第8話「私のカワイイ弟」
「やめてって言ったのに……」
ベッドに横たわる愛する弟、ウィルが涙に濡れた目で、むーっとにらんでくるのだけれど……
それがとてもかわいくて、悪いけれど笑ってしまった。
でも、
「相変わらず『かわいそうなぞう』には弱いのねぇ」
『かわいそうなぞう』は日本で実際にあった話を元にした童話だ。
第二次世界大戦が激しくなり、東京にある上野動物園では空襲で檻が壊れた場合に猛獣が逃げ出す危険を考えて、殺処分を決定する。
ライオンやクマが殺され、残るはゾウのジョン、トンキー、ワンリーだけ。
ゾウに毒の入った餌を与えるが、賢いゾウたちは餌を吐き出してしまい、その後は毒餌を食べないために殺すことができない。
毒を注射しようにも、ゾウの硬い皮膚に針が折れてしまうため、餌や水を与えるのを止めて餓死するのを待つしかなくなる。
やせ衰えていくゾウたちは、餌をもらうために必死に芸をしたりするが、ジョン、ワンリー、トンキーの順に餓死していく。
これをこの世界風にアレンジして聞かせると、ウィルは必ず泣いてしまうのだ。
まぁ、よっぽどの不感症かろくでなしでもない限り、この話には涙腺を緩ませるはずだとは思うのだけれど。
「人間は他種族に酷いことばかりするのに、何で彼らは人間を好きになってくれるのかな」
そうつぶやくウィルに、私は微笑んだ。
さて、
「次は『フランダースの犬』がいいかしら。それとも『ごんぎつね』?」
「わーっ、やめてっ、やめてよ姉さま!」
「それも、例の『ビター・ラブストーリー』とか言う予言の物語に基づいた対策か」
ウィルの寝室を出て自室に戻ると魔神ロキが迎えてくれた。
「そうね、愛する弟がぐれてしまわないように」
乙女ゲーム『ビター・ラブストーリー』では、私の弟のウィルは、攻略対象の年下子犬系公爵令息だったけど、それは表向きだけ。
実際には父親であるベッカー公爵が浮気してできた子と誤解され、義母や義姉である私に虐待された結果、モンスター・テイマーの力でヒロインである聖女を支配し、独占しようとする隠れヤンデレキャラだった。
というわけで、引き取られた彼を矯正しちゃいました。
愛情をたっぷりと込めて世話をして。
そのうえで、
「私たちベッカー公爵家は魔物使い、モンスター・テイマーの血筋。モンスターを使役するということは、彼らの命を使いつぶすことと同じ」
悲しいけれど、これが現実。
言葉を飾って見ない振りをすれば、そこには悲劇しか生まれない。
「そうだな」
ロキもうなずいてくれる。
「だからこそ、私たちは他種族を慈しみ、愛することを知らなくてはいけないの」
ウィルにはモンスター・テイマーの力を悪用しないように毎晩、私の転生前の世界のお話をアレンジした物語を話して聞かせる。
もちろん、異種族との協調、調和、共生、友情、愛情を描いた物語だ。
私は元々、安倍晴明の母親、キツネであるという葛の葉のお話に代表される異類婚姻譚や、異種族との共存をテーマとした物語が好きだった。
マンガで言うなら舞井武依先生の『魔王の子供達』とかがルーツかな。
二次創作小説なら、某国民的RPG第二作を元にした『雌犬王女と雄犬』が走りだったかなぁ。
そしてもちろん、情操教育には『かわいそうなぞう』『フランダースの犬』『ごんぎつね』なんかの泣けるお話も外せない。
これらで純粋に泣けているうちは、大丈夫でしょ。
そう説明すると、ロキは呆れたように言う。
「そうやって、寝物語で躾けたというわけか」
「ちょ、寝物語って……」
「『男女が同じ床に寝て話をすること』だろう。何か問題でも?」
「いや、言葉だけだとそうだけど、本来は艶めいた意味があるっていうか、子供への読み聞かせに対しては使わない言葉じゃない」
うん、私は正しいはず。
けど、ロキは納得しなかった。
「艶ならあるだろう。だいたい、弟君の精通は、お前の太ももだったろうに」
「ばっ!?」
一瞬で顔が火照った。
「それ、あの子の黒歴史なんだから言っちゃダメでしょ!」
性に疎い男の子が思春期を迎えてムズムズして、同じベットで寝ていた姉の太ももにアレを押し付けて初めてを迎えちゃったなんて……
ほかの人間に知られたら、あの子、引きこもりになっちゃうわよ。
「何を言っている。お前も受け入れていただろうに」
違う違う、そうじゃ、そうじゃない。
「いや、眠ってて、気が付いたら抱きしめられてたし、私に知られたら自殺しちゃうんじゃないかって思うと動けなかったのよ」
弟の名誉を守るため、あえて気づかないふりを、寝たふりをしてたの。
睡眠姦? なにそれ?
って、いい、いい。
どうせ、ろくなことじゃないだろうから説明しようとしないで!
「そっ、それに、ウィルのけなげな様子が、かまってもらいたくて飼い主の膝に乗って一生懸命ヘコヘコと腰を振ってマウンティングするコーギーみたいでね」
「コーギー?」
「うちで飼ってた犬。いや、躾けに失敗してね。初めてマウンティングされたときにびっくりして「キャーキャー」言って騒いだら、「ご主人様が喜んでくれてる!」みたいに勘違いして、ますますマウンティングをして「構って構って」って催促するようになって」
だから飼い犬にマウンティングされたら、騒がず無視することが必要なんだって後から知った。
犬にとって、飼い主から無視されるのはとてもつらいことなのだから。
耳を伏せてうつむいたり、しっぽや背筋を丸めて小さくなったりしてショボーンとする愛犬を無視し続けなくちゃいけない飼い主も、ものすごくつらいんだけどね!
そう説明したら、ロキに呆れた目で見られた。
「それは犬の場合だろうに。それにお前は結局弟を放置できなかった。最後まで無視して気づかぬふりをしきれなかっただろ」
「仕方ないでしょ! 初めてのことで混乱して、下着の中ドロドロにしてすすり泣いてるあの子を放っておけるわけないじゃない!」
メイドにも内緒で、パンツを洗ってあげましたとも。
私偉い! 姉の鏡!
「いや、普通の姉はそんなことしない。パンツは自分で洗わせろ」
アーアーきこえなーい。