ゴタンダ
伸びた葦と、元はおそらく防風林であったろう痩せ細り枯れて疎らな木々の間から大きな川が見える。川は強く乱暴にうねり流れ、ずっと昔からその姿を変えることがない。
ホームに吹く風は不規則に馴れ馴れしく軀に触れてくるようで、それで苛々が募る。階段を下り、狭く暗い湿った通路を低い天井のあちこちから滴る水を避けながら抜けて、下りた階段の数だけまた上がり改札を出るが、やはり人気はない。空は鉛のようにどんよりとして、空気がひどく湿っている。足下もぬかるんでいて、十歩もない路面電車の停留所までに、頭から足のつま先まで全身が濡れて重くなったような気がする。
路面電車の線路はすっかりと泥水に埋もれて、そこはもともと道路であるのに、電車は小さな飛沫をあげながらくねくねと走る。長い間この地から水の引くことがない。自動車はもう通らない。歩いているのは地元の住人だけである。訪れる者もいない。
一つめの停留所は駅の目と鼻の先で歩けば百メートル程の距離だが、足が濡れるのを覚悟で歩いたとしても、水に埋もれた足がどうなるかわからない。例えば幾匹ものヒルが張り付いているかもしれない。
路面電車を降りると目の前に雑木に覆われた丘があり、その木々の僅かな隙間にバラックがそれが当たり前であるかのように傾きながら幾つも建っている。こちらの雑木は葉が茂っていて、バラックに陽の光が届かない。もっとも空は年中厚い雲に覆われている。家の外は苔に覆われ、家の中は黴が繁殖している。それは推察にすぎないけども、ざらっとしたその人の気配だけが高い湿度とともに漂う。奥へ入り込んでいくのに置かれた足掛け用の石や木片もやはりびっしょりと濡れ、苔が生えていたりすっかり腐ってしまっていたりする。どうにも図ったみたいに他者を寄せつけない。
雑木の丘に入り込むのを止し、丘に沿って東へ歩いた。時々足を水に浸しながら、どれくらい歩いたか知れない。気付けば泥水に埋もれた道路の右側には何もなく、左に白壁のまだペンキの臭いまで残っていそうな新しい建物がある。光ヶ丘公民館という名前が白い木製の看板に手彫りされている。この地に余りに不似合いで、なにか異様でさえある。
公民館には地元の住人がいる。子供たちが三人走りまわり、一瞬でも普通の生活圏にいる錯覚を覚えるが、彼らの髪や服は汚れ皮膚も黒ずんでいる。老人ばかりが長椅子で或いはテーブルを挟んで喋っているけれど、それは会話ではない。誰もがめいめいに不明瞭で意味も感情もない言葉を発しているだけである。管理人が管理室に一人何も聞こえず何も見えていないように無表情な顔をして籠っている。それがガラス戸を隔て丸見えなのに管理人は気にしない。
公民館の先は坂で、また歩きだすとすぐに道にコンクリートが覗き、丘を大きく迂回するように北にカーヴし、坂を上がりきった頃、道の向こうに平野が拡がった。平野というか、特徴のない普通の町並みである。レゴみたいな家々と無秩序に張られた電線とそう高くもないビルと銭湯の煙突とそういったどこにでもある生活の風景が眼下に拡がって、それがどこまでも静かに凪いだ海のように北へ東へ西へと果てしない。