明白な危機、私、死ぬかも
どれくらい走ったのだろうか。
まだ月は空にあり、時折雲に遮られて手元さえも見えなくなる。
馬が止まったのは、明かりの灯る広大な平野の真ん中に造られた軍隊のキャンプのような場所。
宵をここへ連れて来た男達と同じ格好の人々が槍を持ち、あちらこちらに立っていたり、歩き回ったりしている。資料でしか見たことのない幕舎が連なっており、どこからどう見ても、それは軍隊の野営だ。
この場所の明かりも、やはり松明に灯された火だ。ライトのような電気を使った機械は見当たらない。
宵は馬から下ろされると、両手を縛られたままの状態で男2人に前後を挟まれる形で、その陣地の中を歩かされた。
どう見ても日本の文明ではない。しかし、言葉は日本語なので外国というわけではないだろう。陣内を歩き回りながらこの場所の情報を少しずつ集めようとするが、やはり何も分からない。薄々感じているのは、この景色が宵の好きな三国志の世界観に酷似しているということだ。
「あ、あの、ここは何処なんでしょうか?」
前を行く男に先程は答えてもらえなかった質問をもう一度投げかける。
「廖班将軍の本営だ」
「廖班……将軍?」
聞いた事のない名前に宵は小首を傾げる。名前の雰囲気的に中国人のような気がする。ただ、そもそも、聞きたいのは今いるこの場所というよりは、何県何市なのかと言う事だ。
「お前、本当に何も知らないのか? 何者なんだ?」
「おい、話は廖将軍にお会いしてからにしろ」
宵の背後の男が口を挟む。この男は規則に厳格なようだ。
あまり逆らって酷い目に遭うのも嫌なので、宵は黙って歩く事にした。
到着したのは、今まで通り過ぎて来た中で最も大きな幕舎。宵は2人の男に連れられその中へと入った。
幕舎の中には数人の鎧の男達が椅子に座っており、宵が入ると皆一斉にこちらを見た。
「報告します! 敵地の偵察中に蒼砥の森の中にて怪しい女を捕らえました」
宵の前にいた男が幕舎の奥の席に座っている鎧を着た男に言うと、宵の膝裏を蹴ってその場に跪かせた。
「女?」
奥の席の男は眉間に皺を寄せて宵を興味深そうに見る。おそらくこの男が廖班将軍なのだろう。見たところ、将軍にしてはかなり若い。20代半ばといったところだろうか。
「それと、この女が持っていた竹簡です」
宵の後ろにいた男が竹簡を差し出すと、廖班のそばに座っていた男が立ち上がり、竹簡を受け取り封を解くと廖班に献上した。
「何だ、何も書いていないではないか。どういう事だ? 仕掛けがあるというのか?」
「え!? あ、違うんです。それは最初から何も書いてありません……えっと……メモ用です」
何も書いていない竹簡を持っている事の正当性を説明する為に、宵は咄嗟に嘘をついてしまった。が、本当の事を言ったところで信じてはもらえないだろうし、話をややこしくするだけだろう。
「まっさらな竹簡を持っているにも拘わらず、何故かこの女、筆を持っておりませんでした」
宵の後ろの厳格男が余計な事を言う。
「怪しい奴だな。李聞。この竹簡を調べろ。密書かもしれん。お前達はもう良い。下がれ」
廖班はそばの男に竹簡を渡すと宵を連れて来た2人を下がらせた。
宵は両側に列を作って座っている男達に睨まれながら取り残された。
宵の心臓は今にも破裂しそうな程ドクドクと早く脈打っている。
これは三国志のドラマで見た光景そのままだ。これが何かの撮影でないのなら、きっとこの後首を斬られる。
「さて、女。貴様何者だ? 賊の仲間か?」
廖班は宵の前に出て来て腰を下ろし顔を覗き込む。
「違います。わ、私は瀬崎宵。気が付いたらあの森にいたんです。ここが何処なのか、何故あの場所にいたのか、私にも分からないんです」
「なるほど。嘘をつくならもう少しマシな嘘をつくんだな。セザキヨイ? 妙な名だ。それに、その格好も見た事がない。もしや他国の間者か?」
「……他国……あの、ここは日本ですよね? 何県の何市ですか?」
「ニホン? 貴様本当に他国の者か? それにしてはこの国の言葉が堪能だな。ここは閻帝国、葛州高柴郡の西、陸石県」
全く聞いたことのない地名が並べられた。ただ、その国名や地名はやはり三国志っぽくはある。ぽいだけで、実際は過去にも現在にも閻帝国という国は存在しない。つまり、どういう事だ? 考えられる事は1つ。“異世界”。実は初めからその可能性もあるのではないかと思った事もあったが、一番有り得ない考えだったので、その考えは排除しようとしていた。しかし、もはやこの状況は“異世界転移”という事でしか説明が出来ないだろう。言葉が通じているというのが何よりそれっぽさを出している。
ここが異世界だとしても、宵が知っているライトノベルなどの異世界転生・転移ものとは毛色が違う。あれは確かほとんどが西洋風の異世界に行く。だが今目の前にあるのはどこからどう見ても中華風の世界だ。そのせいで、にわかには異世界だと信じられない。
「廖班将軍。どうやらこの竹簡、特に仕掛けなどはなさそうです。何の変哲もないただの竹簡ですな」
竹簡の調査を命じられていた李聞という男が言った。この男は廖班と違ってそれなりの歳だ。40後半から50前半といったところだ。
「あの、廖班将軍、私はどうなるんでしょうか?」
「貴様の正体が分からない以上、ここから返すわけにはいかんな。本当の事を答える気もなさそうだ。殺してしまってもいいが、拷問して情報を引き出すのが先だ」
“拷問”という言葉に宵の恐怖は最高潮に達した。何とか上手いこと言い訳を考えなければやはり殺される。しかし、異世界転移など廖班達が信じるはずもないし、何より宵自身も半信半疑だ。説明しても無駄であろう。とにかく、時間を稼いでこの場から逃げ出す術を見付けるしかない。
「廖班将軍、私、本当に記憶がないのです。お願いです。どうか命だけはお助けください。何でもしますから」
宵は三国志のドラマで見た事のある中国式の礼儀を示す“拱手”をし、そして、頭を下げた。
「ほう、何でもするとな。だが、女に出来る事など、戦場では兵達の慰みものくらいだ。それに得体の知れない女を使うなど有り得ん。誰か! この女を牢に入れておけ。賊を退けたらこの女の尋問をする。それまで絶対に外に出すな!」
廖班の無慈悲な命令に、幕舎の外から入って来た兵士に、宵は引きずり出された。
──嗚呼、全然上手くいかなかった。私は何をやっても上手くいかない。
宵は涙を流しながら別の幕舎の中の牢へと連行された。




