使用者一人目:俺は便器
現状を確認しよう。
俺は便器になったはずなのに視覚がある。味覚はない。嗅覚もない。触覚はあり、寒さを体全体で感じている。残る聴覚も機能している。おそらく便器が震えて、その振動を脳が処理しているのだろう。脳は確信はないが貯水タンクであろう。神との会話がタンクを通じてされていたのが論拠だ。
体を動かす。
人間だった頃でいうと上半身を起き上がらせる動作が蓋の開閉になっている。
横になった体勢で蓋が閉じ、起き上がる角度に比例して蓋が開く。
次に腕。左腕はレバーに直結しているが右腕は機能しなかった。
試しにレバーを回してみるとジャー、と水が流れた。
感覚的には漏らしたみたいで恥ずかしい。そのうち慣れるだろう。
水を使ったことでタンクの水量が減ったのを感じる。
水が有限だとしたらヤバイ。
(試すべきではなかったか...)
その心配は杞憂で、しっかり水は給水されてホッと一安心すると共に、けだるさを覚える。試しにもう一度流してみると、さらに精神的に疲れる。
おそらくゲームのマジックポイントみたいなモノであろうと納得した。
排水に関してはよく分からなかった。
異次元にでも通じているように、あるポイントまでいくと消えてしまう。
以上が俺のスペックだった。
温水洗浄や便座暖房などはなく悲しい。
次に周囲の環境だ。
どうやら大木の中にいるらしい。広さは駅のトイレと同じくらいだ。
便器が一つしかないから開放感がある。
入り口に扉はなく、外の光景が見える。
ここからでは木が生い茂っているのを確認できる。
林か、森か。大木のサイズを考えれば森のほうが可能性は高そうだ。
これなら人は来ないだろう。
じっくりと無心に至る瞑想をすることが―――。
「お。なんだこりゃ」
男が入ってきた。
服装は薄汚れており、破けている箇所も見られる。
顔を見ると、善良な人間には思えなった。
「へへっ。もしかしてお宝か」
男は俺に近づきしげしげと観察してくる。
裸を三百六十度見られているようで恥ずかしい。
(恥ずかしいって思ったらだめだ。無心無心。心を無にしよう)
ペタペタと触ったり、コンコンと叩いて材質を確かめている。
「こりゃ上物だな」
舌なめずりして俺を持ち上げようとする。
「どっこいせーっ!」
俺は動くことが出来ない。
もしかしたら運び出されてしまうかと不安になる。
「うおおおおお...」
大丈夫そうだった。
「くそっ! ちっとも動かないな。高く売れそうだったのになー」
(残念だったな。持ち出せないから帰ってくれないかな)
「もういっそのこと。壊しちまうか」
(―――!?)
「破片でもそこそこの値段になるだろ」
(ちょっと待て! それは困る)
どうにかして破壊を止めなければ。
声は出ないし、攻撃も出来ない。
(こうなれば一か八かだ)
「おっ!? 勝手に蓋が開きやがった!?」
水を流す。
「すげぇー! なんだこりゃ」
(この反応。もしかして便器を知らないのか)
「この水、綺麗だな」
(おい。お前、まさか)
男は便器の水に指をいれる。
指に付着した水をペロリ、と舐める。
「うまい。うまいぞ!」
俺の認識でトイレが形成されているのであれば、水は日本の上水だ。
現代日本の浄水技術は世界で断トツである。
下手をすると泥水をすすっているかもしれない男にすれば清澄な湖の水に匹敵するだろう。
「ひひっ。良いことを思いついた」
男は不安な台詞を残して便所を出て行った。
(ふぅー、壊されなくて良かった)
しかし矜持は壊された。
(俺は便器だぞ! 泉か噴水かと思われるのは業腹だ!)