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五、


ほんの気まぐれだった。


カラーとラナンキュラスの花束のお礼を言いたかったわけでもない。


取引先の社長の息子がバーを出店したと聞き、サツキフラワーへ開店花の依頼の電話をすると、皐月が「ちょっと寄ってくれない?」と言った。


「花は任せるよ」


『カタログががらりと変わったのよ。悪いけど、選んでもらわないと困る』


「めんどうだなあ」


『今度はちゃんと、お茶ぐらい出すから』


電話越しにくすくすと笑う皐月。


鹿島は、やれやれと思いながらも、仕事帰りにサツキフラワーに寄った。カタログから商品を選び、コーヒーを飲んでから店の外へと出ると、視界にスーパーが飛び込んできた。今日は閉店前の時間なので、客もまばらにいる。


(ちょっと、買い物でもしていこうか)


軽い気持ちで、自動ドアに立った。店内へと入ると、右手のレジに小梅が立っているのが見えたが、先に買い物と思い、店の奥へと進んでいった。


(こんな風に買い物するなんて、コンビニぐらいしかないからな)


そのコンビニさえ、一ヶ月ほど前のことだ。何を買ったらいいのか、迷いながらもビールの6本ケースを一つ、手にした。


(ワインはやはり、良いものは置いていない)


酒コーナーで見たことのないワインのラベルを前にして、鹿島は苦笑した。


(まあでも、ビールは国産ならどこで買おうが同じだからな)


ビールを持って店内を横切り、レジへと向かう。


レジは二列だったが、小梅の方へと並んだ。前に並んでいる客に話しかけているのか、笑顔を振りまいている。


(愛嬌のある子だ)


前へと進む。小梅は鹿島の顔を見つけると、ぱあっと笑顔を浮かべた。


「この前の、花束の人っ」


「あの時はありがとう。助かったよ」


「喜んでもらえました? 彼女さんに」


「ああ……すごく喜んでいたよ」


にこっと、笑顔で返す。


誕生日の次の日の朝、まだキッチンのシンクに横たえられていた花束を、鹿島は遠い目で見つめていた。仕方なく引き出しから花瓶を出すと、中に水をなみなみと注ぎ入れ、そして花束を入れた。


透明なガラスのシンプルな花瓶にラナンキュラスが色を添えて、とても美しかった。シンクに置いたまま、鹿島は当分の間、見つめていた。


そして結局。


花奈は花束を持って帰らなかった。


帰り際、「リングを忘れないで。ちゃんと深水さんに頼んでおいてくださいね」と言った。


子どもに言い聞かせる母親のような花奈の顔が、脳裏に浮かんでは消えた。


「とても気に入ってもらえたよ。ありがとう」


「良かったです。気になっていたんですよ」


ふふふと笑いながら小梅がビールのバーコードをレジへと通すと、鹿島は胸の内ポケットから財布を出した。


「クレジットカードで」


ブラックのカードを受け皿に乗せる。すると、小梅は眉を下げると、申し訳なさそうに言った。


「すみません、うち、カード使えないんです」


「え、あ、そうなのか?」


初めて断られた、そう思いながらカードを受け取ると、慌ててカードを仕舞った。仕舞っている間に、小梅が話し掛けてくる。


「いまどき、カードが使えないなんて、ですよねえ。本当にすみません」


「君が謝ることじゃないよ」


「ふふ、店長が頑固で、頑固で」


温和な店長の顔を思い浮かべる。


「え、あの店長がかい?」


「見かけに騙されちゃ駄目ですよ」


一万円札を差し出したのを、小梅が両手で受け取る。


「それにしてもですよ。時代遅れも甚だしいです」


慣れた手つきでレジからお釣りを出す。鹿島にそれを渡してから、ビールを袋に入れた。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


鹿島が受け取ると、小梅が笑った。


「こちらこそ、ありがとうございますっ」


短いが、心地よい会話だった。


(こんな買い物なら、また来てもいい)


そう思いながら、レジ横の荷台にビールを置いて、受け取ったままの釣り銭を財布へと仕舞おうとした。


「小梅ちゃん、今日も元気そうね」


振り返ると、少し腰を曲げた老齢の女性がレジに並んでいた。カートに乗ったカゴには、食料品がなかなかに積まれている。


「古賀さん、久しぶりだね」


小梅が、ちゃきちゃきとレジを済ませている。その様子を斜めに見ながら、鹿島は小銭を財布に入れた。


その間も小梅とお婆さんの会話は尽きない。


そして、鹿島がビールを持って、立ち去ろうとした時。


荷台の隣に、どかっと大きな音をさせて、山盛りのレジカゴが置かれた。


驚いて見ると、小梅が抱えてきたようだ。


「わ、すごい」


鹿島が、思わず口走ると、隣に立つ小梅が笑って言った。


「力持ちでしょっ」


小柄な身体にまるで似合わないその言葉に、鹿島は笑いそうになった。けれど、実際笑ったのは、お婆さんだった。


「ははは、小梅ちゃんってば、頼りになるんだから」


「ふふ、古賀さんにだけだよ。こんなサービスっ」


二人はにっこりと見合って、袋に食料品をどんどんと放り入れていく。空になったであろうレジを見ると、先日花束を作ってもらった時にレースのナフキンを持ってきてくれた中年の女性が、いつのまにか代わりを務めている。


「多摩さん、ありがとうっ。いってきまーす」


小梅が声を上げる。


「いいよー、いってらっしゃい」


袋に詰め終わり、あっという間に空になったレジカゴを戻すと、「じゃあ、古賀さん、行こうか」


小梅はいっぱいのレジ袋を両手に持って、お婆さんの横を歩いていく。


鹿島は呆気に取られていたが、重そうなレジ袋を見て、小梅の隣へと走った。


「ひとつ、持つよ」


このような行為は、花奈に調教されて、自然に身についている。


「いえいえ、大丈夫です」


「えっ、と、ご家族?」


店の外で問う。違いますよ、という答えと、「小梅ちゃんはねえ、いつも私の家まで持ってきてくれるのよ。年寄りに優しいの」


「え? そうなの?」


スーパーのレジ係とは、そんなことまでしなくちゃいけないのか、と正直思った。


えへへ、と笑って、小梅ははにかんだ。


「お得意さまだもの」


がさ、と音がして、小梅が歩き出す。


「それじゃ、さようなら。良かったら、また買いに来てくださいねー」


小梅の代わりに、お婆さんが手を振った。鹿島は、ビールを持つ手を替えてから、手を振った。


二人、並ぶ背中。小梅の小柄な体も、お婆さんの曲がった背中も、どちらもが小さく見える。


暗闇に。溶けるようにして、消えていった。


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