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第二話 花の香り

「ん……」

 カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさに、千秋は目を覚ました。

 ベッドの枕元にある目覚まし時計を見ると、まだ五時半。起きるにはあと三十分ほどの余裕がある。

 まだ瞼が開ききらないが、このまま二度寝してしまうと、うっかり目覚ましの音を聞き逃してしまいそうだ。

 怠い身体を思いきって起こし、大きく伸びをして、固まった身体を解した。

 視界には、慣れ親しんだ部屋の景色が映る。

 本棚、机、クローゼット、音楽プレイヤーなど、全体的に年頃の男子の部屋だ。

 制服に着替えることなく、部屋を出た彼は階下に向かう。

 リビングに行くと、既に起床し、千秋と真紅の二人分の弁当を作る母の姿があった。

 金色を帯びた茶色の髪を結い上げてキッチンに立つ母は、息子の姿を見つけ、にっこりと微笑む。

「おはよう、千秋。今日は早いのね」

「ああ、おはよう。目が覚めちゃってさ」

「お弁当はもうできるけど、朝ご飯はもう少しかかるわ」

 にこにこと楽しそうに料理をする母の、その顔色をじっくりと窺う。

 今日は血色も良く、体調も良さそうだ。

 その視線に気づいたのか、母はくすくすと笑い出す。

「大丈夫。今日は調子がいいのよ?」

「そうみたいだな。安心した。……でも、体調が悪いときは無理しないでくれよ? 昼は弁当じゃなくても学食とか購買もあるんだから」

「心配性ね」

「別に、そういうわけじゃ……」

 言いながら、彼は食卓の自分の席に腰を下ろす。

 心配するのは当然だ。彼女は自分の母なのだから。

 しかし、それ以上に、彼が母を心配する理由がある。

 母の身体が弱いのは、自分のせい(・・・・・)なのだ。

 千秋を助けたせいで、母の生命は(・・・・・)削られてしまった(・・・・・・・・)

 そこへ、千秋の目の前にいつもの手提げが置かれる。

「はい、今日のお弁当よ。真紅ちゃんの分もあるわ」

「ありがとう」

 幼馴染みである真紅が同じ学校に入学すると分かって、母は彼女の弁当も用意すると言った。一人分も二人分も手間は変わらないと言って。

「おはよう、母さん。千秋も、もう起きていたのか」

「おはよう、父さん」

 そう言って登場したのは、千秋の父だ。

 小さな運搬業者の社長である父は、着古したスーツにおしゃれな黄色のネクタイを締めている。茶目っ気もあり、部下からも好かれているらしい。

 短い栗色の髪に、優しげな茶色の目。千秋の瞳は父親譲りだ。

 いつもなら、着替えまで済ませて階下へ下り、父と母と共に朝食を摂るのだが、今日はいつもより早く起きてしまったため、着替えが終わっていない。

「もうすぐ朝食ができますよ」

 そう言って食卓の、千秋の隣に座った夫にコーヒーを出す。

 すぐにご飯ができるなら、着替えはその後でも間に合う。

「学校はどうだ、楽しいか? お前は母さんに似て美人だから、女にモテるだろう。彼女ができたら、家に連れて来いよ」

「父さん、男に『美人』なんて使わないだろう、普通」

「そうか、男はハンサム……いや、最近はイケメンって言うんだったな」

 顎に手を当てて父が納得する。

「だいたい、オレ、そんなにモテないよ」

「そんなはずないだろう。いつもあんなに手紙を貰ってきてるんだ。あれ、ラブレターだろ?」

 確かに、手紙の中にはラブレターと呼べるものもあるが、正直、親にそういう告白やラブレターの話はあまりしたくない。

「何だ、内緒か? なら、母さんには黙っててやるから、父さんにこっそり話せ。彼女がいるのか? ん?」

 黙ってしまった息子に、父は耳に手を当てて、教えろ、とせがむ。

「いや……彼女はまだ……」

 千秋は年頃の少年だ。彼女が欲しいとは思っている。だが、まだ好きな女の子がいないのだ。

「何だ、情けない! せっかくイケメンなんだから、女の一人や二人口説いてみろ!」

「あなた、千秋はまだ高校生になったばかりなんですよ。もう少し時間が経てば、彼女の一人や二人、できるかもしれませんけど」

 トレーに朝食のパンを乗せて、母が食卓に運んでくる。

 パンの香ばしい香りに、次第に空腹感を覚えてきた。

 目の前には良い具合に焼かれたパンとサラダが置かれ、次にスープが並べられる。

「……って、ちょっと待て。彼女が二人いたらまずいだろ」

 はっと我に返って、母の発言にツッコんだ。

 朝食を並べ終えて父の前に腰を下ろした母は、あらあら、とでも言いたげに口元を押さえて笑っていた。とても失言した人間には見えない。

「そう言えば、真紅ちゃんとはどうなんだ? 彼女にできそうか?」

 どれだけ息子の彼女に興味があるんだ。

「真紅は幼馴染みで、別に彼女にするとかしないとか、考えたことないよ」

「そんなこと言って、他の男に盗られたらどうする!」

 パンにジャムを塗りながら、父は息子に唾を飛ばす。

 分かったから、もう少し静かにしてくれないか。

「でも、真紅ちゃんは千秋のことが好きなんじゃないかしら? そうでなきゃ、学校まで追いかけてきたりしないでしょう?」

 スープを飲みかけていた千秋の手が、止まった。

 一般の学校に入学しようとしていた彼に、真紅は自分も行くと言っていた。だが、真紅の家は名門で、彼女の父親は魔央高校への入学を命じていたのだ。実際、千秋は国の勧めで魔央高校への入学を決め、彼女もそこへ入学することとなったが。

「真紅は、何も言ってないよ」

 スープを飲んで、ジャムを塗り終えた父からそれを受け取る。

 真紅の気持ちには、千秋も気づいていた。

 それでも、千秋はそれを本人に言うつもりはない。

 真紅が想いを告げるまでは、幼馴染みでいるつもりだ。

 そんな日が来なければいいと思うのは、自分勝手だろう。

 告白を受けたことはあるが、真紅から言われるのは、一番辛いかもしれない。

 彼女は、千秋にとっても特別な女の子だから。

 それは、恋愛という意味ではないけれど――。



 律儀に校門の前で千秋の登校を待つ真紅と落ち合い、二人は教室へ向かった。

「おはよう」

「おお、千秋!」

「おはようございます、言花君」

 そう言って中に入ると、クラスメイトの海原(かいはら)と七海が千秋に駆け寄る。

 スポーツ刈りで背の高い海原と、眼鏡を掛けた神経質そうな七海。二人は同じ水流使いで、『海』の字を持つ、王家の血を引く人間だ。

 全くタイプの違う二人だが、幼稚園の頃からの付き合いらしい。

「おい、千秋。お前聞いたか?」

「何を?」

 話しているうちに、真紅はスタスタと自分の席へ行ってしまう。

 相変わらず、クラスメイトと馴染めないようだ。

「どうやら、このクラスに転入生が来るようです」

「転入生?」

 会話をしながら自分の席に着くと、二人もそれについて来る。

「女子らしいぜ。すげー美人だって。楽しみだなぁ」

「目撃者によると、彼女は銀色の髪をしているとのことです。転入生は月映人かもしれませんね」

 眼鏡のフレームを上げながら、七海は自分の聞いた話を二人に教える。

 新国王即位より始まった文化交流で、最近は町中でも陽生人や月映人を多く見かけるようになったが、学校では隣国の留学生はまだ珍しい。まったくいないわけではないが、やはり目を引いてしまい、居心地の悪さを感じているかもしれない。

「どっちにしろ、転入生は楽しみだな。他国から来たならなおさら、知らない話も聞けるわけだし」

「確かに、他国の文化を取り入れているとは言っても、まだまだ隣国には知らないことが多いですからね」

「いやいや、それよりも、美人な転入生とお近づきにな――……」

 海原の言葉を遮るように、スピーカーから予鈴が鳴り響く。

「時間ですね。海原、さっさと自分の席に戻りたまえ」

「お前は教師か! だいたい、お前だってまだ席に――」

 ガミガミと吠える海原と、長年の要領でそれを聞き流す七海。二人が席に着くのと同時に、教室の扉が開いて担任の男性教師が入って来た。

「おはようございます。今日は、転入生を紹介する。……入りなさい」

 最後の言葉は、廊下に投げかけられた。

 はい、と言う返事と共に、教師が閉めた扉が再び開かれる。

 クラス中が息を呑む中、ゆっくりとした足取りで、少女は入室してきた。

 銀色の髪が、生徒たちの視界を横切る。

 すらりとした四肢、透き通るような白い肌、同い年にしては豊かな胸と細い腰。整った顔を飾る瞳は晴れた日の空色で、妖艶な彼女に理知的な雰囲気を与えていた。

「月映国から来た、桜小路(さくらこうじ)華理(かり)さんだ」

 教師の紹介に、華理はぺこり、と礼をする。

「桜小路華理です。どうぞよろしく――……」

 言いながら頭を上げる華理と、千秋は目が合った。

 空色の瞳が見開かれ、みるみるうちに涙が溜まって、白い肌を滑り落ちていく。

 ぎょっとして頬杖をついていた手から顔を離すと、彼女は彼の名を呼んだ。

「千秋……っ」

「へ?」

 千秋の名は珍しくないが、このクラスでは彼しかいない。

 教室の中央やや右寄りの席は、彼女が立っていた場所からほぼ一直線。

 駆け寄った華理は、確かに彼の名を呼んで、彼の首に腕を回した。

 ふわ、と花の香りが千秋の鼻孔をくすぐる。

「ちょっと!」

 机を叩いて立ち上がった真紅の声が聞こえるが、今はそれを気にしている余裕はない。

「あ、あの……?」

「ずっと、会いたかった……」

 すり、と彼女は千秋に頬をすり寄せる。華理の豊満な胸が、彼の身体を押していた。

「たった一度会っただけだけど、あなたを忘れた日なんか、一日だってなかった。私、あの日からずっと、あなたのこと……」

 顔を離した彼女の顔は、再会の感動と喜びに酔っているようだ。

 その瞳が徐々に迫り、クラス中から歓声が沸き上がった。

「ちょっと、待て!」

 華理の身体を押しやり、千秋は何とか、唇の衝突と言う事故を防ぐ。

 雰囲気に呑まれ、危うく一線を越えてしまうところだったと胸を撫で下ろすが、周りからはブーイングの嵐が巻き起こった。

「千秋?」

 なぜ止めるのだと言わんばかりに、華理が怪訝な顔をするが、こちらには聞きたいことが山ほどある。

 そして、それを尋ねるより先に、言わなければならない。

「ごめん、その……」

 一拍置いて、慎重に言葉を選びながら、千秋は口を開いた。

「君のこと、憶えてないんだ」

 瞬間。華理の顔が、悲しみと失望に彩られた。


ここで噂の転入生投入。

楽しんで頂けていると嬉しいです。

誤字脱字ありましたら教えて頂けると助かります。

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