5「よしこさんの涙」
「やあやあよしこさん、今日もご機嫌麗しゅう。いいことでもあったんですか?」
「何よ、その喋り方。陽気すぎて気持ち悪い。いいことがあったのはあなたの方じゃないの?」
今日は金曜日。待ちに待ったよしこさんの登校日だ。空は薄く曇っている。屋上で話すにはベストなコンディションだ。日光が当たらないので日焼けの心配がない。時刻は三時ジャストで、生徒はほとんどが授業を受けていた。
「ふふふ。実はそうなんですよ。俺、この前のテストで100点とっちゃったんです。すごいでしょ?」
「……ふーん。それはすごいわね。おめでとう」
よしこさんはニコリともせずにそう言った。俺はその態度に若干ムッとしてしばし押し黙った。
「……あのね。私はあなたほど勉強ができるわけじゃないの。前にいったわよね。私があなたと同じテストを受けても、赤点を取らないでおくのが精一杯でしょうよ。ねえ、そういうこと言われても、嫌みにしか聞こえないの、わからない?」
「……それは」
確かにそうだ。彼女にとっては嫌味でしかないだろう。しかし俺はテストでいい点とったことを彼女に報告して、一緒に喜んで欲しかったのだ。俺のこの気持ちはどうなる?
「いいわよね。勉強できて。授業をサボって私と屋上で喋っていても、そんな点数取れるしね」
よしこさんは屋上の手すりにもたれかかって、一つ、ため息をついた。
「ごめんなさい。今のは私が悪かったわ。八つ当たりだったわね」
「……いえ、いいんです」
しばらく二人とも気まずくて黙っていた。校庭から野球をしている生徒たちの威勢のいい声が聞こえる。屋上の手すりには蜘蛛が巣を張っていて、そこにかかった蝶がむしゃむしゃと蜘蛛に食べられていた。
「……う、うっ、うっ……」
突然泣き声が聞こえたので、びっくりして振り向くと、よしこさんの両目から涙が流れていた。流れ落ちた涙は、地面に黒いシミを作っている。
「どうしたんですか、よしこさん。突然泣き出すなんて」
「……うっ、う、ごめんなさい……」
どうも泣き止みそうにないので、俺はよしこさんの頭をぽんぽんと撫でてやった。そうすると少しは落ち着いたようで、
「……ありがとう……」
と呟いた。それから彼女は語り出した。涙の理由を。
「突然泣き出してごめんね。驚いたでしょう? 私、たまにこういうことがあって……。なんだか、未来が怖いのよ。将来が恐ろしいの。成長するのが、嫌なの。安心できるのはいつも過去。思い出の中だけ。どれだけ嫌なことがそこにあっても、変わることはないから。ほら、私って金曜日以外不登校しているし、テストも受けたり受けなかったりだし、成績も良くないし。もう三年生だし? 将来のこと考えると絶望しちゃってさ。だからたまに悲しくて、自分が可哀想で、泣いちゃうのよ」
「そうだったんですか……。少し驚いたけど、俺は大丈夫です」
「そう」
「……あの、あんまり深刻になることないんじゃないですか。将来が心配だ、なんて俺も一緒ですよ。今が良くても、次の瞬間どうなっているかわからない」
よしこさんは、今まで見たことがないほど冷たい顔をして、俺を睨んだ。それは怒りだった。
「深刻じゃないはずないでしょう。私が悩んで悩んで悩みぬいていることを、軽く考えろというの? あなたは将来が心配なのかもしれないわ。でも、私は将来に絶望しているの。この違い、わかる? 一緒だと、本当に思う? いまが良くても、次の瞬間どうなっているかわからない。そうね。そうかもしれない。でも私はいまが良くないのよ。もう最悪なの。前もいったと思うけど、あなたは私のことを理解できないわ。少しもね。そしてあなたが私のことを理解しようとするたびに、私は傷つくのよ」
「よしこさん。俺は……ごめん……」
「いいのよ。気にしないで。でも」
今日は帰るわ。そう言って、よしこさんは校舎の中に入って行った。