越えられない国境
「何っ、馬車に乗れないだと…!」
オレに降りかかった災難とは、乗り合い馬車の値上げだった。
「悪いねぇ、だんな。ボナールでの物価上昇で馬の飼料も高くなったし、加えて税金も高くなっているんだ。もともと、乗り合い馬車はボナール所属のものだから、モロに敗戦の影響を受けているんだよ」
「ランバラルド所属の乗り合い馬車は何故ないんだ」
乗り合い馬車の御者は答える。
「そりゃ、ランバラルドは困っていないからだろうよ。税金の高いボナールの商人はガンガン売って稼がなきゃなんねぇ。こちらからランバラルドへ行って行商をするから自然とボナールの馬車ばかりになる。ランバラルドは黙ってたってボナールから商品が売られて来るから、無理に乗り合い馬車を作ることもない」
そして、無情にも馬車は出発してしまった…。
なんてことだ…!
神父、あなたの言う事を聞いて、もう少し自分の手元にお金を残しておくんだった…!
旅程予算のギリギリだけしか残しておかなかったオレは、値上げした乗り合い馬車に乗れるだけのお金を所持していなかった。
呆然と立ち尽くしていても仕方ない。
お供は誰もいないんだ。
ひとりでこの状況をなんとかしなければ!
といっても、何もできんがな。
ボナールへ引き返し、本国へ送金を強請る手紙を書いたところで、金が着くまで待てる宿代もない。
歩いて森を抜けるしかあるまい。
馬車を急がせて丸一日かかる道を、歩いて行ったら何日かかるのだろうか…。
オレは関所の売店で、買えるだけのパンと水を買い、森の中に入って行った。
馬車が通る道をなぞって歩く。
体力には自信があったが、なかなかデコボコした道は歩きずらい。
休み休み進むが、慣れない山歩きで疲れてしまって、1日目は早くに寝ることにした。
この森は野生の山犬などの獣がいるはずだ。
大きな木の上に登り、枝をうまく使って体を横たえる。
寝相が悪かったら死ぬな、オレ。
パンとそこら辺になっていた果物しか食べられなかったオレの腹は、オーケストラのように賑やかだった。ええい、鎮まれオレの腹の虫。
熟睡できないまま、朝を迎えた。
もう一日、歩けばランバラルドに着くだろうか。
予定通り帰らないオレを心配して、コンラッドあたり迎えにきてくれないかな。
でもダメだろうな。寄り道して予定通り帰らないことなんてザラだからな。
日頃の行いを反省しつつ、今日も森の中を進んだ。
どれくらい進んだだろうか。日が暮れかかったところで、オレの後ろから人間の足音がするのに気がついた。
この感じだと二人組だな。
腰の短剣に手を掛けて、後ろを振り向いた。
「何者だ。コソコソ後をつけてないで出てこいよ」
オレの声が聞こえたからか、木の影からゴツい男がふたり、オレの前に現れた。
「なんの用だ」
ふたりを睨みつけると、丸坊主の男がオレの問いに答える。
「なに、悪いようにはしないって。有り金全部出してくれたらな」
ニヤニヤとする男の手には、剣が握られていた。
「金があったら森なんか歩くかよ。一文なしだ」
それを聞くと、もう一人の男がロープを出してオレに近付く。
「だったら兄さんに金になってもらうしかないな。元気な奴隷は高く売れるぜ」
「…奴隷の売買は禁止されているはずだが」
「法の抜け道なんていくらでもあるもんさ。ランバラルドで禁止されていても、海の向こうじゃまだ合法だ。ボナールの港から船に乗せちまえばわからんさ」
ロープを持った男がオレに突進してくる。
それを紙一重で交わすと、ハゲが剣を振り下ろしてくる。
「バカ、傷つけるなよ。腕がなくなったりしたら、商品価値が下がる」
「わかってるよ」
まいったな。
剣の腕に覚えはあるが、万が一の護身用の短剣しかない。
急所を狙って、なるべく一撃で仕留めるしかないな。
再度剣が振るわれるのを、短剣で弾き返す。
だが、そちらに気を取られている間に、足をロープですくわれる。転んで腕を強かに打ち付けたが、なんとかすぐに起き上がる。
ちくしょう。
利き腕ではないが、動かすと痛みが走る。
ふたり対ひとりではやはり部が悪い。
森の奥へと逃げながら反撃の機会を待つ。
木の影に隠れて様子を伺っていると、背後からいきなりロープで首を絞められる。
「うっ、ぐっっ!」
「兄さん、油断したな」
へっへっへ、と気色悪い笑い声が聞こえる。
苦しさを堪えて、短剣でロープを持つ腕を刺した。
「うぎゃあ!」
うまく骨を避けて貫通した。もう腕は使い物にならないだろう。
「このやろう!よくもやりやがったな!」
剣を持つ方がオレに切り掛かってくる。
避け切れずにオレの右足をかすめられた。
腿のあたりに熱を感じる。
出血をしているのがわかった。
あまりの痛さにその場に蹲ると、剣の男が近づいてきた。
その剣を振りかぶった隙をついて、男の足の甲に短剣を突き立てる。
「うぎゃあ!」
剣を取り落としたところを、駄目押しで男の脹脛に短剣を滑らせる。
もう、男は歩けなかった。
呻き声を上げる男を残して、オレは急いで逃げた。
右足を引きずり、痛む左腕をなるべく動かさないように、無我夢中で走った。
どれくらい走ったのだろう。
あたりはすでに暗くなり、オレの足はもう動かなくなっていた。
大きな木の幹に座り込む。
肩から下げていた鞄の中には、もうパンもなく、水も瓶の底に一口分くらいしか残っていない。
瓶の蓋を開けて、その一口を大事に飲む。
次に、ハンカチを取り出して足の傷口に巻き付けた。
ここは森のどの辺なんだろう。
何日くらい、不在にしてたら、ディリオンあたりはおかしいと気付いてくれるかな。
それまで、生きていられるかな。
オレは、真っ直ぐに前を向く強い瞳を思い出した。
誰のものだったか。
その瞳に、立派な王になると誓ったのに、守れないのかと思うと、胸が引き裂かれるようだ。
そのまま、オレは意識を手放した。




