第八話 鳥の導き
「やぁ、千秋。久しぶり。今日はどうした? 昼飯か? それにしちゃあ、ちっと遅いな」
噴水広場に行く前に顔馴染みのパン屋に入ると、小太りの店主が笑顔で迎えてくれた。香ばしい匂いに、ケーキを食べたばかりの腹が空腹を訴えてきそうだ。
千秋は彼に、廃棄になるはずのパンの耳を無料で譲ってもらうと、礼を言ってそこを後にした。
始終、真紅と華理についてしつこく聞かれたのは言うまでもない。
程なくして、千秋たちは目的の噴水広場に辿り着く。
中央に大きな噴水を飾った広場は、高い豪奢な時計とともに、この辺りのシンボルとして掲げられている。そこは、昼時には会社員が昼ご飯を食べるため、休日は友人や恋人との待ち合わせに活用されている。
「それで? そのパンをどうするの?」
華理は千秋の手に握られた、ビニール袋いっぱいのパンの耳を見た。
「ま、見てなって」
時刻が夕方に近づいているからか、噴水広場の人通りはまばらだ。噴水に向かうように並べられたベンチの一つに、千秋は腰を下ろす。その隣には、彼に手を引かれて鳴子が座った。
「あたしが千秋の隣に座る!」
「あなたは今まで十分隣にいたんだから、そこは私に譲るべきでしょう?」
女の激しい戦いに、鳴子が怯えるように千秋の後ろに隠れる。
それに軽く嘆息していると、目敏く千秋の手の中のものを見つけた鳩が、千秋たちの足元に集まって来た。
「わぁ、ハトさんだ」
鳴子が感歎の声を上げる。
彼らは、昼ご飯やおやつのおこぼれを目当てに、この場所に通っている鳩たちだ。かなり人慣れしている様子で、クルッポゥと首を前後に動かしながら、彼らはどんどん数を増やしていく。
千秋は彼らの期待に応えるべく、袋の口を開け、パンの耳を数個、足元に放った。すると、それを奪い合うように鳩が激しく突き始める。
母親とはぐれたことも忘れて、少女はその様子を楽しそうに見ていた。
千秋は鳴子に、パンの耳を小さくちぎって渡す。その小さな手のひらに、数羽の鳩が飛び乗った。
呆気に取られる真紅と華理を余所に、千秋は鳩の群れに声を掛けた。
「《なぁ、手伝ってもらいたいことがあるんだ》」
彼の言葉の意味を理解したのか、鳩の目が一斉に千秋を見る。そこから、二羽の鳩が去って行った。食い逃げ、という言葉が頭に浮かんだが、耳(?)を貸してくれる鳩がいてくれたことに、千秋は安心感を抱いていた。中には、彼の肩や腕に乗って、クルッポゥと鳴く鳩もいる。
千秋は少女の頭に手を乗せて、再び口を開いた。
「《この子の母親を探してるんだ。力を貸してくれないか?》」
クルッポゥ、と鳩の群れのあちこちから鳴き声が上がる。その様子を、噴水広場を訪れる、または通り過ぎる人たちが一様に怪訝な表情で見ていたが、千秋はあまり気にならなかった。
「二人とも、紙かメモ帳、持ってるか? ペンもあると助かるんだけど」
二人はバッグの中を探り、いち早く見つけた華理が、スケジュール帳から紙を破り、ペンを手渡す。
そこに千秋は、さらさらと文字を書いた。
少女たちがその手元を覗く。千秋が書き終えるのと同時に、彼の肩にいた鳩がそれをくちばしに咥えて飛び立った。それを合図に、千秋たちの足元にいた鳩たちも一斉に飛び去る。
「きっと、もうすぐお母さんに会えるよ」
「うん!」
もう、少女の目には恐怖も不安も見受けられない。
余ったパンの耳を頬張りながら、待つこと十分強。
バサバサ、と羽音を立てて、四羽の鳩が彼らの元へ帰って来た。足元に降り立ち、クルッポゥと頭を前後に動かしながら鳴く。
その様子は、どこかへ誘っているように思えた。
「見つかったのか?」
それを肯定するように、一羽の鳩が彼の肩に乗る。
「ママッ!」
そう言って、鳴子はベンチから飛び降りた。その後を追って、千秋は残り少なくなったパンの耳の袋を持って立ち上がる。
導くように前を飛ぶ鳩たちを、千秋と鳴子、その後に続いて真紅と華理が追い掛けた。