12。
泣き腫らした目が、ぼんっとボリュームアップしていて恥ずかしい。
あれから、どうしたの何があったの、と店長が慌てて駆け寄ってきて、私は秋田さんの腕の中で顔を上げた。
ずっと、秋田さんの胸の中に顔を埋めていたので、鹿島さんがいつ帰っていったのかわからなかった。
「小梅、鹿島さんもう居ねえから」
秋田さんは私の顔を見て、「ひでー顔。洗ってこい」と言って、背中を優しく押した。
「お前が悪いんじゃねーぞ」
背中に声が掛かる。
秋田さんの、いつものちょっと荒々しい優しさに助けられながら、私はトイレへと駆け込んだ。
目が腫れて、パンダのようになっている。いや、これはパンダではない。メガネザル? か?
顔を洗ったけれど、ブサイクなのは変わらない。タオルを顔に押しつける。すると、またじわりと涙が滲んできて、涙はタオルの生地へとどんどんと吸われていった。
(彼女さんが……喜んでただなんて言ってたのは、きっと社交辞令だったんだ)
「……花束なんて、作らなきゃ良かった」
あの時。
怖くて鹿島さんの顔を見られなかった。
けれど心の中では、本当は。
私のことを、怒っているのかも知れないし恨んでるかも知れない。いや、きっと怒ってるし恨んでる。
(……もう買い物にも……来てくれないかも知れない)
涙が溢れた。涙がだだ漏れてくる両目を、タオルでこすった。悲しみで、潰されそうになる。ひとりでいるのが怖くなり、顔はパンダのままだけど、私は皆んなのいるレジへと戻った。
戻ると、心配顔の店長も多摩さんも、「小梅ちゃんは悪くないよ」と言って、肩を優しくぽんぽんと叩いてくれる。
人目を憚らず大泣きしたのもあってか、それから私は少しだけ、浮上できた。
こういう時、人の優しさに助けられるんだな。
「ありがとうございます。もう大丈夫、元気が出てきました」
両腕を上げてガッツポーズをする。瞼は重いし、頬も引きつれているのがわかるけれど、精一杯力を込める。
「ちょっと、冷凍の方に行って、冷やしてきます」
冷凍のショーケースの方へと向かうと、冷凍食品が所狭しと並べられているところに、顔を突っ込んだ。
冷気がふわっと顔を撫でていく。
(こんなんじゃ、真斗さんや隼人さんも心配するだろうな……)
モリタの閉店までに、この腫れた目がなんとかならないだろうかと思いながら、私は目を瞑って冷気を感じていた。
✳︎✳︎✳︎
あんなことがあって、こんなこともあって、とにかく鹿島さんはあれ以来、姿を見せなくなっていた。
(……彼女さんと別れて、きっと落ち込んでいるんだろうな)
手に持っていたポテトチップスを棚へと置く。足元の段ボールを足で右へとずらしながら、倒れていたコンソメ味を真っ直ぐに立たせた。
(もう、新しい恋人ができてたりして……)
多摩さんの言葉が蘇ってきて、私ははあっと溜め息を吐いた。
「ハイスペック」
よく出来た男。
(鹿島さんは、社長さんだし、運転手さんの須賀さんもいて、たぶん、っていうか絶対お金持ちだし、顔もカッコいいし、背も高いし、優しいし、優しいし、優しいし、)
段ボール箱から、のり塩味を取る。ガサガサと音をさせてコンソメの隣に並べる。
「小梅ちゃん、上がっていいよー」
どこからともなく聞こえてくる店長の声に、はーいと返事をしてから空になった段ボールを抱える。
(……今日も、来なかったな)
胸がぎゅっと苦しくなって、私は深呼吸をするように、深く息を吸った。
倉庫へと段ボールを投げ、レジへと戻りエプロンを脱ぐ。
その横に置いてあるメープル用の取り置きの商品を、カバンの中へ放り込むと、お疲れ様でしたーとなるべく明るく大きな声で叫び、そしてモリタを出た。
モリタとメープルは隣同士だ。
モリタの店長と、メープルの双子はどうやら飲み仲間でもあるらしい。結婚している隼人さんの家族とも、家族ぐるみの付き合いがあると聞いたことがある。
この商店街でまだ営業している店の中で、独身なのは私と真斗さんくらいなもんだ。
「結婚って、どんな感じですか?」
隼人さんに聞くと、こちらを見るやいなや面倒くさそうに眉をひそめて歪ませる。顔を戻し、持っていた中華鍋をガタゴトと音をさせながら、もう一度振り始めた。
無言が続くので、答えは返ってこないなと思い、カウンターに戻ろうとした時、ぼそっと呟くように言ったのが耳に入った。
「あったけえし、くすぐったい」
振り返って見ると、隼人さんはもう向こうを向いていて、出来上がったチャーハンを皿に盛りつけていた。
(あったかいっていうのはわかるけど……くすぐったいって、何だろう?)
カウンターへと戻り、真斗さんに尋ねると、「おまえぇ、やらしいこと訊くんじゃねえよっ。くすぐったいってのは、ほら、あれだ。布団の中でだなあ。いちゃいちゃしながらだなあ……いやいや、小梅にはまだ早いってのっ」
照れた顔で、お前にはまだ早いわっともう一度言いながら、デコピンを食らわせてくる。大した収穫はない。
期待はしていなかったけど。
それにしても、双子って。こうも似てないもんだな、と思ったものだ。
閉店後のスーパー モリタを後にして、そんな似ても似つかない双子が経営する、喫茶店兼飲み屋メープルへと、私はいつものようにドアベルを鳴らしながら入っていった。
頼まれていたアボガドと海老をカバンから出すと、真斗さんがいつものように賄いを出してくれた。カウンターのイスに腰掛け、隼人さん特製のピラフをスプーンで掬ったところで、注文が入る。
「小梅ちゃん、梅酒のソーダ割りちょうだい」
はあい、と返事をして振り返ると、そこに鹿島さんの姿を見つけて、心臓が口から飛び出るほど、びっくりしてしまった。
きっと口も顔もぽかんとしていたのだと思う。申し訳なさそうに頭を下げる鹿島さんの前に、スーツ姿の知らない男性がいるのをも見つけて、私も慌てて頭を下げた。
そして、くるっとカウンターに向かうと、真斗さんが梅酒のソーダ割りを作りながら、怪訝な顔を寄越してきた。
どうしよう、どうしよう。
頭も心もパニックだ。
いやいや、まずは謝らないと。
梅酒のソーダ割りを常連の正木さんのところに持っていって、その時正木さんと何を話したのかはもう忘れちゃったけど、とにかく挨拶しなきゃと思って、私は鹿島さんの近くへと寄った。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「うん、元気だよ。この前はすまなかったね。あれはその、君のせいじゃなくて。俺の問題だから、気にしなくていい」
気になって気になって仕方がなかったけども。
「ちゃんとそう言わなきゃいけないってわかっていたのに、その、勝手に帰ってしまって。ごめん。情けなくて……」
謝ってばかりの鹿島さんに、私はほっと胸を撫で下ろした。
(お、怒ってない、かも)
そんな気持ちも含めて、私は話を続けた。
「私、てっきりあの花束が原因だって思ってしまって」
「本当に違うんだ。あの花束は心がこもっていて、とても気に入ってたし、嬉しかった。花奈も喜んだんだ。それは間違いない」
(そうだったんだ、とりあえず……良かった)
こくっと私が頷くと、鹿島さんがそわそわとしながら、目の前のコーヒーを飲んだ。
「お、お友達ですか?」
鹿島さんの前に座っている男性は、これまた恰幅の良い、これぞ大人の男性、という雰囲気を醸し出していた。
「そうでーす。大同って言います。小梅ちゃんだね。初めまして」
鹿島さんよりも太く低い声。お腹の中に響いてきそうで、私は鹿島さんの声の方が好きだな、と思った。思ってから、うわ、と思い、慌てて、「鹿島さんには、隣のスーパーによくお買い物に来てもらってて。どうぞ、ゆっくりしてってください」と言った。
もうほんとに私ったら、ゲンキンなやつだよ。
「うん、よろしくー。じゃあ、ハイボール二つ」
「かしこまりました」
頭を下げて、カウンターへと戻る。ハイボールを二つ、真斗さんにお願いすると、途端に全身の力が抜けたようになって、足元からふにゃりと崩れ落ちそうになった。
少しだけ冷めてしまったピラフを目の前にして、イスに腰掛けた。スプーンを持つと、もりっと掬ったピラフを、ぐいっと口へと詰め込んだ。
真斗さんが、小梅っと叫びながら、慌ててグラスに水を汲んで渡してくれた。
「おい、慌てて食うな。喉につかえるってのっ‼︎ あーあ、ほらあ口についてんぞ」
真斗さんが口についたピラフを指ではたいてくれた。
(うわあ、どうしよう、恥ずかしっ。子どもかっ)
真っ赤になっているだろう顔を伏せて、手の甲で口を拭う。
けれど、もう会えないかもと思っていた鹿島さんを前に、何も考えることができない上に、考えたところでその考えもまとまらず、喉に詰まらせながらも私はそのまま、ガツガツとピラフをかき込むしかできなかった。




