第七話 迷子の雷
翌日の正午。天気は快晴。
千秋の私服は、半袖のシャツにジーンズとラフな格好。友達と出掛けるのに気取った格好をする必要もないと、特に何も考えずに選んだ結果だ。
待ち合わせ場所に十分前に着くと、程なくして二人もそこへやって来た。
「よぉ、二人とも早いな」
「千秋もね。……本当はもう少し早く来れるはずだったんだけど?」
小走りで後ろから走って来る真紅を、華理がじろ、と睨む。
「華理ちゃん、待ってよぉ」
彼女の話によると、どうやら真紅の髪が決まらなくて、出るのが遅れたらしい。
「だって、寝癖が直らないんだもん。今だって、ほら。ここのところ」
確かに、右の襟足がわずかに跳ねている。
「まぁ、寝癖なんてそんなに気にすることねぇよ」
「気になるよ! だって、せっかくのデ、デート、だし?」
「私との、デートよ」
バチバチ、と火花が散る。
そもそも、三人で出掛けてデートと呼べるのだろうか。
「ほら、時間なくなるぞ。君たちは門限があるんだから、早く行こうぜ」
寮の門限は午後七時まで。寮の食堂が閉まるまでに帰らなければ、夕食を食べそびれてしまう。
「その前に、この服どう? 似合ってる?」
くるり、と回るのに合わせて、華理の桃色のスカートが翻る。同じ色のノースリープは胸元が大きく開いており、彼女の豊満な胸の谷間がわずかに覗いているが、千秋はそれより、首を飾る桜の花を模ったピンク色の石が気になった。
「……その、ペンダント……」
「え……?」
どこか見覚えのあるような気がしたのだが、真紅が千秋の服の袖を引っ張ったことにより、彼の意識はそれてしまう。
「千秋、あたしの服も見て!」
「分かった、分かった。二人ともよく似合ってるって」
雑貨屋、文具店、本屋、流行を取り扱うブティックなど、学校の周囲にあるショップをブラブラと歩き、三人は近場のカフェで一息つくことにした。
時刻は午後三時。風が少し冷たくなってきたが、夏であるためかまだまだ日は高い。
「はぁ、疲れた。足が棒だよぉ」
「こんなに歩くことないものね。でも、楽しかったわ」
「そりゃ、案内した甲斐があるってもんだ」
前払いでドリンクとスイーツを注文し、テラス席で喉の渇きを潤す。
「だいたい見て回ったと思うけど、他に行きたいところはないか?」
「そうねぇ……」
白く長い指を顎に当てる仕草は優雅だ。そして彼女は、真紅の後ろに視線を結んだ。
「そういえば、まだあそこへ案内してもらってないわ」
華理の細い指を二人分の視線が辿る。
瞬間、千秋と真紅の身体が強ばった。
そこは、学校付近では一番大きなデパートだ。二つのデパートを繋ぎ、家具や家電、雑貨、文具、本など、あらゆるものが全て揃う。あのデパートができて、それまであった店の売り上げは激減してしまったとのことだ。この辺りに残っているのは、未だ根強い人気を誇る老舗の店舗のみ。
「もしかして、聞かない方が良かったかしら?」
二人の様子の変化を敏感に悟り、案じるように彼を見る。
「い、いや、気にしないでくれ。確かに、この近くの学校に通ってて、あのデパートを知らないのも変な話だ。これ食い終ったら行こう」
「でも、千秋……」
そう呼ぶ真紅の声には、微かな怯えが混ざっていた。
あのときの恐怖が抜けきっていないのだろう。
三年。まだ、たった三年しか経っていない。
「無理しなくてもいいわ。場所は分かってるんだし、今度別の誰かを誘って……」
そのときだった。
澄み渡る晴れの日には不似合いな、子どもの泣き叫ぶ声に、三人は会話を止める。
「何かしら? もしかして迷子?」
そう言いながら、華理は首を巡らせて声の主を探す。
「千秋、あそこ」
真紅が指を差した向こうには、水玉模様のワンピースを着た、五歳くらいの少女が、おぼつかない足取りで歩いていた。
ママ、と言っているところから、華理の言う通り迷子であることが推測できる。
そんな少女を、通行人はどこか忌避するように避けていた。それは面倒だ、という理由だけではない。
少女の周囲を、パチパチ…、と稲妻が弾けている。
魔法が少女の恐怖に反応しているのだ。
少女の髪留め、魔晶石をつけたヘアゴムが発光していた。
媒介は、早い時期から持たせると魔法の覚えが早くなるという考え方と、暴走させたときの危険性から、せめて十歳を迎えるまでは持たせるべきではない、という考え方の二種類がある。どうやら、少女の親は前者の考えを持っているようだ。
稲妻から見て、少女は雷使い。だからこそ、痛い思いをしたくない通行人たちは少女を避けて行く。
それを千秋は非情だとは思わなかった。誰だって、自分から痛い思いをしようなどとは思わない。
少女の泣く姿が、幼い頃の真紅と重なって、彼は心の中で苦笑する。
千秋、と二人の少女の驚く声と食べかけのケーキを残して、彼は少女の元へ走った。
突然やって来た千秋に、少女は足を止めて見上げてくる。暗い茶色の髪は耳の上で二つに結ってあり、深い藍色の瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
悲しみ、というより、恐怖と不安が大きいだろう。
膝をついて視線を合わせた千秋は、少女の肩に手を伸ばした。
パチ…ッ、と火花が散り、刺すような痺れに顔を顰めそうになる。彼はそれを気力で堪え、笑顔を作った。
「オレ、千秋って言うんだ。君の名前は?」
一瞬、怯えた表情を見せたが、千秋の優しい笑顔におずおずと口を開く。
「……なるこ」
「そうか、鳴子ちゃんって言うんだ。可愛い名前だね」
ちゃんと答えられたことに、偉いね、と頭を撫でてやる。動かした手に、再び電流が走ったが、その痛みは無視した。
「鳴子ちゃんは、お母さんとはぐれたの?」
うん、と小さく頷いた少女に、千秋は「そっか」と相槌を打った。
「じゃあ、お兄ちゃんが魔法で探してあげるよ」
「……ほんと?」
しゃくり上げる鳴子に、今度は千秋が大きく頷く。その後ろに、二つの足音が立ち止まった。それが真紅と華理のものであることは、確認しなくても分かる。
「《もう泣かなくても大丈夫だよ。何も怖いことなんてない。お母さんが見つかるまで、お兄ちゃんが一緒にいるから》」
魔法を使ったのは、早く少女を安心させたかったから。
恐怖と不安の海から、救い出してあげたかったから。
彼の魔法ならば、確実に少女の不安を取り除き、安心を与え、その涙を止められる。
よしよし、と頭を撫でて、千秋は鳴子の涙を拭った。
「……うん」
鳴子の心情を表わすように、少女を取り巻いていた稲妻が徐々に弱まっていく。
それを確認して、千秋は鳴子に手を差し出した。
「じゃあ、お母さんを迎えに行こう。今頃、心配して探してるはずだよ」
「でも、どうやって探すのよ。私も真紅も、探し物は得意じゃないわよ?」
それは、魔法の適性の話だ。真紅の魔法も華理の魔法も、探し物を見つけることはできない。
「あのなぁ。ここにいるのは君たちだけじゃないだろ」
「えっ? 千秋が探すの?」
どうやって? と目を丸くする真紅に、千秋は歩き始める。
「まぁ、ちょっと準備を……って、そういや、オレの残したケーキ……」
「真紅が食べちゃったわよ」
「ご、ごめんね? もったいないと思って……」
まあ、真紅と同じように、残してはもったいないと思っての発言だ。ちゃんと食べたのであれば問題はない。
鳴子の手を引き、二人の少女を連れて、千秋はカフェの先にある噴水広場へ向かった。