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第13話「犬の散歩」(スノウ)

 感想を下さった方からのリクエストにお応えして聖女の続きをお送りさせていただきます。

「ほらスノウ。お散歩に行きましょう」


 私の首輪から伸びたリードを手に、アドルフィーネ様はにこやかに笑いかけた。




 下着姿で、四つん這いで公爵家の長い廊下を、広い庭を犬のように歩かされる。

 明るい朝の陽ざしの中、物心ついてから、いいえ産まれてからずっと隠し続けていた狼の耳も尻尾もむき出しで。

 首輪でつながれ、リードを持ったアドルフィーネ様に引き回される。


 あ、あ、あ、そっ、そんなぁ、そんなあああああぁぁ!


 恥ずかしさのあまり心臓が跳ね回り、呼吸は乱れ、意識は朦朧としてくる。

 こんな、こんな風にされてしまうなんてっ!

 あまりにもありえない、非現実的な状況。

 でも肌に感じる風が、陽の光の暖かさが嫌でもそれを本当のことだと自覚させ続ける。


「きゅぅん、きゅぅん」


 酷いぃ、酷すぎるぅぅ。


 言葉を奪われ、犬のように鳴くしかない私。

 でも本当に酷いのは……


「なぁに、スノウ。そんな一生懸命に尻尾を振っちゃって」


 アドルフィーネ様がくすくすとおかしそうに笑う。


 そう、人として扱ってもらえない。

 飼い犬として、ペットとして扱われているというのに、


「ご主人様にお散歩に連れて行ってもらえるのが、それほど嬉しかったのね」


 私の身体と心は、それにかつてない喜びを感じてしまっていた。


 ああっ! ああっ!


 なんていう屈辱的な快感なんだろう。

 首輪でつながれ…… 服をはぎ取られて四つん這いで引き回されて……

 それがこんなに…… 生まれてから今までで一番嬉しく感じているなんて……

 私は…… 私はああぁぁ!


「おや、お嬢様。新しいペットのお散歩ですか?」


 そう話しかけられる声にびくりと身をすくませる。

 見れば、公爵家のメイドのお仕着せをまとった侍女さんがこちらに歩いてくるところだった。


 見られちゃう!

 こんな格好をした私を見られちゃう!

 今までずっと隠していた耳と尻尾を見られちゃう!


「あらあら……」


 片眼鏡モノクルの奥のヒスイ色の瞳を細める侍女さん。

 その耳は尖っていて、妖精族エルフの血を引いていることが分かる。


「ずいぶんと、お嬢様になつかれているのですね」


 えっ?


 気が付けば、私は耳を伏せ尻尾を丸めてアドルフィーネ様にすがるようにその華奢な背中の後ろに隠れてしまっていた。

 こんなに、こんなに酷いことをされているはずなのに、その相手に私はどうして頼ってしまうのだろう?

 どうしてその背に隠れて安心してしまうのだろう?

 どうして…… どうして……


 アドルフィーネ様がその細く形のいい指先で私の頭をなでる。


「ほら、そんなに恥ずかしがらないで」


 いい子いい子。


「くぅん、くぅん」


 私はいつの間にか瞳を細め、アドルフィーネ様の手に自分の頭を押し付けていた。

 伏せられていた狼の耳がぴんと立ち、尻尾が勝手にぶんぶんと振られた。




「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」


 広い公爵家を四つん這いで歩き続けるのは大変で。

 獣人の血を引くことを隠すため常に大きな帽子で耳を隠し、長いスカートで尻尾を隠し、息をひそめて目立たないよう生きてきた私の体力では辛いはずなのに。


 なぜ、身体はアドルフィーネ様に従ってしまうの?

 なぜ、こんなに嬉しそうに尻尾を振ってしまうの?

 なぜ、こんなに心と身体が満たされてしまうのぉ。

 もうとっくに息はきれ、体力も限界なのにぃ。

 私は…… 私は…… はぁあ!

 いや、やめ、やめて……


「やめて欲しいの?」


 アドルフィーネ様が、ご主人様が問う。


「仕方ないわねぇ」


 そう言って踵を返し戻ろうとするご主人様。

 お、お終い? もうお散歩はお終いなの?


「スノウ?」


 私が動かないことで、リードを引いていたご主人様が振り返る。

 私はいつの間にかその場で手足を踏ん張っていて。


 ど、どうして?

 私は、私はあああぁぁ……


「……も、も、もっと。……もっとしてえええええ!」


 いつの間にか、封じられていたはずの人間の言葉が許されていた。


「その言葉が聞きたかったの」


 満足げに笑うご主人様。

 でも、


「……ふふふ、せっかく正直になってくれたのに残念ね。もう時間だわ」


 そう言うご主人様。

 そんなぁぁぁ。


「そんなにがっかりしないで」


 うなだれる私をご主人様が撫でる。


「代わりに天国を見させてあげるから」


 その手にはブラシが握られていた。




「ひぁぁあああー!」


 ご主人様が髪を、尻尾をブラッシングしてくれる。

 忌み嫌われている獣人の血を引く証。

 それをこの国の貴族の中でも特別に高貴なお方、公爵令嬢であるはずのご主人様が丁寧に磨き立ててくれる。


「こんなのっ、こんなのお母さんにもされたことないのにっ!」


 うう、気持ちいい……

 いい…… 身体から力が抜けちゃう……

 はあああああ……


「ふふっ、ご主人様にブラッシングしてもらえるのがそんなに嬉しいの?」


 アドルフィーネ様はそう言って瞳を細めた。


「やっぱりあなたの本性は犬なのねぇ」


 嫌ぁ、そんなこと言わないでぇ。


「あなたは犬よ、ご主人様に可愛がられて喜びを感じる、犬なのよ」


 私にそう言い聞かせるように優しく語り掛けるアドルフィーネ様。


 私は犬…… ちっ、違うの! これは…… これは……

 決してアドルフィーネ様に犬扱いされて喜んでいたわけじゃあぁ……


「犬なことをもっと自覚してもらうわね」


 空いている片手が私の狼の耳にのばされ、


「かはっ! コ、コリコリしないでぇぇ!」


 耳の、耳の後ろの付け根はあぁぁぁっ!


「逆らえないでしょう? 気持ち良すぎて、ふふ」


 はっ、弾けるっ!

 意識が、心が弾けちゃう!

 ダメっ、こんなの知ったら人としての私が終わっちゃう!

 ご主人様に従うこと、可愛がられることだけを望む従順な飼い犬に堕ちちゃう!

 私の人生にトドメ、刺されちゃう!


「いいのよ、我慢しなくて。私があなたを許してあげる」


 アドルフィーネ様の甘いささやきが、熱い吐息とともに敏感な狼の耳に吹き込まれる。

 失墜へのいざないが耳を通じて脳に、いいえ、魂にしみ込んでいき……


「堕ちちゃいなさい」


 はみっ、て。


 耳、甘噛みされた。


 あーっ! あーっ! あーっ!

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