水面下で
――暗い……ここは一体何処……?
深く湖の底に居るみたいな感じに体を包まれながら彼女は光の失った瞳で上を見上げていた。
水の中の割りには全然苦しくなく、普通に息も出来る。体の自由も効くし、出ようと思えばここから上に向かって出れそうなのだが、彼女はとある理由でこの場から動こうとしなかった。
――私は……私は誰だっけ……
そう彼女は自分が何者か全く分からず、思い出そうとしているのだが一向に思い出す兆候がない。
名前も出生も今まで何をしていたのかも思い出せない。ただ唯一覚えているのは何か苦しい思いをしていたということだけ。
――私は……私は……!
思い出そうとすると頭が痛くなる。その度にもう痛い思いはしたくないという気持ちが強くなる。
それならばもう思い出さない方がいいのでは――。
もう辛い思いをしたくないならじっとしとけばいいのではないか。
気が付くとこちらに向かって黒い裾から手が伸びていた。こちらも手を伸ばせば何とか届くだろうという距離。既に思考も曖昧な彼女にはあれが誰の手なのかも気にすることはなく自然と手を掴んでいた。
これでもう辛い思いをしない。そんな根拠の無い思いのまま彼女は水面から引きずり出された。