私が忌避した戦場へ
廖班軍が麒麟浦まで撤退を完了すると、李聞へ張雄が損害の報告をしにやって来た。
歩兵の損害が3百人強。途中、費叡の援軍が来てくれなければ、さらに損害が増えていただろう。
李聞は張雄に武器と兵馬を整させ、その後兵に休息を与えるよう指示を出すと、先程援軍に来てくれた将軍を探した。
その将校は幕舎の中で廖班と話をしていた。
小柄で華奢なその体躯は、軍の将校の中で一番若い成虎よりも小さい。
「先程は危ないところを助けて頂き感謝致します。私がこの軍の総指揮官、廖班です」
廖班は口調こそ丁寧だが、上座に座り、その小柄な将校に対し尊大な態度をとっている。
「私は費叡将軍の副官の姜美と申します。お見知り置きを」
姜美は礼儀正しく拱手した。
「ところで、先程敵の砦を東西から攻めていましたが、何故東門を集中的に攻撃していたのですか?」
「ああ、あれは東門を攻めるように見せかけて、敵を東門に集めた後、手薄になった西門を突破する策だったのです。思いのほか景庸関からの援軍の動きが速く失敗に終わりましたが」
「それは、どなたの献策でしょう?」
その質問に廖班は一瞬目を泳がせた。
「無論、この私です」
「ほう。では、汐平での策は?」
「あれも私です」
「成程。然らば何故、そのような素晴らしい知恵を持ちながら、汐平で撃退するまでの長期間、多大な犠牲を出しながら賊共に好き勝手やらせていたのでしょう?」
「そ、それは……それまで良い策が思い付かなかったのです」
「でしたら、今はどうでしょう? この後、貴殿はどう動きますか? あの敵の砦を、どのように落としますか?」
姜美は東に見える砦を指さして廖班を問い詰める。
「まだ……次の策は考えていません」
「それは残念です。貴殿が本当に奇策を用いる事が出来る有能な将軍であれば、私は費叡将軍に報告し、征東将軍の位と、更には高柴太守の座を与えて貰おうと思っていたのですが……」
「ま、真ですか!? ならば、しばしお待ちください! こ、これから砦攻略の策を考えます!」
「どれくらい待てば良いでしょう?」
「そうですね……3日もあれば……」
「3日?? 3日もかかるのですか? 3日もあれば、あの砦は防備が強化され、兵が増員されますよ?」
姜美は呆れたように深い溜息をついた。
「廖班将軍。費叡将軍は隠し事がお嫌いです」
「な……何を仰る? 隠し事? 一体何の事やら」
「あくまでシラを切るのですね。本当に貴殿に才があるのなら、3日などと言わず、今日中に策を出し、対応するべきでは? それが出来ないのなら、即刻、軍師をここに呼んでください!」
「な、何を馬鹿な事を。軍師? そんなものはおりません。……こちらが下手に出ていれば、先程から費叡将軍の配下というだけで偉そうに。其方は将軍ではないだろ? 随分若く見えますぞ?」
「私は中郎将。将軍ではありません」
「その若さで中郎将とは大したものだが、俺よりも下ではないか!」
悪い癖が出た廖班を李聞が慌てて止めに入る。
「廖班将軍。中郎将とは言え、費叡将軍の武将です。無礼な態度はおやめください」
「無礼なのはこいつだ!!」
だが、熱くなってしまった廖班には、李聞の諌言は届かない。
「では、3日お待ちしましょう。言っておきますが、私を欺く事は費叡将軍を欺くも同じだという事をお忘れなきよう」
姜美は顔色一つ変えずそう言って拱手すると、踵を返し幕舎から出ていった。
「廖班将軍! 何故軍師の存在を隠し通すのですか。宵は正式に我が軍の軍師。姜美という者は明らかにその存在に気付いております。万が一後で宵の存在が知れたら、廖班将軍の地位が危ぶまれますぞ?」
「黙れ! 宵の手柄は全て俺の手柄。あんな得体の知れぬ小娘など、本気で重用するものか。閻帝国の勝利と、俺の出世の為に利用するだけだ!」
「廖班将軍!!」
李聞の言葉を無視し、廖班は竹簡に筆で今の戦況と宵への命令を綴った。
「誰か!」
廖班が呼ぶと、幕舎の外から兵士が入って来た。
「すぐに軍師にこの書簡を届け、次の策を考えさせろ! 3日以内だ! 遅れれば軍法にて裁く!」
廖班から竹簡を受け取ると、兵士はすぐに幕舎から出ていった。
「廖班将軍! 貴方に人の心はないのですか!?」
「無駄だ。俺の考えは変わらん。下がれ!!」
廖班の無慈悲な命令に、怒りに震えながら李聞は幕舎を後にする──が、幕舎の入口で、李聞は姜美と鉢合わせた。
「廖班将軍。これは、どういう事でしょう?」
姜美の手には、先程廖班が自ら認めた宵への命令である竹簡が握られていた。中の文面を見せ付けるように、李聞を押し退けて廖班のもとへと歩み寄る。
顔面蒼白の廖班の前の卓に堂々と立つ姜美。
「貴殿は費叡将軍を欺いた」
「違う! これは……その」
「もう言い逃れは出来ないでしょう。今、正直に話せば、貴殿の罪を見逃す事も出来ます。どうでしょう? 廖班将軍。私の望みはただ1つ。軍師をここに呼んでください」
廖班は「くそっ!」と声を上げると、悔しそうに卓を叩いた。
***
瀬崎宵は自室で無心で琴を弾いていた。
琴など元の世界で中学生の時に少し授業で触った程度で本格的に学んだ事はない。
けれど、娯楽の少ないこの世界では、音楽くらいしか心を休ませるものがない。
幸い、劉飛麗は琴を嗜んでいた。それも相当な腕前だ。劉飛麗の完全無欠のスキルは留まる事を知らない。
兵法しか取り柄のない宵とは大違いだ。
そんな劉飛麗にストレス解消に良いと琴を勧められとりあえず弾いてみた。確かに、三国志でよく諸葛孔明が琴を演奏している描写がある。羽扇に琴。ならば今度はあの四角い帽子が欲しいかも──そう思ったが、宵の琴の腕はド下手。リズム感とかそういうものが欠如している。確かに元の世界でも音ゲーは下手くそだった。
早くも泣きそうになりながら、宵は劉飛麗の優しい手解きのもと、琴の弦を細い指先でビンビンと弾いた。
「気を紛らわせて頂こうと思い勧めさせていただきましたが、やはりお辛いですか?」
劉飛麗が気を利かせ、涙目の宵に優しい口調で尋ねる。
「そう……ですね。やっぱり戦場の皆さんが心配です。私の策がちゃんと上手くいったかどうか……。それに、間諜の清華ちゃん達からも連絡ないし……すごく、胃が痛いです」
「確かに、戦場や敵地に行った者の安否は気にはなりますね。それが自分の指示によっての事なら尚更。ですが、その事を四六時中気に病んでいたら、宵様の胃がいくつあっても足りません」
「胃がいくつあっても……」
宵は自分の腹に手を当てクスリと笑った。
「音楽では気が紛れぬなら、宵様が好きそうな男性をご紹介いたしましょうか? たまには一晩殿方とお過ごしになるのも宜しいかと」
「え!? 何言い出すんですか?? 結構です。興味ありません」
「あら、そうでしたか。……不躾な質問かとは思いますが、鍾桂様の事はどう想われているのですか? あの方には身体を許しているようでしたので」
「許してませんけど」
「ですが、わたくしにはかなり親しく見えました」
「鍾桂君は……」
宵が答えようとした丁度その時。
兵士が1人、大慌てで宵の部屋に飛び込んで来た。
「申し上げます! 廖班将軍よりご命令です! 『砦の攻略に失敗した。至急麒麟浦の陣営まで来るように』」
「え!?」
失敗。その言葉が宵の心に突き刺さった。
宵の策が通じなかったのか。失敗とはどのように失敗したのか。混乱する頭の中を必死に整理して、宵は兵士に質問する。
「失敗って……私が授けた策を用いての失敗ですか? 兵の損害は?」
「はい。軍師殿の策を実行しましたが、敵の景庸関からの援軍が迅速で、砦の包囲を破られました。損害は3百人余り」
「3百人も……亡くなった……」
自分の策が未熟なばかりに3百人もの犠牲が出てしまった。汐平でのトラウマが宵の胸を引き裂く。
「李聞殿は? 指揮官の方々に犠牲は?? 鍾桂君は!?」
「李聞殿はご無事です。指揮官に犠牲はありませんが、鍾桂……という人物は存じ上げません」
宵は無言で数回頷くと、兵士を下がらせた。
「宵様お気を確かに。戦で人が死ぬのは避けられない事です。殺し合いをしているのですから」
放心状態の宵を気遣って劉飛麗が声を掛ける。
また宵は無言で頷く。
混乱する頭の中を整理しなければならない。今何をすべきなのか。
廖班が宵を呼んでいる。麒麟浦の陣営に来るようにと。単純に考えれば、宵に直接敵の状況や地形等を見させて献策させるつもりなのだろう。遠隔地との書簡のやり取りでは時間がかかり過ぎるし、実際に戦場を見ないでした宵の献策が失敗に終わったのだからその命令はおかしくはない。
或いは、その咎を責められ罰を与えられるのかもしれない。
「飛麗さん、私、どうしよう……」
「宵様がどうすべきかは、ご自身で判断なさってください。わたくしは、一介の下女。軍師様の職務に口出しは致しません」
思いのほか冷たい返答に宵は肩を竦める。だが、劉飛麗の答えは全くもって正論だ。
「ただ……」
「ただ?」
「宵様が行かれるのでしたら、わたくしは何処へでもお供致します。宵様のおそばに居る事が、わたくしの役目ですから」
劉飛麗は微笑んだ。
私生活では宵を甘やかしてくれる劉飛麗だが、軍事的な事には一切口を出さない。それは下女という立場上当たり前の事なのだが、その冷たく感じる程の距離感は、まるで、宵に軍師として成長させる目的も孕んでいるのではないかと思えた。
「行きます。私、行きます」
宵が決心してそう告げると、劉飛麗は頷き立ち上がった。
「馬車の手配を致します」
そう言って部屋を出た劉飛麗を見送ると、宵はおもむろに卓の上の祖父の竹簡を手に取り、久しぶりに開いてみた。
だが、その中身を見た宵は目を疑った。
「……え……何……これ?」
何も書いていない筈の竹簡に、バラバラと文字が書かれていたのだ。適当に書かれていると思われる文字の数は10。竹簡の端から端までの間に散らばっているだけで意味は通らない。
元々書かれていた内容でもなさそうだ。
この竹簡に触れるのは宵と劉飛麗しかいない。ならば、劉飛麗が書いたものなのか。
何にせよ、この竹簡が元の世界へ帰る為の鍵だという推理は大方間違ってなさそうだ。




