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吾が間をして必ず索(もと)め知らしむ

 総勢2万の軍勢が高柴(こうし)を出立した。

 廖班(りょうはん)張雄(ちょうゆう)の性格は軍を率いる上で心配だが、李聞(りぶん)がいれば上手くやってくれるだろう。

 成虎(せいこ)龐勝(ほうしょう)もしっかりとした将校だったので心配はない。

 宵は自室で竹簡に孫子の『用間篇』の一文を記し、その後に実際の情報をこちらへ持ち出す方法などを細かく記した。短い内容なので今度は歩曄(ほよう)甘晋(かんしん)、そして清華(せいか)の分の計3巻を作った。

 宵は筆を置くと、ずっと隣に座って興味深そうに作業を覗いていた清華に語り掛ける。


「いい? 兵法には『必ず先ず其の守将、左右、謁者(えっしゃ)門舎(もんじゃ)舎人(しゃじん)の姓名を知りて、吾が間をして必ず(もと)め知らしむ』とあるの。だから、清華ちゃんはまず、敵の指揮官の屋敷に下女として潜り込む。そこで、指揮官の側近、取次、門番、従者の名前、履歴、性癖、境遇を調べて、その人達の動きを観察する。そこから何か情報があれば私に報告する事」


「凄い! 兵法って、そんな事まで載ってるんですか? 軍師様、間諜のお仕事終わったら兵法教えてください!」


「え? 興味あるの?? 教える教える! むしろ教えさせて!」


 歳の近い女の子が兵法に興味を持つ事は珍しい。春秋学院大学しゅんじゅうがくいんだいがくの兵法学科には女子はほとんどいなかった。武経七書(ぶけいしちしょ)ゼミに至っては宵と厳島光世(いつくしまみつよ)の2人だけだ。故に清華の申し出は飛び上がる程に嬉しい事だった。



「宵様。歩曄と甘晋の観察の状況を御報告致します」


 丁度その時、扉が開き、劉飛麗(りゅうひれい)が顔を覗かせた。


「飛麗さん、ありがとうございました。座ってください。清華ちゃんお茶淹れて」


 宵は任務を終え戻って来た劉飛麗に(むしろ)の座布団を差し出した。その間に、清華はキビキビと目を見張る手際の良さでお茶を2人分淹れた。流石、劉飛麗に下女の仕事を教わっただけはある。


「どうでした? 歩曄殿と甘晋殿は」


「宵様の見立て通り、2人はまさに忠義の者でした。宵様の部屋を出た後、2人は共に兵舎へ戻り、楽衛(がくえい)様の許可のもと書庫に籠りました。そして、今しがた寝付くまで勉学に励んでおりました。わたくしがこっそりと2人の読んでいた書物を確認したところ、朧国(ろうこく)の情報や間諜についてのものでした。2人に間諜を任せて問題ないかと」


「そうですか。良かった。飛麗さん、これで私の不安は拭えました」


「それと、余計な事かもしれませんが」


「まだ何か?」


「歩曄と甘晋の素性を調べました。2人は閻の出身で、歩曄は芙州(ふしゅう)、甘晋は橙州(とうしゅう)にそれぞれ家族がおり、万が一任務が失敗して彼らが敵に捕らえられても、彼らの家族に危害が及ぶ恐れはないでしょう」


 劉飛麗の有能さに宵は驚嘆した。確かに間諜の者が捕まり、拷問されても口を割らなかった場合、その者の家族を人質にして口を割らせようとしてくる可能性も十分に考えられた。それを宵は思い付かず、素人の筈の劉飛麗が先に気付き手を打ってくれた。軍師として恥ずべき見落としだが、それ以上に劉飛麗が本当にただの下女なのかと思わずにはいられなかった。


「ありがとうございます、飛麗さん。私はそこまで気が回らなかったです。では早速明日、歩曄と甘晋に任務の詳細を言い渡します」


 宵が笑顔で言うと、劉飛麗も笑顔で拱手した。


 ♢


 翌日の昼。宵は自室に歩曄と甘晋を呼んだ。

 上座に座る宵の前に2人が直立している。その隣には清華も立っている。


「軍師殿。まさかとは思いますが、この娘も間諜の任を?」


 歩曄が眉間に皺を寄せて訊く。


「はい。清華は下女として朧国に侵入します」


 歩曄も甘晋も驚いてはいるが特に異論は挟まなかった。


「では、これより改めて命を言い渡します」


 宵が緊張しながら言うと、3人は襟を正した。


「清華に命じます。貴女は下女に成りすまし、朧軍の最高指揮官の屋敷に潜り込み情報を探りなさい」


「承知致しました」


「歩曄に命じます。朧軍の兵士に成りすまし、敵の将軍・陸秀りくしゅうの麾下に潜入。敵の兵力、武器、兵糧、指揮官の性質、そして攻撃目標、行軍経路、作戦等をこちらに報告しなさい」


「心得ました」


「甘晋に命じます。朧国の商人に成りすまし、清華、歩曄の集めた情報を私のところへ届けなさい」


「御意」


「詳しい連絡手段はこの竹簡に記しました」


 宵が卓の上の3巻の竹簡を取ると、それを劉飛麗が回収し、1人1人に手渡した。すぐに3人は竹簡を開き内容を確認する。


「半刻 (1時間)、時間を与えますのでその間に内容を覚えてください。その後竹簡は燃やし、出立の準備をして日没前には3人で高柴を出なさい」


「御意!」


 拱手した3人は部屋から出ていった。


「宵様。随分と軍師の風格が出て参りましたね。(えん)の未来に希望が見えて参りました」


 劉飛麗が上品な笑みを浮かべて言った。


「そうですか? ありがとうございます。気丈に振る舞わないと、清華ちゃんに怒られちゃうので」


「宵様はこの短期間で、清華と随分打ち解けたようですね。それは微笑ましい事ですが、あまり情を移し過ぎない方が良いですよ? 確かに、わたくしは清華なら大丈夫だと申しましたが、万が一という事もあります。間諜に選んだ以上は、最悪の事態(・・・・・)も想定なさってくださいませ」


「あ……はい……」


 劉飛麗の言う事は尤もだ。敵国に間諜として送り込む以上、100%大丈夫という事はない。あまりに的確な指摘に、宵は溜息をつき、肩を竦めた。


 ♢


 荷物を背負った清華は1人中庭の砂利の上の火を眺めていた。

 燃えているのは先程渡した竹簡だ。


「清華ちゃん」


「あ、軍師様。完璧に内容覚えましたよ? わたくし、結構頭いいかもしれませんね」


 無邪気な笑顔を見せる清華。その笑顔を見て、宵は初めて清華を敵国に送り込む事を認めてしまった事を後悔した。

 もっと話したかった。下女としてそばに置いておけば良かった。宵と劉飛麗と清華。戦がなければ3人で楽しく暮らす事が出来たかもしれない。

 目頭が熱くなるのを感じながら、宵は口を開く。


一月(ひとつき)二月(ふたつき)では終わらない長い任務になると思うけど、ぜっったいに死んじゃ駄目だからね? 無理だと思ったら帰って来ちゃってもいいからね?」


「大丈夫ですよ。心配し過ぎ……って、軍師様、もしかして泣いてます?」


 首を傾げる清華。宵は首をブンブンと横に振った。


「泣いてないよ……」


「はは! まだこの世にあたし(・・・)の為に泣いてくれる人がいてくれたなんて嬉しいな。だったら益々死ねないなー」


「だから……泣いてないってば。心配は……してるけどね」


 鼻をすすりながら答える宵。涙は確かに流していない。目が潤んでいるだけだ。


「それでは行って参ります。軍師様、劉さん。見送りは結構です。密書いっぱい書きますねー!」


 元気よく手を振り走り去る清華。

 その元気いっぱいの後ろ姿を宵は劉飛麗と共に見送った。


「行きましょう。宵様」


 いつまでも動かない宵の肩に、劉飛麗の綺麗な手が置かれたが、それでも宵は清華の小さくなっていく後ろ姿を最後まで見送った。

 これで親しい人を見送るのは二度目だ。





 ***



 宵が間諜を放ってから2日後。


 巴谷道(はこくどう)の手前に成虎(せいこ)龐勝(ほうしょう)の部隊は布陣した。部隊の編成は、騎兵5百、歩兵3百の計8百。

 辺りは日も落ちて真っ暗。天空の月も星も雲に覆われ姿を見せない。兵達が持つ松明の炎だけが明かりを持ち、断崖に挟まれた道を照らし出す。

 その道からは物音一つせず、不気味な程に静まり返っている。


「どうもこの道は怪しい。伏兵の臭いがする。全軍、椻夏(えんか)方面へ迂回するぞ!!」


 成虎は手筈通り大声で号令をかけると、進路を南へと向けゆっくりと行軍を開始した。


 成虎部隊が3里程進むと、背後から兵達のざわめきが聞こえてきた。


「敵襲! 敵襲!」


 成虎が振り向くと、巴谷道から追って来たと思われる敵の歩兵がバラバラと迫る。


「よし! 軍師殿の読み通りだ。我々の方が寡兵だと知った間抜けな兵共が、手柄欲しさに罠に掛かったぞ! 良いか、皆の者! 敵を引き付けながらこのままさらに前進せよ!! 決して追い付かれるな!!」


 成虎の号令で8百の兵達は敵と適度な距離を保ちながら椻夏方面へ南下した。

 そして、2里程進んだ頃、ピタッと敵の追撃が止まった。


廖班(りょうはん)将軍の本体です! 敵の後方に突撃した模様!」


 歩兵部隊を率いていた龐勝が叫ぶ。


「全軍反転! 敵を挟撃する! 騎兵部隊突撃ー!! 歩兵部隊は騎兵部隊に続けーー!!」


 成虎の迷いのない号令で騎兵部隊はすぐさま反転。歩兵部隊は左右に分かれ、騎兵部隊の通り道を速やかに開ける。追撃して来た敵の先頭部隊へ勢い良く騎兵が突っ込んでいく。既に廖班部隊の背後からの奇襲で混乱していた千人余りの敵部隊は、大した抵抗も出来ずに、成虎と廖班の挟撃によって瞬く間に壊滅した。


「成虎殿、殲滅が完了しました」


 馬で駆けて来た血塗れの龐勝がそう報告した。

 それはほんの僅かな時間だった。戦闘が始まってまだ半刻 (1時間)程も経っていない。


 軍師・瀬崎宵(せざきよい)の“調(はか)って虎を山から離すの計”は、武将達の忠実な働きにより、見事成功を果たしたのだった。

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