第十一話 届かぬ想
最悪だ、と真紅は痛む足に力を込めて立ち上がった。
しかし、怒りの矛先が華理ではなく、華理の父親に向いていたのは、彼女がちゃんと状況を理解していたからだ。
そう、あの男が出て来なければ、こんなことにはならなかった。
華理は泣いて走り去ったりしなかったし、千秋がそれを追いかけたりしなかったし、自分がみっともなく転ぶこともなかったのだ。
よろよろと道の脇へ移動し、真紅は服についた砂を払う。
そこに、暗い影が落ち、ビク、と反射的に身体が緊張する。
「あら? 真紅じゃない。何してるの、こんなトコで?」
威圧的な、女性にしては低い声音に恐る恐る顔を上げると、そこには真紅と同じ茶髪に緑色の瞳を持った、二人の姉が立っていた。
「ちょーダサい! 転んで、その上男にフられるなんて! あたしだったら、もう外歩けないかも」
きゃっきゃっ、と甲高い声で笑うのはすぐ上の姉だ。頭の悪そうな喋り方をしているが、魔力の強さだけならば、兄姉の中でも長男に次ぐ。
反論できない妹を見下ろしながら、長女の姉が鼻で笑った。
「アンタって、ホント何やらせてもダメね。鬼束の恥を通り越して、逆に可哀相になってくる」
「魔法もダメ、勉強もダメ、それで恋愛もダメなんて、ちょーうけるんですケド。アンタ、何か自慢できるものってあるの?」
「…………っ」
その無慈悲な言葉に目頭が熱くなり、真紅は肩を震わせた。
泣いてはダメだ。
泣いてしまえば、彼女たちは余計に非情な言葉を浴びせてくるのだ。
黙っていればいい。
黙っていれば、嵐は過ぎ去る。
けれど、彼女たちの言葉は、確実に真紅の心を抉っていた。
「ねぇ、聞いてる? 答えなさいよ!」
どん、と肩を押されて、真紅は壁に激突する。その肩はズキズキと軽い疼痛を訴えるが、それよりも、息が苦しかった。
「止めな。どうせ、答えられるわけないんだから」
それは、助け船などではない。その言葉自体が蔑みだ。
「確かに、聞くだけムダかも?」
姉たちの笑う声が耳に障る。
耳を塞ぎたい衝動を堪えながら、真紅は小さく口を動かした。
『オレは真紅が一生懸命頑張ってるのを知ってるよ』
「あ、たし……っ」
千秋の言葉が、真紅に力をくれる。
「なに? 何か言うことでもあるの?」
しかし、目を細めて凄む姉に、真紅は思わず首を振ってしまった。
ほんの少しの勇気を踏みにじられた気がして、ついに真紅の目から涙が零れる。
だが、自分勝手な姉たちは、そんな妹の様子には気づかなかった。
「姉さまぁ、早く行かないと、待ち合わせに遅れちゃいますよ。今日はすっごいカッコイイ男が集まってるんですから」
「そうね。できそこないに構ってるヒマなんてないんだったわ」
彼女たちにとってはたんなる暇つぶし。たまたま見つけたおもちゃで遊んだだけ。別のおもちゃを見つけたら、放って行ってしまうのだ。
去って行く二人の姉の姿を見送りながら、真紅の身体はしばらく動かなかった。
彼女たちの暴言に抉られた心は、ただただ、一つの癒しを求めていた。
『泣きたいときは、オレのところに来ればいい』
千秋に、会いたい。
泣きたいときも、辛いときも。
黙って傍にいて、話を聞いて。
最後は「頑張ったね」って言ってくれる。
苦しい気持ちを和らげて、欲しい言葉をくれる。
「ちあき……」
ふらふらと、彼が行ったはずの公園へ足を進める。
転んでできた掠り傷が引き攣った痛みを発しているが、彼女の心はその痛みを感じていなかった。
レンガを積んだ低い塀。そこに嵌められた児童公園のプレート。年齢とともに遠のいてしまったが、ここには彼との思い出がたくさん詰まっている。
陽が傾き、赤く染まり出した太陽が、公園の遊具を照らしていた。
冷たさを帯びた風が強く吹いて、わずかに火照った顔を叩く。
そして、絶句した。
夕暮れに染まる公園で、千秋の後姿を見つけた。
その首に回された、華理の腕。
二人の顔が重なって、それは口づけをしているように見える。
混乱した真紅の頭には、それだけで十分だった。
最悪だ。
今日は、最悪の日だ。
一歩引いた足が痛んだ。その痛みを無視して、彼女は元来た道を引き返す。
ずきずき、と痛むのは、本当に足の傷なのか、そんなことさえ分からなくなる。
ただ、千秋は選んだのだ、とそれだけを理解した。
自分ではなく、華理を。
平凡な女の子ではなく、綺麗な美少女を。