表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/86

十四、


病室から出ると、鹿島はどっと疲れを感じながら、廊下を歩いていった。


(……これで良かったのかどうか)


花奈の母親には、婚約までしておいて反故にしたせいだ、花奈の落ち込みようと言ったらなかった、それで体調を崩したのだと、ねちねちとなじられた。


けれど、その後担当の医師に確認したところ、少し目眩があるので入院という処置をしたが、そう酷くないとのこと。


不穏な理由でもなく、ほっと胸を撫で下ろした。


別れたのだしもう関係ないのだから、見舞いなどは要らないはずだが、そこまで冷徹になれなかった。


病院の一階に併設のフラワーショップで見舞いの花を買って持っていくと、花奈はそれを受け取らなかった。


(まさか受け取ってもらえないとはな……いや、受け取らないのが普通か……)


帰りのエレベーターの中で、じっと花束を見る。物言わぬ花束でも、渡した相手の喜ぶ顔をきっと待っている。そう思うと、途端にこの花束が可哀想になり、虚しい気持ちがじわりと湧いてきた。


(……ついバカなことを考えてしまう)


一階に着くと、病院の中央エントランスへと向かう。途中にゴミ箱が目に入り、そこで立ち止まって持っていた花束を捨てた。


捨ててから、ゴミ箱を見下ろす。ピンクのスイートピーがゆらと揺れた。


急いでこの場を立ち去りたい気持ちがあったが、なかなか離れられないでいると。


ついに。


花を真剣に選んでいた、小梅の顔が目に浮かんだ。


見ず知らずの他人のために、一生懸命に花束を作り、喜んでもらえることを願った。


(ああ、俺は何てことをしているんだ)


ゴミ箱から花束を拾い上げた。外側の葉が少しよれたが、スイートピーは汚れていない。


ほっと胸を撫で下ろしてから、花束を抱えて、再度歩き出す。


会計のカウンター前を急ぎ足で横切った。


待合いは薄暗くはなっていたが、ベンチに誰かが座っているのが見えた。気に留めず、そのまま行こうとして、どっと胸が鳴った。


「あ、あれ、小梅ちゃん?」


「え、鹿島さん?」


鹿島が近づいていくと、小梅の表情が固くなった気がして、さらに鹿島の胸は打った。気がついて声を掛けてしまった手前、何事もなかったように過ぎ去って行くことはできない。


鹿島は観念して、小梅の隣に腰掛けた。


「どうしたの? どこか具合でも悪いのか?」


どうしてこんな場所でと、気になったことを先に問う。小梅の表情は暗かった。


「いいえ、違いますよ。身内が入院してて……」


言い直す。


「おばあちゃんです」


「そうなんだね、それでお見舞いに?」


「はい……」


会話が途切れそうになり、小梅が先に続けた。


「鹿島さんは? お見舞いですね」


持っている花束を見れば、一目瞭然だ。


「うん、知り合いが入院しててね」


「そうですか。お大事にしてあげてくださいね」


「……ありがとう」


(……もう帰った方がいい)


そう思うが腰が上がらない。横をちらとみると、黒髪の中につむじが見えた。


小さな頭に、丸みの薄い頬。


「……綺麗な花束ですね」


「え、あ、うん」


「喜びますよ」


「そうかな」


「絶対です」


にこっと見上げてくる。黒い瞳が、いつもより丸く見えた。


(君なら、喜んでくれるのだろうか)


がさ、とラッピングが擦れる音がする。持っている花束が哀れに思えて、鹿島は思った。


(あの時の、輝いていた花束とは全然違う)


カラーとラナンキュラスの美しさ。それに小梅の温かさが加わって、心に沁み入ってきた。


(早く、去らないと……)


「おばあさんをお大事に」


そう言って、立ち上がろうとした時。


ぎょっとした。


病室にいるはずの花奈が、少しの距離を置いて立っている姿が目に入った。


鹿島が腰を浮かせながら、「どうした花奈、」と言った直後、花奈は二人の前に立ちはだかって、狂ったような声を出した。


「要さん、この子はなんなのっ‼︎」


栗色の髪が乱れ、唇は震えている。


「花奈、この人は関係ない」


鹿島が立ち上がって説明しようとすると、「やっぱり女なのねっ」と大声で遮った。


「あんたが要さんを横取りしたの? この泥棒猫っっ」


鹿島は慌てて、花奈の腕を掴んだ。


「やめろ、花奈‼︎ この子は違う、関係ない人だっ」


「要さんも要さんよっ‼︎ こんなのひどいわっ‼︎ わたくしのお見舞いに、浮気相手を連れてくるなんてっ‼︎」


「花奈、落ち着けっ」


花奈が腕を伸ばす。伸ばした先に、顔面蒼白の小梅。持っていたカバンをぎゅっと抱えている。


花奈は、その伸ばした腕で、小梅の腕を掴んだ。


「あ、痛っ」


掴んだ腕を引っ張り上げる。その反動で、小梅が床へと倒れ込んだ。


「何するっ、やめろっ‼︎」


鹿島が慌てて小梅に寄る。その拍子に花束が床に落ちた。


「あんたのせいよっ。あんたのせいで、私こんなにも苦しんでるのよっ。責任とってよっ」


花奈が落ちた花束をがばっと拾うと、花束を持つ腕を思いっきり振り上げ、小梅めがけて振り下ろした。


一瞬の出来事だった。


ばさばさっと、大きな音がして、小梅の側頭部に花束が叩きつけられた。


鹿島はそれを見て、血の気を失った。


「やめろっ、やめろ‼︎」


立ち上がり、花奈の両腕を押さえる。揉み合いになり、無残にぐちゃぐちゃになった花束は、ばさりと落ちた。


「こんな地味な女のどこがいいのっ‼︎ こんな、こんな見すぼらしい、貧乏くさい女のどこがっ」


かっとなった。


むかむかとせり上がってくる嫌悪感。綺麗だと思っていた花奈の醜さが、鹿島をついにおかしくした。


「花奈、いい加減にしろっっ」


振り上げた右手。怒りで我を忘れていた。


「鹿島さんっ」


小梅の声で、その手の動きを止めた。自分が何をしようとしていたか、思い知らされる格好で、鹿島は正気を取り戻した。


「だめです、そんなことやめてくださいっ」


それは、叫び声に近いものだった。


「だめです、だめです、だめで、す……」


そして、何度も呟くように言い続ける。その声は震えを含んでいった。


はあはあと息を切っていた呼吸を、押さえ込んで落ち着かせる。鹿島は冷静さを取り戻すと、「少し待ってて」と小梅に投げて、鹿島は花奈の腕を取った。


花奈は大人しくなり、そのまま鹿島に連れていかれた。部屋のベッドに寝かすと花奈は泣き始め、鹿島は少しの間、その様子を見ながらベッドの傍で立っていた。花奈が、わあっと声を上げて泣くと、鹿島の心は冷えていき、その場にいられなくなった。


病室からそっと出る。


花奈の泣き声がドアで遮られて耳に届かなくなると、途端に小梅のことが気になった。


焦る気持ちを抱えながらエレベーターに乗る。一階の待合いで、きょろきょろと小梅の姿を探す。


「小梅ちゃん、小梅ちゃん、」


小梅がすでに去ってしまって居ないと分かると、胸は絞られるようにきりきりと痛み、鹿島は胸を押さえて立った。


足元には、花びらが散らばっている。


鹿島は病院を飛び出した。


温い風が鹿島の頬を掠めていったが、それに気づかないほど、鹿島は夢中になって小梅の後ろ姿を追った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ