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第十七話 母の覚悟

 あの子の声が聞こえる。母を呼ぶ、あの子の声が。

 意識を向けると、目の前は赤く染まっていた。

 それに、彼女は息を呑む。

 夕闇に(そび)え立つ巨大な二つのデパート。見上げるほどの高さがあり、互いを三本の連絡橋で繋いだそのデパートは、今、赤々と燃え上がる炎に包まれ、その身全体を焦がしていた。

 唸るサイレンの音が、次から次に集まって来る。群れる人だかりの向こうでは、まるで悪魔の放った炎のように、どれだけの水を浴びても鎮まる気配を見せない。

 息子の笑顔が脳裏を過った。

 誕生日だから特別なプレゼントを贈りたい、と無邪気に笑う我が子の顔が。

 特に何の節目だったわけでもない、子どもの小さな思いつきに、彼女はいつものように幼馴染みの少女と出かける息子の背中を送り出した。

 そして、その結果がこれだ。

 創立十周年だという、デパート。普段は馴染みの店でプレゼントを買ってきてくれる息子が、今日に限って、そこへ行ってしまった。

 同じものでも良かった。

 毎年同じものでも、自分にとっては違う物なのに。

 目の前で尽きることなく燃える炎を見ていると、消防隊が、野次馬に声を張り上げて呼び掛けた。

「どなたか、炎を消すのを手伝ってもらえませんか⁉」

 そう。この国には水流魔法の使い手が多い。

 遠くから水を掛けるだけなら、と数名が名乗り出た。

 しかし、それでは足りない。

 炎の広がり方が早く、勢いが強いのは、この炎が魔法だからだ。

 会社にリストラされた恨みで、解雇された社員が暴動を起こした噂はすでに出回っていた。

 恐らく、火炎魔法使いの能力を最大限に活かせる魔法使いが集まったのだろうことも推測できる。

 こんなくだらないことで、自分は愛する息子を失うのか。

 初めて知った、この気持ち。

 この、恐怖。

 幼い頃、母にはきつく言い含められていた。

 外で魔法を使ってはいけない、と。

 何のことかさっぱり分からなかったが、そう言うときの母は酷く真剣で、どことなく逆らえなかった。

 だが、母がなぜそこまできつく言っていたのかも、成長するにつれて理解できた。

 自分は、周りと違うのだと。

 高校は魔法を教えない学校に通った。

 彼女の家はそれほど大きくはなかったし、魔央学校に通って得るものもない。それ以前に、母はきっと行かせてくれなかっただろう。彼女自身、その必要性を全く感じなかった。

 だが、どれだけ隠しても、それに気づく人間はいた。

 どこから知ったのか、彼女の魔法の秘密を嗅ぎつけた人間が、彼女にしつこく迫った。あの時の恐怖を、彼女は今でも忘れていない。

 そのときだ。一生、隠し通さなければならないと感じたのは。

 彼女に迫ったその人間は、忘却魔法の使い手である彼女の母によって、言葉使いに関する記憶の全てを抹消された。

 それから、彼女は穏やかに暮らした。それなりに友達もいて、それなりに恋人もできて。それでも、自分の胸の内にある秘密が、苦しくて仕方がなかった。

 けれど、欺くことが、自分を守る方法だった。もう、あんな恐ろしい思いをしたくはなかった。

 それに、人と違うことが……それを知られて、相手が何を思うか。それが怖かった。

 人は、自分と違うものを受け入れない。

 母が繰り返し口にしていた言葉は、彼女の心に深く刷り込まれていた。

 けれど、一生を共にしたいと、思う相手ができた。

 相手の全てを知り、自分の全てを知って欲しい、と思う相手が。

 彼は大らかで、大胆で、これまで交際してきた男の人とは何から何まで違っていた。そんな彼のどこに惹かれたのか、もう覚えていない。

 気づいたら一緒にいることが自然で、傍にいないことを寂しく思うようになっていた。

 そんな彼に、生涯の伴侶として選んでもらえたとき、これ以上の幸せはないと思った。秘密を持つことが、こんなに苦しいものだと、初めて知った。

 隠さなくてはならない気持ちと、全てを打ち明けて受け入れて欲しい気持ちがぶつかる。

 きっと、彼の広い心は、自分の秘密を包み込んでくれるような気がした。

 そして、彼は彼女を受け入れた。

 世界で、一番幸せな人間になれた気がした。

 世界で一番愛しい人。彼が守ってくれるなら、どんなものも怖くない。

 そんな彼との間に生まれた、大切な宝が。


 ――――今、紅蓮の炎に包まれていた。


 助けなくては。

 真っ先にそう思った。

 母の言いつけは、彼女の中には存在しない。過去の忌まわしい記憶以上に、目の前の光景が、それを上回っていた。

 彼女の頭の中で、息子を助ける手順が浮かび上がる。

 火を消し、建物を復元する。

 息子をデパートの外に連れ出すことができればいいのだが、魔法には制限がつきものだった。言葉使いは、対象が意思のある者の場合、声が届いていなければ魔法として効果を発現できない。

 火を消すためには、まずデパートに放たれる魔法を止めてもらわなければ、これから発動する魔法の妨げになってしまう。

 そこまで考えて、彼女は人垣をかき分け、近くにいた消防隊員に掴みかかった。

「今すぐ水を止めて下さい!」

「な、何を言っているんですかっ?」

 突然の彼女の言葉に驚き、消防隊員は怪訝な顔で聞き返す。

 無理もない。無茶を言っていると自分でも思う。

「お願いです。私が火を消すから、水を止めて下さい」

「バカなことを。これだけの炎を消すなんて、命がいくらあっても足りませんよ」

 消防隊のその言葉は、文字通りの意味だった。

 魔力が切れれば魔法が使えない、ということはない。足りないときは、生命力が魔力を補う。つまり、命をかければ自分の力量以上の魔法が使えるということだ。

 しかし、魔法使いは自分の魔力量を分かっている。どこまでできて、どこからができないのか、彼らは正確に線引きできる。だから、測り間違えて命を落とす、または削るようなことはない。仮にそうしようとしても、命を失う恐怖が、その行為を止める。だからこそ、意識的にも無意識的にも、生命力を消費するような魔法を使えるものはいない。

 消防隊員の(もっと)もな言葉に、彼女は苛立ちを覚えた。

 今この瞬間にも、息子が命の危険に(さら)されているのだ。

 自分が息子に掛けた『封印』の魔法のお陰で、無事なことは確信している。だが、それだけでは安心できない。怪我をしているかもしれないし、辛い思いをしているかもしれない。どちらでなくても、怖い思いをしているのは確かだ。

 自分なら、それを拭ってやることができるのだ。

 だから彼女は、静かに目の前の消防隊員を見据える。そして凛とした声で、魔法を唱えた。

「《魔法》、《停止》」

 二字熟語。それが彼女の魔法だった。

 その範囲でならば、どんな魔法だって自由に使える。

 知られてしまったことに対する後悔も、恐怖も、彼女の中にはなかった。

 彼女の言葉を耳にした消防隊員の水魔法が停止する。

 突然止まった仲間の魔法に気づいた同じ隊員が、周りの人間の意識が向けられる。

 未だに勢いを保つ巨大な炎を背後に、彼女は小さく呟いた。

「《声量》、《増幅》」

 炎に魔法を放つ彼ら、全員に聞こえるように、彼女は自分の声を最大限に増幅し、繰り返した。

「《魔法》、《停止》」

 涼やかに、彼女はもう一度魔法を唱えた。

 突如、これまで放たれていた大量の水が、不気味なほどピタリと止む。

 誰もが言葉を失くした。

 なぜ、どうして、という言葉が出ないほどに。

 水が止まったことでさらに勢いを増した炎に、今度は身体を向ける。

 二つのデパート。そのどちらに息子がいるのかなど、彼女には分からない。

 さらにいえば、これを元の通りに復元するだけの魔力は、彼女にはなかった。

 いくら一般的な魔法使いより魔力の保有量が多い言葉使いにも限界はある。息子に封印の魔法を掛け、民間人、消防隊員合わせて三十人近い人間の魔法を一度に止めた。それだけでも、それなりの魔力を消費している。

 それでも、息子への愛が、息子の死の恐怖が、己の死への恐怖を凌駕した。

 愛しい、愛しい。

 あの子を助けられるのなら、命なんていらない。

 赤く燃え盛る炎を青色の瞳に映し、まずは怒れるその魔法を鎮めるべく、魔法の言葉を紡いだ。

「――――《鎮火》」


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