就活と三国志と兵法と
真新しいリクルートスーツに身を包み、何十社もの企業の面接を来る日も来る日も受けて回る大学4年の夏。
見栄えだけを気にした慣れないヒールの高いパンプスは、長時間徒歩で移動するのには向いていないと痛感する。
しかし、そんなに一生懸命企業を回る生活を続けても、彼女が一次面接を突破出来たのは、今日受けたサービス業界大手の企業を入れて3社。大抵はエントリーシートの段階で不採用となり、家には敗戦の通知書が20枚以上は溜まっている。そこには、二次面接を受けることが出来た2社からの敗戦通知も含まれている。ちなみに今日の企業もかなり手応えが悪い。
同じゼミの友達は皆複数社から内定を貰ったと聞く。まだ1社からも内定が貰えていないのは彼女、瀬崎宵ただ一人だ。
宵は肩を落とし、涙目で真っ直ぐ帰路につく。明日はまた別の企業の面接がある。しかしながら、毎回毎回その志望動機を考えるという作業が物凄く億劫だった。もとより宵は就職する事が不本意だった。本当は就職ではなく、大学院に進学して勉強がしたかったのだ。
瀬崎宵は、都内の私立大学『春秋学院大学』の歴史学部、兵法学科の4年生で、『武経七書研究』というゼミに所属している。世間一般で言う『歴女』であるが、その興味は歴史そのものよりも、軍隊が戦争で用いる『兵法』に向けられており、大学4年間はその研究に没頭した。中でも、現代で最も有名な古代中国の兵法書『孫子』をこよなく愛し、その原文を暗唱出来るほどには熟知している。
『孫子』はその内容から、現代社会にも応用出来る部分が多く、多くの政治家、起業家、サラリーマン、そして、宵のような就活生にも親しまれており、現在は数多くの解説本が出版されている程知名度が高い。きっと宵が本気を出し孫子のノウハウを就活に応用すればこんなに苦戦する事もないだろう。
だが、宵はそれをしなかった。
宵の場合、孫子を現代社会で用いる為に学んだのではなかった。孫子本来の目的である軍隊との戦争を想定した側面での研究こそが宵の興味の向くところ。
それ故に高校の同窓会に行った時には、当時の友達から「お前は戦国武将か」とか「兵法オタク」などと言われ揶揄われたりもした。
何故兵法に興味があるのかと言うと、それは紛れもなく今は亡き宵の祖父、瀬崎潤一郎の影響だった。
宵の祖父は、かつて三国志の研究者として大学で教鞭を執っていた。その三国志研究の延長線上で孫子にも触れていたようで、宵の家の祖父の部屋には、今も大量の三国志や孫子関係の研究資料が眠っている。
宵が物心つく頃には祖父は大学の教授としての仕事は引退していたが、学生に教える楽しさを忘れられなかったのか、孫娘である宵に昔話の代わりによく『三国志演義』を話してくれた。
『三国志演義』とは、史実に基づき陳寿によって記された『三国志正史』に脚色を盛り込んで物語にした羅貫中による小説である。我が国で三国志と言えば『三国志演義』を指すことが多いが、専門家である宵の祖父は『三国志正史』と『三国志演義』のどちらも熟知していた。もちろん、祖父の教えを受けた宵自身もそうだ。
幼い頃から慣れ親しんだ三国志を宵が好きになるのは自然の流れで、中学生になると自ら興味を持って三国志の話を読み漁り、この頃には祖父のように三国志の研究者になろうと決めていた。
孫子に出会ったのは高校1年生の時だ。祖父が三国志ではない書物を読んでいるのを見かけた。
「おじいちゃん、それ何読んでるの?」
「これかい? これはね、『孫子』と言って、春秋時代の兵法家、孫武という人物が記した兵法書だな。三国時代になって魏の曹操が編纂した歴史ある書物だ」
「え? 曹操が?」
不思議と三国志の主要人物である『曹操』の名が挙がった時、宵の胸は高鳴った。三国志でも名高い軍略家であり政治家であった曹操が関わった兵法書とは興味深い。高一の女子高生が興味を持つには些か珍しいかもしれないが、これが宵と孫子の兵法との出会いだった。