エピローグ:めぐりくる季節
桜の花びらが舞うのを目で追いながら、柊一郎はある日の自分の言葉を思い出す。
『きっとご両親は、春になるたびに、春子ちゃんが生まれた時のことを思い出すよ』
春が来るたび、春のように温かい少女と出会った日のことを思い返し、ああまた一年が過ぎたのだと思う自分がいる。
「春子、今年も春が来たよ」
柊一郎の手からすり抜けるように花びらは風で舞い上がり、花のような火傷の痕に優しく触れる。
◆
あれから――ずっと、ずっと、春子は、柊一郎と共に、生きてきた。
自分といることは、ひとところに居られないということで――春子にはそのことで随分と苦労をかけさせてきたはずだと思う。
それでも――春子は、柊一郎の手を引いてくれた。
高校を卒業し、二十歳を過ぎた春子は、たくさんのものを失いながら、柊一郎の手を取り、共に生きることを選ぶ。
柊一郎が無駄に生きてきた時間は、春子のものになり、それから柊一郎は、どうにかそれを幸福で埋め尽くそうと必死になり、時にはそれが彼女を傷つけることもあった。
気まずくなった時は、決まってどちらかがココアとコーヒーを淹れる。もしくは、テーブルの上に本がそっと置いてある。
そうやって二人の符丁は増えて、それが嬉しくて、でも、身に余る幸福が恐ろしくなって、迷うこともあって。
それでも、確かな日々を。
◆
人生は、何で測れるだろうか。
生きた時間の長さ?
きっと違う。
「ありがとう、春子」
春子に出会うまでの自分は、きっと本当の意味で生きていなかった。
ただただ時間が流れるのを、移ろうのを眺めていただけで、その時間の外側に、自分を置いていた。
春に花が咲くことを、秋に葉が散ることを、ひとつひとつを追いかけて、大事なものを抱きしめるように噛みしめるように、生きていくことを思い出させてくれたのは、君だった。
そして、それは、今も。
「柊のおじちゃん、行こう、行こう」
満開に咲いた桜の木を見上げ、物思いに耽っていた柊一郎を呼んで、手を引いて走る子供。目の大きい女の子に、春子の面影を探す自分がいる。
「ああ、行こうか……そろそろ三回忌が始まるね」
振り返れば、桜の木の下には、自分を迎えてくれるたくさんの家族たちがいた。
今はもう空に旅立った春子が、永遠に自分に残してくれた、大切なメジャー。
子供の成長を、孫の成長を、と言っているうちに、まだまだどこまでも生きていたいと思っている自分がいて、柊一郎は知らず、泣き笑いのような表情になる。
これからも自分は、時に孤独に身を焼かれながらも、それでも、生きていくのだろう。
人生を測る物差しを、もう柊一郎は落とすことはない。
不老不死って大変なんだ。
某保険会社(アヒルさんの保険会社です)の『不老不死の男』というCMを見て、げらげら笑いながら、ふと思いつきました。→なぜこんな話になる。
柊はその葉の形から、「ひりひり痛む」を意味する「疼ぐ」より名がついたとされているそうです。また、冬でも緑の葉を落とさない常緑樹であることから、不死の象徴ともされているとか。
冬を名前に持つ孤独な男と、春を名前に持つ少女が出会う小説。
お読みいただきありがとうございました。
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