りていった。
「軍師よ。礼を言うぞ。お前がいなければ、徒に出撃し無駄な犠牲を出すところであった」
「お礼を言うのは勝ってからにしましょう、李聞殿」
宵は思わずニヤける口元を羽扇で隠して言った。
「そうだな。では、俺は成虎と龐勝に命を出して来る。お前は部屋で劉飛麗と共に茶でも飲んでいろ」
そう言うと李聞は宵を残し、さっさと梯子を降りていってしまった。
1人櫓の上に取り残された宵。戻れと言われたが、二度とお目にかかれないだろう八門金鎖の陣をしばらく眺める事にした。
これが戦争でなければどんなに良いか。
宵は櫓の手摺に肘をつき、そんな事を考えた。
***
八門金鎖の陣の中央、龍眼には、将軍・徐畢が、筋骨隆々の身体に金銀の装飾の施された派手な鎧を纏い、兜には孔雀の羽根で作られた長い触覚のよう飾りである色鮮やかな翎子を揺らし、自分の敷いた美しい陣形に酔いしれていた。
「実に美しい。これこそ私が求めていた美だ! これ程までに美しい陣形を教えてくれた光世嬢には感謝しないとな」
指揮台の上で1人呟く徐畢の丸太のような太さの両手には真っ赤な旗が握られている。
厳島光世が伝授した八門金鎖の陣は、短期間の調練でほぼ形になった。徐畢が指揮官に選ばれたのはその吸収力の良さと圧倒的な統率力、そして個人の武術の実力の高さからだ。陸秀の部下で最も有能な将軍である。
陸秀同様に、つい数ヶ月前まで、南方の箭匈という異民族討伐に出て、6万の箭匈の弓騎兵を半分の3万で打ち破り帰順させた。その功績を認められ、今回の東征の先鋒部隊に配属された猛将である。
「太鼓を鳴らせ!!」
右手の赤い旗を振り上げると、太鼓が打たれ始めた。
同時に兵達が太鼓の音に合わせて声を上げ敵を威嚇する。
太鼓は大地を揺らし、兵の喊声は血を滾らせる。
しばらくすると、閻軍の陣営から騎兵が大勢飛び出して来た。
徐畢はニヤリと不敵な笑みを浮かべると、また赤い旗を振り上げた。




