第Ⅵ章 内通者
アガシャが、エミール親子と別れたちょうどその頃。
ドミーナは、平原に建つ遺跡の内部へまんまと潜り込んでいた。
通い慣れ、勝手知ったる遺跡への道のり。
幸いなことに遺跡の周りには、哨戒兵も置かれていなかったので、夜陰に
乗じて潜り込むなど、ドミーナにとって造作もなかった。
遺跡は、平原の真ん中辺りにザンドリアとゴウラ両軍の陣営を南北に見据
えるようにして建っているので、両軍の動性を探るのには好都合。
ドミーナの父が研究していた時分は成人でも通り抜け可能だった遺跡入り
口も、現在では管理する者がいなくなって崩落が進み、ドミーナくらい小柄
な人間でないと通り抜け不可能になってしまっている。
だから遺跡内まで兵隊が入って来ることはまったく心配しなくてよい。
日頃から入り浸っている場所なので、非常食や、カンテラも常備してある。
身を潜めるのには、これ以上最適な場所はなかった。
昏くひんやりとした遺跡内部。
とりあえずドミーナは、くだんのドーム状空間になっている部屋の台座に
腰を落ち着けていた。
空間内は、カンテラの灯りにぼんやり照らし出されている。
「ホッ。ここまでは上手くいった」
安堵の息をついたのも束の間。
ドミーナの耳に、ギュッ、ギュッと、下生えを踏む音が聞こえてきた。
「!」
少女は驚きのあまり、口から心臓が飛ぶ出しそうになり、慌てて両手で口
を押えた。
音は、段々と大きくなっていく。
こちらへ近付いて来ているようだ。
(ゴウラ軍? それともザンドリア軍?)
しかし遺跡内部に居ては、どちらの国の兵隊がやって来たのかまでは判ら
ない。
少女は、四方の壁に耳を当てて、遺跡のどちら側から兵隊がやって来るの
か特定しようと試みた。
ところがどういうわけか。
足音は、南壁と、北壁の、両方から聞こえて来るように思える。
(どういうこと? 音が遺跡内で反響して、方角を判りづらくしているのか
しら?)
結局、足音が遺跡の傍に来るまで、とうとうどちらの方角から近付いて来
ているのか特定できなかった。
それもそのはずだ。
(違う。これは、ひとりの足音じゃない。南と北、両方から別々に近付いて
来ているんだ!)
別々の方角からやって来た足音は、遺跡に辿り着くと、いったん立ち止ま
り、今度は遺跡の外周に沿うようにしてそれぞれ逆方向に歩き出した。
(まさか遺跡を取り囲む気なの? もしかして遺跡内に潜んでいることを気
付かれた?!)
大人の体格では遺跡内に入って来れないと判っていても、やはりドミーナ
の心中は穏やかではなかった。
体が緊張で無意識に強張る。
でもそれからずっと聞き耳を立てていても、下生えを踏む音を判別できた
のはその二つだけ。
大勢の兵隊が、遺跡にやって来ている気配はなかった。
たった二人だけで遺跡を取り囲むなんて無理だ。
でも、遺跡を包囲するつもりでなければ、足音がまったく別方向からやっ
て来たのは妙な話である。
(戦場の地形を調べに来ただけなのかな?)
遺跡に敵軍が埋伏しているのを警戒して、別方向から斥候が接近して来た
という可能性もありえるだろうか。
あるいは両軍の斥候が、偶然同じタイミングで遺跡を下見に来たというこ
ともありえるかもしれない。
いずれにしても、二人は遺跡の周りを回るように逆方向に歩いている。
いずれ遺跡のどこかでかち合うはず。
遺跡外周を逆方向に回る二つの足音が、味方同士なら、出会ったところで
何も起きはしまい。
が、もしも二人が敵同士だったならば戦いが始まるはず。
(二人が出会ったときの反応を見れば、何か判るかも……)
ドミーナは、足音の移動スピードから、二人が出会うであろうおおよその
地点を予測してみた。
その場所は、両軍の軍営が対峙する戦場から死角になっている位置。
遺跡の東側の壁の前。
ドミーナは、石室の東側の壁に、耳をぴたりと充て、聞き耳を立てる。
果たして二つの足音は、遺跡の東壁の前で鉢合わせした。
聞こえてきたのは、若い二人の男性の言い争う声。
「出兵は、まだ先と……。これはいったい、どういうこと……」
「……落ち着け……首が絞まってちゃ、喋りたくても喋れねえよ……離し
やがれ」
どうやら二人の人物が諍いを起こしてはいるのは間違いない。
だが、どうも様子がおかしい。
話し声から察するに、言い争いながらも、会話はちゃんと成立している
みたいだし、以前から二人には面識があるようだ。
どうも、単純に二人が敵同士だとは思えない。
(もっとはっきりと会話の内容が聞こえたら、正確な状況が掴めるのにな)
低音域の音は、壁を伝わり響いて来るので、外で物音がすれば石室にい
ながらにして判る。
でもはっきり判るのは『音がした』ということだけ。
石の壁越しでは音がぼやけてしまって、会話の内容まで正確に聞き取る
のは難しい。
途切れ途切れに言葉を聞きとるのが精一杯だった。
「先の戦争で国土は荒れ果て、人は……。貴国とて戦争など出来る国情で
はなかったはず。……説明して下さい」
ひとりは丁寧な口調。
「ったく。柄にもなくいきり立つんじゃねえ……こっちだって……の出兵
は青天の霹靂だったんだよ」
もうひとりのほうは、砕けた口調の人物だった。
(いま貴国って言った? ということは、やっぱり二人は別々の国の人間?
ああもう、ここからじゃ、はっきりと聞き取れないわ。よおしっ)
ドミーナは、おもいきって遺跡の入り口まで出て行ってみることにした。
壁越しではなく、直接声を聴ければ、もっと正確に会話の内容を聞き取れ
ると思ったからだ。
しかし、遺跡にやってきた連中に、自分の存在を気取られているかすら判
っていないのに、おめおめと自ら外に出て行くのは『好奇心が猫を殺す』と
いうことにもなりかねない危険な賭けであった。
遺跡の出入り口は、東西にひとつずつ存在しているが、両方とも崩落した
瓦礫で半ば塞がれていて、もはやどっちが正面で、どっちが裏口かすらも定
かではない酷い惨状。
でも崩れていて酷い有り様だからこそ、瓦礫の影に身を隠しながら謎の人
物たちの会話を傍聴するには都合が良かった。
ドミーナは、遺跡東側の入り口の、瓦礫が積み重なって出来た狭い横穴に
身を隠しつつ、外の様子を窺った。
音を遮る壁がなくなったので、今度は二人の声がはっきりと聞こえる。
声変わりはしているけれども、声色に濁りがない。
二人ともまだ若い青年のようだ。
「重臣のくせに、貴公は王を諌めなかったのですか?」
「もちろん諌めたさ。耳の痛いことを言うのも臣下の役目だからな。だが、
兵糧が足りないなら侵攻した土地で土地で収奪すればいいなんて抜かしやが
ってよお。全然聞く耳持ちやしねえ」
ドミーナは、そろそろと穴から顔の上半分だけ出し、声の聞こえてくる左
手の方向へと視線を向けた。
入り口から十五メートルほど離れた遺跡の壁際。
二つの影が凝っているのが見えた。
といっても辺りは暗く、頼りといえば月明かりだけ。
人物の細かいディティールまでは判然としない。
判るのはシルエットくらい。
小脇には、何か丸い物を抱えている。
形状や大きさからして兜のようである。
腰から突き出ている長い物は長剣だろうか。
でも二人は、腰に長物をぶらさげたまま。
抜刀もしていなかった。
敵兵と対峙しているのに、兜を被らないどころか、刀に手をかけてもいな
いとは、あまりに不自然。
言い争ってはいるものの、とてもこれから殺し合いを始まりそうな雰囲気
には見えなかった。
やがて目が暗がりに慣れてくるにつれ、徐々に細かいディティールまでも
掴めるようになってきた。
「貴公は、それでおめおめと引き下がったわけですか。ああ情けない。二枚
舌の黒豹の名が泣きますよ」
慇懃無礼な口調で言った人物は、肌が白く、彫りの深い端正な顔立ちで、
陰影がくっきりしていた。
おかげで目が暗がりに慣れてくると、比較的輪郭は捉えやすかった。
歳の頃は、おそらく二十代前半。
顔も、体の線も細く、全体的に華奢なイメージ。
上背があるので、余計に細く感じられるのかもしれない。
見た目の印象は、軍人と言うよりも、どちらかというと文官タイプに見え
る。
眼の色は青。
髪は銀色で、長さは腰くらいまであり、月明かりにキラキラ輝いていた。
月明かりに反射する鎧も、髪と同じ白銀色。
鎧形状は優美な曲線を基調とした南方ザンドリアの意匠。
全身を白銀色に輝かせる長身の美丈夫だった。
「軽く言ってくれるぜ。お前だって英雄王たちの恐さは知っているだろうに
よお」
一方、砕けた口調の人物はとても黒かった。
肌が黒いだけではない。
無造作に切られた短い髪も、鎧も、全身黒々としていた。
最初彼を見たときは、まだ目が闇に慣れなかったため、まるで闇に溶けて
いるみたいに見えたほどだ。
けれども、闇夜に光る二つのまなこだけは、そこに何者かが存在している
ことを強く主張していた。
眼の形は、目尻の吊り上ったアーモンド型。
瞳の色は、黄色に近いアンバー。
豹のような眼を爛々と輝かせている精悍な若者だった。
肌の黒い民族は、外見から年齢の判断をするのが難しい。
だが、声音や軽い口調から判断すると、美丈夫のザンドリア軍人と、そう
年齢は離れていないと考えるのが妥当だろう。
背は、長身のザンドリア軍人と比べると若干低いものの、そのぶんザンド
リア軍人よりも胸の厚さがあったので、二人並んでもまったく見劣りはして
いない。
鎧のシルエットは直線的で、北方のゴウラのものらしかった。
(でも、どうしてゴウラとザンドリアの軍人が、普通に話をしているの?
もう争っている雰囲気でもないし。もしかして彼らはスパイ? 内通者って
こと?!)
ドミーナは、自分がとんでもない場面に居合わせていることにようやく気
づいた。
緊張で、掌が汗でぬめる。
「今までに王に諫言した連中は、ことごとく粛清されてきた。俺が諫めたと
きも、ゴルドン王は全身からヤバイ空気を漂わせていたんだぜ。空気を読ま
ず食い下がっていたら、俺も、この首と、胴体が、離れちまっていたさ。お
そらくこうしてお前とも話せていなかったろうよ」
ゴウラ軍人は、首元で手刀を左右に動かし、首を切られるジェスチャーを
して見せる。
「まあ、ゴルドン王が側近を粛清しまくってくれたおかげで、俺みたいな成
り上がり者が、重臣の列に加われているんだけどな」
ゴウラ軍人は、自嘲気味に笑った。
「そっちこそ、どうなっているんだよ。ゴルドン王は、突然出兵を決めたた
めに、俺もお前に報せをやっている余裕はなかった。それなのに両国の首都
から等距離のこの平原地帯に、両軍がほぼ同時に到着したってのはおかしな
話じゃないか」
「ザンドリアと通じている間者は、ワタクシたち以外にもいるということで
すよ。それにザンダー王は、ゴウラが動くのを今か今かと手ぐすね引いて待
ち構えていたんです。先の戦からまだ一年余り。戦の爪痕が癒えていないの
は我がほうも同じこと。ですが、ゴウラのほうから攻めて来たとなれば、
国の状態がどうであろうと戦争をする口実になりますからね。ザンダー王は、
ゴウラが動いたと聞いて、飛び上がらんばかりに喜んでいましたよ」
「ってことは……」
「お察しの通り。兵糧不足を現地調達で賄おうとしているのは、ゴウラ軍だ
けではないということです。それだけではありませんよ。仮にゴウラ軍が、
ザンドリア領内にまで押し入って来た場合、あのザンダー王が、おめおめと
ザンドリア領内の兵糧をゴウラにくれてやると思いますか?」
「まさか……こんな国土が疲弊しきっているときに、焦土作戦をやるってい
うのか」
「ゴウラ軍も、ザンドリア軍も、近隣の村々から食料を奪うだけ奪ったら、
敵軍に食料が渡らないように、村人ごと村を焼き払う腹積もりでしょうね。
どちらの領土かなど関係なく」
「クソッ! イカレた英雄王どもめ。胸糞悪くなるぜ」
白銀のザンドリア軍人の説明を聞いた漆黒のゴウラ軍人は、吐き捨てる
ように言った。
「ゴルドン王は、正面対決を望んでいる。陽が昇ると同時に進軍を開始する
だろう。このままだと罪もない民草の血がたくさん流されることになるぜ。
もう時間がない。どうするつもりだ狡猾狐のルナールさんよお」
思案しているのか。
ルナールと呼ばれたザンドリア軍人は、ゴウラ軍人の問いには、すぐには
答えようとしなかった。
「じゃあこの前みたいに、俺たちで互いの兵糧庫を焼き討ちして、両軍を撤
退させるってのはどうだい?」
ゴウラ軍人の提案に対して、ルナールは首を振る。
「今度の戦は、略奪と焦土作戦が前提。両軍とも補給線のことは、あまり考
えていません。兵糧庫を焼き討ちしても効果は薄いでしょう。加えて、同じ
手を何度も使えば、ワタクシたちが怪しまれます。疑り深い英雄王たちのこ
と。きっとワタクシたちが内通していることにも気付くでしょう」
会話の内容が本当ならば、彼らは、ゴウラとザンドリア双方を裏切ってい
ることになる。
そのうえ、先の戦を終わらせたのは彼らだったらしい。
ドミーナにしたら二度吃驚である。
英雄王の専横が長く続いたことで、どちらの国も色々な不満が溜まってい
るのだろう。
ゴウラも、ザンドリアも、一枚岩ではないらしい。
彼らのように、ふたごころを持つ者もいるようだ。
「やはり、英雄王を俺たちの手で除くしかねえか」
「チザム、貴公にそれが出来ますか?」
どうやら彼らは、本気で王たちの暗殺を考えているようだ。
つまりクーデターである。
「英雄王……ありゃあ、どっちも化物だからな。俺も剣の腕には、ちったあ
自信があるが、一対一じゃあ、まったく勝てる気がしねえ」
チザムと呼ばれたゴウラ軍人が、溜め息をつく。
「そのうえ英雄王たちは、無敵の神剣ソードオブルーラーまで携えていやが
る。正面からやり合って英雄王を倒せる者がいるとしたら、それは唯一同じ
存在の英雄王だけだろうよ」
神剣ソードオブルーラーは、古くから大陸の伝承に出てくる伝説の剣だ。
剣を持ったものに、神の如き力を授けると言われている。
「もっとも英雄王たちは、今まで幾度となく剣を合わせちゃいるが、一度た
りとも決着を見ちゃいないからな。今回も期待薄か」
「戦争を起こしても、せいぜい二国の国境線の形が少し変わり、さらに民草
が困窮するだけ。ゴウラも、ザンドリアも、英雄王という絶対的な力がある
限り、完全な勝利も、完全な敗北もありえませんからね」
「両軍の兵士が全員死に絶えても、英雄王たち二人だけで戦い続けていそう
だからな。あいつらの強さは洒落にならんぜ」
「決着なんてつかないのだから、彼らがやっているのは、何も生まない不毛
な戦いなんですよ。さて、その難敵英雄王を、どうやって倒すかですが……」
ルナールは、繊細な顎に手を当てる。
暗闇ではっきりとは判らないけれども、再び思案顔になっているようだ。
(強い強いとは聞いていたけれど、英雄王っていうのは、本当にそんなに強
いのね)
英雄王たちの武名は高く、武勇伝も数知れない。
しかしあまりにもその強さが誇張され過ぎていたため、ドミーナは英雄王
の武名には尾ひれが付いているものと思っていた。
しかし、彼らの話を聞く限り、人間離れした強さを持っているのは本当の
ことらしい。
「乱戦になれば、あるいは命を狙うチャンスはあるでしょうか……」
ルナールが、顎に手を当てたまま呟く。
「馬鹿言え。英雄王は一騎当千の猛者だぞ。たとえ乱戦になっても、兵を百
人送れば百人斬られ、千人送れば千人が斬られるだけさ」
今度は逆に、チザムがルナールの案を却下した。
「英雄王に対抗できるのは、英雄王のみ。それなら英雄王たちが直接対決し
ているときを狙えば……」
「ルナール、英雄王同士の直接対決になったら、それこそ誰も近付けやしね
えよ。近寄った者は敵味方関係なく、みーんな撫で斬りにされちまうからな」
「伏兵を潜ませておいて、二人が直接対決して消耗しきったところを弓で狙
うのはどうです?」
「背後から狙った矢を、振り向きもせずに切り落とすような連中だぞ。消耗
していたって矢なんか効くものか」
チザムは、ダメだダメだと手を振った。
「一本の矢は防げても、大量に伏兵を配して矢を雨のように降らせれば、如
何な英雄王といえど防げぬはず。この方法ならば英雄王たちを同時に討ち果
たせすことも可能です。これしか方法はありません」
ルナールは、打倒英雄王の手段を確信したか、顎に宛てていた手を外し、
胸前で拳をギュッと握り締めた。
「だがよ、そんな数の伏兵を、いったいどこへ潜ませておくんだい?」
「問題はそこです。戦場はなだらかな平原。大勢の伏兵を潜ませておける適
当な場所がありません」
「じゃあ、この遺跡の陰に潜ませておくってのはどうだ?」
チザムは、闇夜にあっても圧迫感を感じさせずにはおかない巨大な遺跡を
見上げる。
「それはワタシも考えてみました。ですが、遺跡がこの有り様では……」
ルナールも、闇のなかに屹立する遺跡を見上げた。
「ここはちょうど両陣営から等距離の地点。この遺跡を横目に見て両軍は睨
み合っています。ただし両軍とも横に長く布陣しているので、陽が昇ってか
ら戦端が開かれたのでは、遺跡の陰に兵を伏せておいても、どちらかの軍か
ら丸見えになってしまいます」
「暗いうちにしかこの場所に兵を伏せおけないっていうのなら、夜のうちに
戦端を開かせればいい。俺たちで互いの陣に陽動を仕掛ければ可能だろう」
「英雄王たちが正面対決を望んでいるのは誰もが知るところ。我々が独断で
夜襲を仕掛ければ、忠誠を疑われ、下手をすれば殺されかねません。リスク
が高すぎます」
「なら、どうする?」
「本当は遺跡内に兵を潜ませておければ良かったのですが……」
「建物の風化が激しくて、昼間見た限りでは、入り口はほとんど塞がれてい
る状態だったからな」
「無理になかに押し入ろうとすれば、壁が崩れて生き埋めになること請け合
いですね」
「工兵に一晩中突貫工事させりゃあ、通れるようになるかな」
「人目を盗んでの作業ですよ。明け方までに入り口を通れるようにするのは
難しいでしょう」
そう言ってルナールは、遺跡の入り口のほうへ目を移した。
「おや……?」
ドミーナは、ルナールが自分のほうを向く気配を察して、すぐさま横穴の
中へ頭を引っ込める。
「英雄王たちを討つには、入念な計画と下準備が不可欠。だが今回の出兵は、
あまりに突然だったんで、準備期間がなさすぎた。うむう、やはり今回、英
雄王を討つのは無謀か。仕方ない。今回は見送ろう。ここでの会話も無かっ
たことにする。俺たちはここで会わなかった。それでいいな? ん? どう
したルナール?」
ジーッと遺跡の入り口のほうを見つめているルナールを、チザムは訝しん
だ。
「見間違いかもしれませんが、いま遺跡の入り口のところで何かが動いたよ
うな……」
「なに!?」
(しまった!)
ドミーナは、ルナールが自分のほうへ顔を向けた瞬間、咄嗟に頭を引っ込
めたものの、頭に付けていたボンボンまでは、完全には穴の中にしまいきれ
ていなかったのだ。
(まずい、まずい、まずいっ!)
四つん這いの姿勢で、穴の奥へと大急ぎで後退しようとするドミーナ。
でも、それがいけなかった。
焦っていたため、うかつにも少し退がったところで、壁に体をぶつけてし
まったのだ。
衝撃でボロボロ崩れ落ちる壁と天井。
遺跡内部へと続く坑道は、崩れた壁材で塞がれてしまった。
これでは遺跡のなかへは引っ込めない!
ケホンッ、ケホンッ。
舞い上がった埃を吸い込み、ドミーナは小さく咳き込む。
でも、爛々と光る豹のような目が、ジーッと坑道内を覗き込んでいるのに
気付いて咳を呑み込んだ。
埃を吸わないように、袖で口許を覆い、息を押し殺す。
(大丈夫よドミーナ。坑道内は暗いんだから。動かなければ気付かれっこな
いわ)
ドミーナは、そう自分に言い聞かせた。
しかし少女は、うっかり失念していたのだ。
光り物は何も、チザムの光る眼や、ルナールの髪だけではなかったことを。
胸元にぶら下げている紅玉が光っているのに気付き、袖で覆い隠したとき
にはもう遅かった。
「見つけたぜ!」
「わっ、やばっ」
豹の眼を持つ男は、紅玉の放つ光を見逃してはくれなかった。
チザムは、スラリと腰の剣を引き抜くと、腕ごと穴に突き込む。
「ひっ」
坑道奥で四肢を縮こまらせていたドミーナは、剣先で爪先を突つかれ、ひ
きつった声をあげた。
でも、剣が届くのはそれが限界。
穴奥に縮こまっていれば、ドミーナの体までは、ギリギリ届かないようだ
が、それでも少女は気が気ではなかった。
「何者です?」
ルナールの声。
チザムだけでなく、ルナールも遺跡の入り口近くまでやって来たらしい。
黄色い目に続いて、青い眼も坑道内を覗き込む。
「どうやら小便臭せえガキみてえだ。だが、さっきの話を聞かれたからにゃ
あ、ガキだろうと生かしちゃおけねえ。オラッ! そんなとこに隠れてない
で出てきやがれ!」
でも、殺されると判っていて、出て行く馬鹿はいない。
追い詰められた少女は、やぶれかぶれになって叫んだ。
「話は聞いたわ! 私を殺すって言うのなら、あなたたちが英雄王を暗殺し
ようとしていることを、大声で言いふらしてやるんだからっ!」
「このガキがっ、調子に乗りやがって!」
「で、でも、見逃してくれるなら、あなたたちが密会していたことは話さな
いでおいてあげる!」
「なんだとーっ? 自分の立場わかって言ってんのか? ああん?!」
「チザム落ち着きなさい。声から察するに相手はまだ幼い子供、それも女の
子みたいじゃないですか」
ルナールが憤るチザムを諌める。
「だってあなたたちは、先の戦争を終わらせてくれた正義の味方なんでしょ
? 私も戦争を止めたくて、ここまで直訴しに来たの。目的はあなたたちと
一緒よ。協力し合えるわ!」
ドミーナは、二人に何とか敵でないことを理解してもらいたくて、必死で
訴えた。
でもドミーナの言葉は、むしろチザムの怒りの炎に油を注いでしまったよ
うだ。
「ふざけたこと抜かしてんなよガキが!」
低い声で恫喝され、肉食獣を想わせる眼でギロリと睨まれて、少女は穴奥
でブルッと体を震わせた。
「戦ってのは、お前みたいな小っちゃいのが出て行って納まるようなもんじ
ゃねえんだよ! だいたい、あの英雄王たちが、直訴なんて聞くタマかい!」
「でも、戦を止めてもらわなくちゃ、私の村が焼かれちゃうの……」
「あなたの村が焼かれようと、ワタクシたちの知ったことではありません。
万一、密告しようなどとすれば、英雄王たちが焼かずとも、ワタクシたちが、
あなたの村を焼くことになるでしょう」
ルナールは冷たく言い放った。
上品な顔をしているルナールだが、言っていることは、乱暴な物言いのチ
ザムよりもずっとエグい。
「あうううぅっ!」
ルナールに脅され、縮みあがってしまったドミーナは、半べそをかきつつ
穴奥に積もった瓦礫を死に物狂いで掻き出して、遺跡内へと逃げ帰るしかな
かった。
でもどういうわけか、ドミーナが崩れた壁を掻き出しているあいだ、外の
二人は一切ちょっかい出して来なかった。
まるでドミーナを、あえて見逃してくれたみたいに。
「いいのかよ、見逃して。俺たちのこと……告げ口……かもしれないぜ」
遺跡内に引っ込んだあとも、少女の耳には不鮮明ながらも、二人の会話が
聞こえてきていた。
「大丈夫……これだけ脅しつけてやれば……。それに……幼いわりに肝が据
わって……将来、大人物になるやも……」
「肝が据わっている? 泣いてたじゃねえか……」
「必死で泣き声を殺して、大泣きはしませんでしたよ。それだけでも大した
もの……」
「……ドリアの狡猾狐と呼ばれた男が、甘いねえ。甘い甘い……」
チザムが甘いと言ったあと、続けてチャキッという金属音が聞こえた。
どうやら抜刀していた剣を鞘に納めたようだ。
「そういう黒豹殿こそ……剣に全然殺気を感じませんでしたよ……」
「フンッ……知ったような口きくんじゃねえ……」
ルナールの物言いが気に食わなかったのか。
チザムは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「まあ、大陸の行く末を案じ、英雄王たちを除こうとしているワタクシたち
が、自らの手で次の世代を殺してしまっては、大義名分が立ちませんからね」
誰かに聞き咎められるのを恐れて、終始抑え気味のトーンで喋っていた二
人。
だがルナールは、突然今までとは打って変わって大声で言った。
「建前でも、大義名分は大事かい。でもよお、どっちみちあの嬢ちゃんの村
はもう……」
チザムも、大きな声で応える。
「ええ。村は焼かれ、村人も全員殺されるでしょうね。気の毒ですが、誰に
も、どうしようもありません!」
人目も憚る秘密の会談のはずなのに、大声を出すなんて。
チザムとルナールは、ドミーナが、まだ会話を聞いている可能性に思い至
らないのだろうか。
いいや。
自分たちの主人を欺くほどしたたかな二人だ。
ドミーナが、会話を聞いている可能性に留意していないわけがない。
(そうか、これは私への警告……)
二人は、他の兵に見つかる危険を冒してまで、あえて大声を出して、ドミ
ーナに警告を送ってくれていたのである。
もう村のことは諦めて逃げろと。
チザムは、ルナールがドミーナを見逃した理由を建前だと断じたが、二人
が大陸の行く末を案じているというのは、案外本当のことなのかもしれなか
った。
しかしルナールとチザムの警告は、皮肉にも二人の思惑とは裏腹に、少女
に作用した。
「やっぱりこのまま何もしなかったら、アガシャお祖母ちゃんも、村の人も、
みんな殺されちゃうんだ。私が何とかしなきゃ……」
泣きべそをかきながらも、ドミーナは、王へ直訴する決意をより強くした。
◇
青空をバックに、白亜の突塔が、いくつもそびえ立っている。
そのうちの一本の前で、ドミーナは、くだんの蚕怪人と向き合っていた。
前屈みになる巨大な蚕怪人。
その巨大な手が、ドミーナのほうにヌウッと伸びてくる。
ドミーナは、手から逃れようと焦るものの、どういうわけか体は、まった
く言うことを聞いてくれない。
(どうして? 体が動かない!)
そうこうしている間に、怪人の白い手は眼前まで迫り、彼女の視界全体を
覆った。
(もうダメッ、握り潰される!)
死を覚悟し、ギュッと眼をつぶった瞬間。
ドワーン! ドワーン!
脳ミソを痺れさせるような凄い音がして、ドミーナは現実へと引き戻され
ていた。
目を開くと、そこは見馴れた遺跡の石室の台座の上。
ドミーナは、軍隊の号令に用いる銅鑼の音によって、目覚めさせられたの
だ。
戦闘が開始されるまで起きているつもりだったのに、ついうたた寝してし
まったらしい。
あまりにリアルな夢だったので、夢から醒めたあとも、しばらく心臓は、
早鐘を打っていた。
でも、なるほどとドミーナは思った。
夢の中の出来事なら、非現実的な光景も、体が思うように動かなかったこ
とも合点がいく。
「いけない、いけない。いつの間に寝ちゃったんだろ」
ドミーナは、ひとつ背伸びをすると、台座の上に置いてあったカンテラを
引っ掴み、もう片方の手で台座の隅に掴まって、軽い身のこなしで台座を飛
び降りた。
ところが、台座から手を戻してみると、その掌は、べっとりと真っ赤な血
で濡れていた。
「ひゃっ!」
ドミーナは、ビックリして素っ頓狂な声をあげる。
ところが、改めて掌を確認してみると、血など何処にも見当たらなかった。
掌をくるくる回転させてみても、やはり何処にも異常はない。
ペンダントの発する赤い光に照らされたのを見て、手に血が付いていると
錯覚したのだろうか?
でも紅玉の明滅は、以前よりだいぶ落ち着いてきていて、カンテラの灯り
に圧せられるくらい弱くなっている。
ペンダントの光に照らされたせいとは考えづらい。
それに光に照らし出された赤色にしては、手に付いた血の質感は、滴りそ
うなくらいリアルだった。
「やだなー。私、まだ寝ぼけているのかな?」
ドミーナは、幻覚を振り払おうと頭を左右に振ってから、石室をあとにし
た。
そして遺跡の西の入り口の隙間から、そっと顔を出して、戦場の様子を窺
う。
既に東の空は、黎明の白い光で満ちていた。
一方大地を染めていた薄明の青色は、少女が見つめている間にも、どんど
ん薄くなっていった。
そしてついに両軍は、決戦の夜明けを迎えた。
「進ぐーーん!」
掛け声と、陣太鼓に合わせ、黒い鎧に身を固めたゴウラ軍一万が一個の巨
大生物のように秩序だって動き出す。
白い鎧に身を固めたザンドリア軍九千も、負けじと一糸乱れぬ動きで前進
を始める。
そして隊列を組んだ両軍は、遺跡を横目に見て、二百メートルという近距
離で睨み合った。
白黒併せて一万九千の軍団が、朝日を浴びて向かい合うさまは壮観の一語。
その様子を最前列で見守るドミーナは、緊張で口の中がカラカラ。
ゴクリと唾を飲み込むと、嚥下音がやけに大きく鼓膜に響いた。
相当な覚悟を持って戦場へやって来たはずのドミーナも、流石にこの圧倒
的な大軍勢を目の当たりにすると気後れしてしまっていた。
「うう、いまから怖気づいててどうするのよ。覚悟を決めなさいドミーナ。
もう後戻りは出来ないんだから!」
ドミーナは、尻込みしそうになる自分の心を叱咤した。