二十三話 言葉魔法
誠と入れ違いに、高飛車な声が入る。
「次はわたくしたちの番ですわね」
金色の髪が翻った。
「準備はよろしくて?」
「もう少し待ってくれ」
「な……っ」
出鼻を挫かれたように瑠璃は肩を落とす。
「華理、真紅を頼む」
「任せて」
もう立つこともできない真紅を華理に任せた彼は、瑠璃を視界に収めた。
「準備はよろしくて?」
どうやらやり直しをしたいらしいと察した千秋は大きく頷く。
「いつでもいいぜ」
千秋の腕には、他の生徒と同じようにブレスレットが光っている。必要ないものだが、こうすることで他の生徒と同じルールが通用する。もちろん、このブレスレットを奪われたら負けだ。
「その前に一つよろしいかしら?」
顔に掛かる波打つ髪を払い、彼女は怪しく微笑んだ。
「賭けをしませんこと?」
「賭け? 何を賭けるんだ?」
賭けるのは構わないが、内容にもよる、と彼は続きを促す。
「負けた方が勝った方の望みを何でも一つ叶える、というのはどうでしょう?」
澱みのないその言い方に、最初から決めていたのか、と内心で首を傾げる。
負けた方が勝った方の望みを何でも一つ叶える。
そう提案するからには、よほど勝つ自信があるのだろう。
「いいぜ。乗るよ」
「へ?」
提案者であるはずの瑠璃が間抜けな声を上げた。
「本当にいいんですの? あなたが負けたら、わたくしの言うことを聞くんですのよ?」
目を丸くして語る彼女に対し、彼は「ああ」と頷いて見せる。
負けるだろうと思っていた。
初戦で敗退するだろうと。
けれど、彼が今立っているのは決勝戦のフィールドだ。
全て真紅と華理が頑張ったおかげ。
でも、神條瑠璃が相手だと知って、やはりここまでだと思った。
「いいんだ。オレにも、負けられない理由ができた」
己の嫌いな部分を曝け出してまで戦ってくれた、二人のために。
今度はオレが返す番だ。
「悪いけど、今回はオレが勝たせてもらう」
しばらく呆けていた彼女は、口元に手を当てて上品に笑う。
「随分な自身ですこと。もう少し自分をご覧なさいな」
「確かにオレの魔法は戦闘向きじゃない。それでも、真紅や華理のために、オレは君と戦う」
ピクッと彼女の眉が反応を見せたのに彼は気がついた。
「よろしいですわ。だったら身の程を思い知らせて差し上げます! 花は愛でられるもの。自ら手折ってほしいと言ったこと、後悔させてあげますわ!」
「今だけは、花であることを捨てるさ」
二人の体勢が整ったのを見て、審判が高らかに宣言した。
「一年二組、言花千秋。一年三組、神條瑠璃。試合開始!」
宣言と同時に、彼女は魔法を放ってきた。それを千秋は身体を半身ずらして避ける。それに畳みかけるように、彼女は召喚した細い棒状の槍で斬りかかる。
縦に、横に、斜めに斬りつけられ、服が刻まれていく。だが、不思議と身体には傷がついていない。
「避けてばかりでは、わたくしに勝てませんわよ!」
「そういう君も、手加減してくれてるんだ?」
千秋を傷つけないように手加減しているのは、千秋にもすぐに分かった。
指摘を受けて、瑠璃の顔が微かに歪む。
「違いますわ!」
動揺している。仕掛けるなら今だ、と千秋は思った。
「《オレは君と戦いたくないよ》」
「!」
攻撃の手が緩んだ。彼女の顔は明らかに動揺している。
千秋は続けた。
「さっきはあぁ言ったけどさ、《戦うのはやっぱり嫌だよな》」
さらに攻撃が緩んだ。
「そ、それは……わたくしだって……」
ピシッ、と光の槍が千秋の右頬を掠った。赤い線が彼の頬に引かれる。
「……っ」
瑠璃の小さな悲鳴が漏れる。
今だ。
「《オレの言葉を聞いてくれ。風よ、砂塵を巻き上げろ》‼」
風が逆流し、千秋の言葉通り、砂塵が瑠璃を襲う。彼女は大きく飛び退って攻撃を回避し、千秋と距離を取った。
「言葉魔法……」
そう、これが千秋の魔法だ。
この魔法で相手の戦意を挫く。
本当なら「負けてしまえ」と言うのが一番簡単なのだが、もちろんそんなことはしない。
「くっ……だからって、負けませんわ! 絶対……負けません‼」
それはこちらも同じだ。
千秋と瑠璃の戦いで決着がつく。クラスのためではない。真紅と華理。二人が頑張ってくれた。だから、自分はここで負けるわけにはいかないのだ。
「負けられない!」
そう言った瑠璃の目には不穏な光が宿る。
自分とは別の、この試合の目的とは別の、何か戦う理由を持っているような気がした。
彼女は光の槍を消す。そして、腕を大きく広げた。
すると、光のシャワーが吹き荒れ始めた。
縦横無尽に翔ける光の雨が、千秋を襲い、身体に裂傷を刻みつけていく。
「くっそ……」
結界内を走り回っており、言葉を紡ぐ暇がない。
右足、左肩、腕、額など、どんどん傷が増えていく。
どうすればいいのか。
ここまでなのか。
自分は、負けるわけにはいかないのに。
そう、思ったときだった。
光が、発動している本人である瑠璃を襲い始める。
「な……っ」
だが、本人に気づいている様子はない。
ただ、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「わたくしは、負けるわけにはいきませんの。わたくしも蝶になるのですもの」
どういう意味なのか分からない。
どうして、ここで蝶が出てくるのだろう。
「蝶になって、わたくしも千秋さんに見つけてもらうのですもの! 見てもらうのですもの! そのためにも、わたくしは勝たなくてはいけませんの‼」
そこでようやく、最初に交わした約束を思い出す。
負けた方は勝った方の言うことを聞く。
それが、彼女の負けられない理由。
違う。そうじゃない。
彼女は戦いたくはないのだ。それでも、勝たなければいけないと自分に課している。その矛盾した想いが、千秋の魔法で均衡を崩してしまったのだ。
「オレのせいだ……」
魔法が完全に暴走している。使用者である魔法使いを傷つけてしまっているのが何よりの証拠だ。
無意識が意識を凌駕し、無意識に魔法を発動してしまうことを「魔法が暴走する」と言った。意識で魔法を制御できない現象だ。
感情を暴走させやすい子どもに多く、親が最初に子どもに教えることだ。
それも、媒介を外せば収まるが、彼女の周りは特に魔法の嵐が酷かった。
暴走と判断した審判である教師が、試合を中断させようとした。
そのときだった。
光のいくつかが、おもむろに瑠璃へ向かっていた。直撃すれば大ケガどころの騒ぎではない。
そう思ったときには、身体が勝手に動いていた。
光の嵐の中へ、千秋は身体をさらけ出す。
「か、は……っ」
背中に食い込む光の刃。その一つ一つが熱を持って身体を苛み、彼の口から小さくうめき声が漏れた。
「千秋!」
結界の外から、華理の悲鳴が聞こえた。それに、眠っていた真紅が目を覚ます。
「ち、あき……?」
見下ろす位置に瑠璃の顔があるのは、彼女の身体から力が抜けたせいだろう。
彼の身体からは血が流れ、飛び散ったそれが彼女の顔を汚した。
「千秋、さん……」
彼は微笑んだ。心配するな、と。だが身体は正直で、千秋の身体が大きく傾ぎ、瑠璃に覆いかぶさるように倒れた。
瞬間、観客から悲鳴が上がる。
「「千秋!」」
真紅と華理の悲鳴が重なった。
千秋くんは、自然と意識を交わして操ることも可能です……とここで補足しておきます。