第3話「私は逃げた」(スノウ)
「スノウ様自身が不幸を望んでいるのですもの。幸せになりようがありませんわね」
私のすべてを見透かされた、そう思ったあの夜。
「それでもスノウ、俺はお前を愛しているんだ」
「ダリウス様……」
私はダリウス様の言葉に逃げた。
あのお方、公爵令嬢アドルフィーネ・ベッカー様から、私は逃げた。
あれから七年。
私は魔王を倒し、救世の聖女と呼ばれ、ダリウス様と結ばれた。
伯爵夫人となり、昔のダリウス様そっくりの息子を授かった。
幸せな、はずだった……
幸せでなければならないはずだった。
それなのに、現状が幸せであればあるほど、私の心の中には漠然とした不安感が黒いシミのように広がって行った。
それを押し留めようと必死になった。
そして、
「いやっ、止めてっ!」
「へへへっ、奥さん、口では嫌がっていても身体は正直だよなぁ」
私は伯爵家に新たに雇われた下男に、寝室で押し倒されていた。
「あんたが俺をあんな顔をして誘うからいけないのさぁ」
「何を……」
イヤな目つきをする男だった。
「オレには分かるんだよぉ。あんたのような不幸の染みついた女がなぁ」
「っ!?」
「なぁ、聖女サマ、わざわざ寝室のカギを開けておいたのは何のためだ?」
「っ、それは、たまたま……」
「今日だけじゃねぇ、あんた、ことあるごとにスキを見せて、俺を誘惑してきたじゃねぇか。それとも分かってなかったって言うのか?」
嘘……
『もう一度、断言しますわ。スノウ様、このままダリウス様と一緒になってもあなたは将来、幸せであることにどうしようもない苦痛を感じ、耐えられなくなる』
嘘よ……
『そしてまた自分を虐待するような悪い男を無意識に求め、誘惑し破滅する』
嘘、嘘、嘘、嘘。
『そうしてようやくあなたは安心できるのですわ。『自分が不幸になるのはやっぱり避けられない運命だった』と自分に言い聞かせ、過去をあきらめて安心することができる』
嘘!!
そうして私は目を覚ます。
「……夢?」
いいえ、
「あり得た、現実?」
窓から差し込む月光に、銀に光るミスリルの首輪が光った。
私はそれを手に取ると、ふらふらと寝室を出た。
夢うつつのまま、夢遊病のようにさまよった私は、ドアを開ける。
その扉は……
「あらあら、やっぱりいらっしゃったのね」
ひどく優しく微笑むのはアドルフィーネ様。
「おねっ…… が…… い…… ッ」
それだけを言って、彼女にミスリル銀の首輪を、隷属の首輪を自分から差し出す。
「光栄ですわ、スノウ様。貴女の方から求めて下さるなんて」
アドルフィーネ様の繊手が、それを受け取った。
とんでもないことをしている、取り返しのつかないことをしているという恐怖と……
奇妙な安心感が私を満たした。